雷龍の目覚め

「都で一大変事が起こった」

 その変事とやらの顛末てんまつを聞かされたソフィーの困惑ぶりといえば、推して知るべしであろう。どうも、解放運動はもはや計画の段階を終えたらしい。誰の合図にもよらず、偶発的に、計画は実行へと移行した。

 彼女とともにエクランに滞在するカッシーニらも、事態の急展開に驚きを隠せなかったが、都にいた連中ほど慌ててはいない。何しろ、エクランにおける軍事力はペドロサが握っており、要するにそれはエクランの軍がそっくりそのまま彼らの兵力になるということなのである。彼らの期待通り、ペドロサはルブランらの連署による檄文げきぶんに呼応し、即日、兵らに挙兵の意志を伝えた。ペドロサは厳しい上官ではあるが、将士の推服と敬愛を得ており、その軍からはほとんど離脱者が出ていない。兵卒らからしても、帝国の支配者層に対する不信と不満がよほど積もり積もっていたのであろう。

 エクランは事実上、解放軍の南方における最重要拠点となった。

「さて、これからどうしよっとか」

 同志たちに、遊説家のトルドーが投げかけた。彼はこの時代においては珍しい在野の思想家で、ルブラン・サロンにおけるプロパガンダの担当者になっている。もっとも、その活動は後世のプロパガンダのように派手なものではなく、各地方の権力者や有力者たちと親交を深め、意図的に偏った情報を流し、その思想を徐々に変化させることで全体の時流をも操作していくというものである。

 しかし、今は遊説のときではない。すでに戦時下である。ゆえに、方針について口出しはできるが、実際に軍を動かすのも、また戦場における実戦指揮も、すべてはペドロサの意による。

 相談の場にはそのペドロサも入っている。なんといっても軍事の専門家は彼だけであったから、その意見はほかの誰よりも重い。

「座して状況の変化を待てば、都から大軍が派遣され、各地に散らばった友軍は各個に撃破される。むしろ先制して北方に進出し、味方との連携を強めるとともに、包囲を縮めて政府軍に心理的圧迫を与えるのがよかろう」

 ペドロサの方略に異論はない。だが、この方面の名士たちのなかでリーダー格のカッシーニが、条件をつけた。彼らが都から伴ったシャルル、ヴァレンティノの両名を、中級指揮官として軍に加えるように言い出したのである。彼ら両名は、ペドロサよりも、ルブラン・サロンにより近い。彼らを軍に加え、指揮すべき兵を持たせることで、ペドロサのみに功を立てさせることを防ぎ、かつルブラン・サロンの軍事的影響力を強化する狙いである。

 ペドロサは了承した。明敏な男だから、カッシーニの老獪ろうかいな思惑に気づいていたことであろう。だが彼は常に大局を重視し、わたくしよりもおおやけを重んじたから、このときも何も言わず提案を受け入れたのに違いない。そうした彼の性格が、一見すると彼をしてとるべき果実を減らすことにつながりそうだが、結局は彼の名声と評価を高めることとなった。だが、それについては今は触れない。

 エクランの兵力は、もともとペドロサが率いていた1,600に、新たにつのった2,100の民兵を加え、3,700という大軍に膨れ上がった。ペドロサはこの新兵団のうち、1,400をシャルルに、ヴァレンティノに700を預けて、遊撃の位置に置いた。

 軍が進発する前、ソフィーは二人との別離を心から惜しんだ。彼女にはペドロサから特別に20人規模の重警備がつけられることになるが、気心の知れた護衛がいないのは寂しい。

「ふたりとも、必ず無事で帰ってくるのよ。私、二人のお葬式になんて行きたくないんだから」

「心配するなって。俺もちょっと前までは鈴のシノーポリと呼ばれた男、昔とった杵柄きねづかだ。あんたのそばを離れるのは気が進まんが、俺みたいなならずモンには、こっちの方が合ってるさ」

「乱暴はダメよ」

「おいおい、こいつは戦争だぜ。だけどまぁ、なるべく穏便にやるさ。あんたの悲しむ顔は見たくない」

「ヴァレンティノ、あなたも無茶はしないで」

「ソフィー姉さんは心配性だ。俺だって、やるときゃやるよ」

「大丈夫かしら……」

 先日の例もある。先走って、敵に捕まるようなことはないだろうか。

 ヴァレンティノはソフィーの信頼を得られていないことを知って、ひどく悲しげな様子になった。顔をくしゃくしゃに歪めて、肩を落とす。彼にとっては、ソフィーに認めてもらうことが最大の生き甲斐であり、ソフィーに褒められることが最高の贈り物であった。

 彼は、武器の扱い方もろくすっぽ知らない700人の新兵を率いる。また、本来は周到な挙兵準備のもと、武器はトスカニーニが都から調達するはずであったが、今回は事情が事情だけに、そのような物資の供給も追いついていない。それでもペドロサの奔走によってどうにか武器代わりになるものくらいは全員に行き渡ったが、なんと、耕作用の鍬や熊手を持っている兵もいた。時間がないために、編制もばらばらである。

 ヴァレンティノが憂うべきは、ソフィーからの評価よりそうした軍事状況の方であるはずだったが、彼自身、その点に関してはあまり懸念を抱いてはいない。まず、兵らの士気が高かった。見方によっては、彼らは威勢がいいだけで武器さえ揃えられないみすぼらしい叛乱勢力でしかなかったが、とにかく政権を打倒して新しい国をつくるのだ、しかも伝説の術者もついている、という愚かしいほどの希望的あるいは楽天的とさえ言っていい精神に支配されている。それにヴァレンティノ自身、実戦経験はなく、これだけの兵がいればまぁ勝てるだろう、と高をくくっているところがある。

 そして案の定と言うべきか、このヴァレンティノ軍がカーボベルデとエクランの中間に位置するヴェスヴィオ村近くシチリア川の戦いで、大敗を喫する。

 ペドロサは自らはカーボベルデに向かって直進しつつ、左右にシャルルとヴァレンティノの軍を配置して、一種の陽動作戦を仕掛けた。ひとつには、軍を三つに分散させることで、都を守る軍に包囲の危険を感じさせ、彼らを受動的姿勢にさせること。いまひとつは、数的に最も有力なペドロサの軍が実はおとりで、本命は左右に配置された少数の軍ではないか、との疑惑を敵に持たせることである。実際の戦力としてほとんど期待の持てないシャルル、ヴァレンティノの部隊に敵の注意と戦力が振り向けられれば、陽動としては成功であり、主力であるペドロサ軍は有利になる。

 しかし敵の動きは、ペドロサの予想を超える弾力性と迅速さを持っていた。この方面に都から派遣されたエクラン討伐軍は、強行に強行を重ね、偵察もごく簡易にとどめて、ヴァレンティノ軍を急襲し、一撃でその兵力を四散させたのであった。

 ヴァレンティノ自身、唖然とするうちに突如として敵の攻撃が始まり、気がつくと集めたばかりの兵とともに背後のシチリア川の浅瀬をもがくようにして渡り、命からがら逃走していた。彼はほかの誰よりも足が速い。文字通りすっ飛んで逃げて、いの一番にペドロサの陣営に駆け込むと、激しい怒号が降ってきた。

 それはそうであろう。

 戦場における最上級指揮官が、戦いを放棄し、兵を捨て、自ら安全を求めて友軍へとその身を投じたのである。ペドロサは、この程度の男に新兵とはいえ700もの貴重な兵を預けたことを深く悔いたであろう。

「敵の数は、敵の指揮官は、敵の武装の程度は」

 ヴァレンティノは、ペドロサの発する矢継ぎ早の問いに、ひとつとして答えられなかった。せめて敵の旗は見たか、との質問にも、

「ただ夢中で」

 逃げた、と言うほかはなかった。ペドロサの失望は充分に察せられよう。

 やがてほかの逃亡兵が相次いで駆け込んできて、討伐軍の指揮官とその兵力、武装や士気を聞くたび、ペドロサは徐々に表情に苦みを加えていった。

「敵の指揮官は雷龍の異名を持つファンファーニ将軍か」

 雷龍ファンファーニは、無名の男ではない。帝国の実戦指揮官である五騎大将軍の一人で、堂々たる軍閥のおさである。だが実際の彼の姿や性格から受ける印象は、とても雷龍などといった高貴とも言える語感とは程遠い。

 その人物像は、鷹のように人を見、スズメバチのように好戦的で、虎のように強く、ハイエナのように獲物の肉を食らうという。実際、彼の狂人じみた戦いぶりに恐怖した敵兵からは、捕虜を生きたまま焼いてその肉にかぶりつくと噂された。確かに彼ほどの戦争狂ならば、その程度のことはやってのけたかもしれないが、資料を見る限りでは、この風説は後世においては事実無根とされている。

 ただ、ともかくも類を見ないほどの粗暴者である。少年期は誰彼構わず、気に入らないことがあればすぐ人を殴り、故郷のガレー村では一番の鼻つまみと言われた。成年になって兵士になってからも、人を斬ることが三度の飯よりも好きと豪語し、同僚でさえ彼を敬遠した。近づくと、常に血のにおいがする。まともな人間ならば関わりたくないであろう。

 それが五騎大将軍という地位を手に入れたのは、先代の皇帝の頃で、当時の宮廷闘争において活躍を見出され、官僚どもの信用を得て抜擢を受けたからである。雷龍というのは、この頃に彼自身が聞こえのいい異名を、ということで自ら考え触れ回ったものである。それまでは餓虎だの殺人狂だのといった不名誉な通り名で呼ばれていたのが、さすがに耐えられなかったのであろう。

 そういう男だが、しかし戦いとなるとまるで水を得た魚のように喜び、しかも強い。その用兵はあくまで直線的で、敵のいる場所へ真っ直ぐ全速力で駆け、全兵力をもって撃砕する。軍の指揮官というよりは村の悪ガキがそのまま大きくなっただけのような男だが、少なくともヴァレンティノ軍のように新兵揃いで数も劣るような敵に対しては、この程度の戦術で充分であった。むしろ叩きつけた戦力と速度が尋常でない分、その破壊力は遺憾なく発揮されたと言っていい。

 彼はヴァレンティノ軍から投降した兵らを拷問の挙げ句に殺し、その耳を切り取ってペドロサの軍に送りつけた。次はお前たちだ、という脅しである。

 ペドロサは決してひるんだわけではなかったが、ファンファーニの討伐軍が4,000を超えそうであること、兵力を分散させずシャルルの軍と合流する必要があること、合流のための時間的余裕をつくること、各地の味方に連絡をとってその進出を待つこと。以上のような理由と必要性から、軍を後退させ、根拠地であるエクランにまで戻った。

 敵が戦意を喪失して逃走した、とそうファンファーニが解釈し宣伝したのは言うまでもない。

 解放軍の掲げる解放戦争なるものは、その旗揚げ早々、危地に陥った。

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