背水の陣

 ペドロサが負けて戻った、という報を聞いたカッシーニ、トルドー、トスカニーニ、ブーランジェ未亡人は、動揺を隠せず、慌てて事後の対応を協議した。その場では、エクランを捨ててオルビア州のアレグリーニの元へ撤退する選択肢まで真剣に論じられたほどであったという。いかに名士の誉れ高い人々でも、戦争にかけては所詮、無知な素人ということであろう。

 挙兵のあと、彼らはソフィーを残し、揃ってエクランの庁舎へと本拠を引き移している。そこが事実上の南方解放軍の司令部というわけである。

 帰還したペドロサに水を飲む暇さえ与えず、彼らは問いただした。

「今回の敗戦は残念であった。ところで、今後はどうなるか」

「どうなるか、とは?」

「つまり、勝ち目はあるのかね」

「戦いは博打ばくちではないし、勝ち目とは出るのを待つのではなく、自ら工夫するものである。それに、今回は負けたわけではない。局地戦で劣勢に陥っただけで、主力は無事だ。戦い方を変えて、最終的な勝利を目指せばよい」

 カッシーニらは納得したわけではなかったが、軍事に関する限りはペドロサが専門家である。それ以上の口出しは避け、彼らはそれぞれの後方支援に専念することとした。

 ペドロサは何も、負け惜しみや見栄みえで言ったのではない。ヴァレンティノ軍は確かに壊滅したが、ペドロサの本軍は無傷であり、シャルルの軍は討伐軍の斥候せっこう集団を捕らえて、捕虜を得ている。情報戦で優位に立ち、地の利を得て戦えば、戦況を膠着状態にもっていくことは充分に可能である。膠着すれば、各方面で動きも出てくるだろう。

 が、ファンファーニ率いる討伐軍は、呆れるほど直線的にエクランに向かってくる。性急なファンファーニは、どうやらペドロサの思惑による長期戦に応える気もないようであった。直進、ただ直進あるのみ。それがファンファーニの唯一絶対の用兵思想らしい。

 ペドロサとしては状況をなんとか長期化させたいのだが、相手が短兵急に攻めると言っている以上、もはや選択肢はない。エクランを守りきらねば彼らはすみかを失ったモグラも同然であり、地上に出たモグラがたちまち天敵に殺されてしまうように、討伐軍の勢力下で立ち往生し叩き潰されるだけであろう。

 彼は直属の部隊を率い、エクラン北方わずか7kmほどにあるトレラの平原に、ケラ川を背にして密集陣を敷いた。兵数は1,600。ケラ川は決して大きくはないが徒歩で渡り切るのはほぼ不可能で、ペドロサ軍はいわば退路を断ってこの戦いに臨んでいることとなる。

 このペドロサ軍の東、700mから800mほどの地点に、シャルルの軍1,400がやや小高い丘上に布陣している。ケラ川を背にしているペドロサ軍と、掎角きかくの態勢を築く意図を持っていることは明らかであった。

 掎角とは兵書に古くからある用兵術である。その眼目は二手に分かれた味方が互いに呼応して敵を前後から誘引し、敵を挟撃するか、あるいは疲労を蓄積させて撤退に追い込むという策である。由来、川を背に布陣するなどという戦法はいかなる戦史にも記載がない。退路がない状態で優勢な敵に攻められたら、部隊は恐慌状態に陥るだけである。

 さだめし、ケラ川に接するペドロサ軍が弱みをあえて見せることで討伐軍をひきつけ、高所のシャルル軍が側背から強襲する戦術であろうというのは、素人でも容易に想像がつく。

 ファンファーニが兵書の内容を熟知しているはずがないし、彼はそもそも文字が読めなかったが、戦場の経験から、ペドロサの戦術をそのように見た。

「小才子が、見え透いた細工を弄しよってからに」

 ぎょろりとした目で、敵将をそう罵った。眼球の丸みがわかるほど大きくまぶたから張り出した眼が、口元ほどには笑っておらず、むしろ油断なく周囲に目を配り、威圧するような鋭い光を放っているのが、彼が部下からさえ恐れられる理由のひとつでもある。

 彼の戦いにおける基本姿勢というのは、次のような言葉に象徴されるように、常に明快である。

「つまらん小細工ごと、この雷龍が噛み砕いてやるわ」

 実際、彼のすさまじい指揮ぶりは、多少の術策など粉砕し吞み込んでしまうほどの破壊力を有している。雷龍の異名は彼自身が世間にばらまいたものではあるが、少なくとも戦場における無類の勇猛さという点で、その名は決して伊達ではないと言ってやってもよいであろう。

 ケラ川の戦いで、彼は500の兵をして丘上のシャルル軍を抑えさせ、残りの兵をすべてペドロサ軍にぶつけた。

 ファンファーニはペドロサ軍に倍する兵力を利用し、鶴が大きく翼を広げるような陣形で、半包囲の態勢をとった。兵力差と攻撃側の優位点を活かしたごく正統的な戦法であり、しかもその勢いは火が出るほどに激しかった。

 一方、ペドロサ軍も退路がありの這い出る隙間もないほどにないことは、全員が承知している。眼前には敵の大軍、後背は川が控えて、臆したら敵に殺されるか川に追い落とされて溺死するだけであろう。その恐怖が、劣勢のペドロサ軍に驚異的な粘りと士気を生んだ。誰もが必死に戦い、押し寄せる新手を幾度も跳ね返した。

 やがて、転機はファンファーニ軍の後方から迫った。突如として、地響きのするほどのときの声が起こって、大軍が津波のようになだれ込んできたのである。

 ファンファーニ軍の後衛は混乱に陥った。彼らのうちの誰の目にも、奇襲部隊は500や1,000といった程度の規模には見えなかった。それをはるかに超えるだけの予備兵力が、今やペドロサ軍とのあいだに包囲陣を築こうとしているのである。

 後衛は本格的な戦闘に突入する前に、潰走を始めた。逃げ出す兵がいると、戦いは勝てない。普段は勇敢で命を惜しまぬ者も、味方が戦場から逃走する姿を見れば、誰でも恐怖を感じる。戦場心理というものである。眼前に広がる大軍よりも、味方を捨てて逃げ出す兵の方が、軍にとっては厄介だ。

 まして、ファンファーニの軍というのは攻撃は得意でも守勢は経験すらない。常に彼らが優位な立場から攻勢をかける立場であったからだ。奇策を弄するゆとりさえ与えず、雷龍のごとく攻めて攻めて攻め抜いて、勝つ。それ以外の戦い方は知らない。

 だから、もろい。ペドロサは機を見逃さず、一気に反撃を命じた。彼らは辛くも勝利した。

 逆転の契機は当然、ファンファーニ軍後方からの奇襲であるわけだが、この部隊を率いていたのはヴァレンティノであった。無論、数千人単位の新兵を補充するだけの余力などない。そもそも、武器がないのだ。最初に新兵を駆り出して北上した際も、熊手や鍬を持ち出した者までいたほどである。

 だが、人はいる。武器はないが、術者ソフィーの同志たちともに戦いたい、と望む連中がまだ3,000人はいた。ヴァレンティノは雪辱を果たすべく、これらの新兵を陽動部隊として自分に率いさせてほしい、とペドロサに願い出た。

 ヴァレンティノはありったけの武器を新たに徴募した兵に与え、行き渡らぬ者はともかく木の棒だけでも持たせて戦陣の後方に組み込んだ。実際の戦力にならずともよい。ともかくも戦場に連れてゆき、死ぬ気で雄叫おたけびを上げさせれば、その数と気勢で敵をあざむき、圧倒することができる。

 そして実際、そうなった。ヴァレンティノ軍は山林に潜み、ペドロサ軍が交戦を開始するとともに一気に疾走して、無防備なファンファーニ軍の後背に襲いかかったのである。果然、前後から挟撃されてファンファーニ軍は動揺し、支えきれずに撤退した。冷静で有能な指揮官であっても、ヴァレンティノの捨て身の奇策は見破れなかったであろう。もしも後方の奇襲部隊がまともに武装もしていないいわゆる張りぼてであることを見抜ける者がいるとしたら、それは神の目を持っているとしか思えない。

 いずれにしても、ファンファーニは敗戦し、ペドロサ軍やシャルル軍の旺盛な追撃を受けて数百人の戦死者と数百人の捕虜、そして数百人の行方不明者を出しながら再びシチリア川を渡ってそこで反撃の態勢を整えた。

 トレラの戦いは解放軍の完勝に終わり、ペドロサの採用した戦術はのち「背水の陣」と呼ばれ後世に伝えられた。背水の陣の故事は、やがて退路を断ち決死の覚悟で起死回生を図ること、とやや歪められて解釈されることが多くなるが、実際には戦術的常識を無視した布陣で相手の油断を誘い、別動隊を動かして有利な状況に持ち込む、陽動戦術に真価がある。ただ単に川を背にして戦っていたら、ペドロサ軍は確実に負けていたであろう。川を背にした部隊が優勢な敵と対峙たいじして士気を維持できるはずがない。

 ペドロサ軍はシャルル、ヴァレンティノの部隊を糾合きゅうごうしつつ、意気揚々とエクランへ凱旋した。

 風向きが変わった、と言っていいであろう。当初、この都市の市民はソフィーの治療を受けたことでその崇拝者となった者たちを中心に、挙兵に賛同する者が多かったが、反対者も少なからずいた。帝国に不満を持つ者は数限りないが、かといって街が戦地になるのは迷惑だ、というわけである。だが今回の勝利をきっかけに、解放軍は都から差し向けられた討伐軍にも勝てる、すなわち帝国を打倒する可能性が大いに見えてきた。

 俄然、志願兵はさらに増え、物資も進んで供給するようになった。

 この時期、エクランは街全体がどこか麻薬の煙でも立ち込めていたかのように、熱っぽく、騒がしく、夢想的で、興奮状態にあった。ペドロサはシャルルとヴァレンティノを両翼に、次の作戦に備えるべく軍の整備に着手した。ヴァレンティノはトレラの戦いを勝利に導いた功労者として、ペドロサの信頼を取り戻すことに成功したようであった。その前のシチリア川で部下を見捨てて逃げ出すという失態の雪辱を晴らし余りある働きと評価された。カッシーニらも多方面から軍を支援し、エクラン解放軍の勢いは猛牛を思わせるものがある。

 一方、ソフィーはそうした世間の動きからはあくまでも超然としている。彼女は解放運動に対し何らの口出しもせず、知ろうともせず、ただ黙々として患者の治療にのみ専念した。

 例えばペドロサ軍が帰還した日、彼女の周囲では一悶着があった。

 この日、解放軍はエクランへの帰投とともに負傷兵及び負傷した捕虜を部隊から分離して、ソフィーの診療所からほど近い倉庫に収容した。軍は当然、負傷兵の優先的な回復をソフィーに依頼したが、彼女はこの願いを明瞭に拒絶した。この負傷兵の扱いに関する責任はカッシーニが持っていたのだが、彼はソフィーの返答に絶句し、そして彼女の気分を害さぬよう努めつつ、尋ねるべきことを尋ねた。

「ソフィーお嬢さん、この負傷兵は国のため立ち上がった兵たちです。誰もがもとはエクランの民で、誰もがあなたを救世主と信じ、誰もが国の将来を憂う壮士たちだ。当然、救われるに値すると言えよう」

「値する、ですか」

 カッシーニは筆まめな人で、彼の日記や回顧録は、歴史上の貴重な資料として残っている。その回顧録、「教国創立記」の一節で、この場面のソフィーの心情について述懐している。

「あの時のソフィーお嬢さんは、明らかに怒気を内に発せられていた。私はそれに気づいて、あの方の志を未だ測れていなかった自分に愕然とした。恵まれぬ人、傷ついた人、苦しむ人を救いたいと願うあの方の徹底した執念に、私は改めて畏怖を抱くとともに、自らの卑小さを思い知ったのである」

 ソフィーはしかし、その怒気を決して爆発させたりはしない。ただこのようなとき、彼女のペリドットを思わせる明るい緑色の瞳には、 妥協を許さぬ理想へのこだわりが強い光となって宿るのである。

「値する、とはどういうことでしょう。それは救われるに値しない命があるということですか?」

「いや、そうではないが。いわば、単なる言い回しであって」

「そうですか。ではさらに伺いますが、先頃の戦いでは政府軍の捕虜を多数得て、そのなかには負傷した人もたくさんいると聞きました。何故、その人たちを伴わず、味方の兵だけを連れてらしたのです?」

「それは、味方の兵であるから、真っ先に治していただきたいと」

「カッシーニさん、ご理解いただいていないようなのではっきり申し上げておきます。私にとっては、宮廷の腐敗だの、解放運動だの、あるいは戦いの勝敗も、どうでもよいのです。私は妹ともに、術者としての志を立てました。皆さんが私たちの後援をしてくださるのは、ありがたい、と心から思っています。ただ、だからといって皆さんが皆さんの都合で治療の融通を利かせるよう求めるのは、私たちの志に反します。傷ついた兵士の方を癒すのは、私も力を尽くしますが、それは黒死病で苦しんでいる方や、あるいは負傷した捕虜の方も同等です。皆さんに皆さんの正義があるように、私にもどうしても曲げられない節義があります。両者がどうしても相容れないときは、私たちもそれぞれ違う道を歩むべきだと思います」

 カッシーニは、ソフィーの見せるすさまじい気迫と覚悟に気圧けおされ、即座に捕らえた負傷兵のうち、治療を必須とする者を引き具して再び現れた。また、彼女の心証を考慮し、当初はまとめて監禁し、のちに殺害する予定であった捕虜どもを手厚く遇することにした。せっかく助けた捕虜どもを殺したりすれば、ソフィーの怒りを買うであろうことを恐れたのである。

 ただ、結果的にそうした対処が、捕虜となった兵たちの忠誠を得る結果となった。彼女に直接の治療を受けた者は無論、そうでない者も、自分たちが助かったのは風の術者ソフィーの偉大なる慈悲の賜物たまものであると考え、進んで解放軍へ身を投じさせることにつながったのである。

 ソフィー自身は必ずしも意図していなかったが、彼女らの名声は常に解放軍を有利にするように働いているようであった。

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