第27話:小豆が来ない

 翌日も小豆あずきから返事は来なかった。

 何度かこちらからメッセージを送ったけど無視された。

 既読にもならない。


 そしてさらに翌日。

 バイトに出勤した。


 顔を見て直接文句を言ってやろう。

 アホなこと言うなって。


「え……休み……ですか?」


 講義が終わった奄美さんに訊いたらそう言われた。

 親御さんから休むって連絡があったらしい。

 小豆のヤツ……やめるって話はやっぱマジなのか?


 ──あ。講師準備室の入り口で友香ちゃんが覗き込んでる。目が合った。


 部屋から出て、廊下の隅で友香ちゃんに尋ねた。


「今日は小豆は?」

「大変です銀ちゃん先生……」


 友香ちゃんは青ざめた顔してる。


「さっき小豆から、塾をやめるってメッセージが来ました」

「なんで?」

一昨日おとといの夜、お父さんお母さんと何かあったらしいです」

「何かって?」

「ケンカしたみたいだけど詳しくはわかりません。小豆ちゃんはそれだけ言って、後はメッセージが途切れました。電話しても出てくれないし……」


 そっか……


 あの日、昼間は無理矢理LINE交換したりして、まったくそんな素振りを見せなかったのに。

 夜になって急にやめるとか言い出したから、おかしいと思ってたんだよな。


 そういうことか。

 面目に勉強しない小豆が、親に『塾なんてやめてしまえ』とか言われたのかもしれない。


 ──ん?


「小豆からその連絡があったのはさっき?」

「はい。学校では顔を合わせてなくて、さっきここに来る途中でメッセージが来ました」

「実は一昨日の晩に、小豆から俺に『やめる』ってメッセージが来たんだ」

「そうなんですね」


 友香ちゃんはちょっと驚いた顔してる。

 小豆は親友の友香ちゃんより先に、俺に伝えてきたってことか。


 ……なんでだ?


「銀ちゃん先生。小豆ちゃんに電話してあげてください」

「友香ちゃんが電話しても出ないのに、俺がしても出ないでしょ」

「そんなことないと思います」


 いやそんなことあるだろ。


「とにかく一度電話してみてください」

「そ、そうだな」


 放っておくこともできないし、ダメ元で電話してみるか。


 スマホを出して、小豆に電話をかけた。


『もしもし』


 ──え、嘘っ!? 出た!


「小豆か。今どこにいる? 塾来いよ」

「銀……えっと……いや、行かない」


 プツっと切れた。

 なんだよ?


「銀ちゃん先生の電話には出たんですね。凄いです。なんとか説得できないでしょうか……?」


 いや、無理でしょ。

 電話出たのだって、たまたま取っちゃったみたいな感じだし。


 とは言え……もう一度電話してみた。

 だけど今度は出ない。


「詰んだな……」

「そうですか……なんとかならないですか?」


 そんな悲しい顔しないでくれよ友香ちゃん。

 話すらできなけりゃ、なんとかしようもないし。

 何度もしつこく電話してみるか?


 ……ん? 待てよ。

 さっきの電話。


 小豆の後ろで子供の声が聞こえてた。

 それと犬の鳴き声も。


 外にいるってことか。

 しかも公園ぽいな。


「すみません奄美さん。小豆がいる場所、もしかしたらって心当たりがあるんで、今から行ってきていいですか?」

「それどこ?」

「近所の公園です。前にそこで会ったことがあるので」

「そう、わかった。頼むわ佐渡君」

「ありがとうございます」

「銀ちゃん先生! よろしくお願いします!」


 友香ちゃんのすがるような目。


「うん。ホントにそこにいるかわからないけど、とにかくできることはやってみるよ」

「あのさ佐渡君。大勢で行ったら、香川さんは心を閉ざしちゃう可能性ががあると思うのよ。だからとりあえず一人で行ってくれる?」

「そうですね。俺もその方がいいと思います」

「もし私や屋久さんがいた方がいいって判断したら、いつでも連絡ちょうだい。すぐに駆けつけるから」


 友香ちゃんもコクコクと頷いてる。

 一番仲のいい友達も同じ判断なら間違いないだろ。


 それにしても、やっぱ奄美さんって心遣いが凄いよな。


「じゃ、行ってきます」

「よろしくね佐渡君」

「銀ちゃん先生、よろしくお願いします」


 二人の声を背に、俺は塾を出た。



***

〈小豆視点〉


「ああっ、もうっ! あたし、いったいなにやってんだろ……」


 なんで公園のベンチに一人で座って、こんなにモヤってんのよ。


 さっきまでいつものワンちゃんがいたから気も紛れたけど……

 一人になったら、めっちゃモヤるんですけど?



 一昨日おとといの晩、お父さんに怒鳴られた。


『やる気ないなら、もう塾なんてやめてしまえ!』


 お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、ウチはみんな帝都大。あたしだけが落ちこぼれ。

 それをいつも責められる。お前はダメなヤツだって。


 勉強できないからってなに?

 それで人としての価値が低いの?


 わけわかんなくない?


 元々あたしは塾なんて行きたくないって言ったのに。

 無理やり行かせたのはあのクソ親父なのに。


 だから秒で『じゃ、やめる』って答えた。

 ……この前までのあたしならね。


 でも実際は『やめない』って言っちゃった。

 だけどお父さんは認めてくんなくて、結局やめるって話になったけどね、あはは。


『どうせちゃんと勉強なんてしないだろ』って言われちゃった。

 あはは、そのとーりかも。はっきり言って自信はない。

 いや、偉そーに言うなって?


 おかしいよねあたし。

 ずぅーっと、塾なんてやめたいって言ってたくせに。

 だけどお父さんお母さんがやめさせてくんなかったのに。


 だってあたし、ようやく勉強する気が出てきたんだよ。ほんの1ミリだけどね。


 ほら、だからこの前も質問に行ったし。


 ……ってウソ。


 ホントは勉強やる気出たわけじゃない。

 竹富たけとみって女が……いや、女の人が、銀にベタベタするもんだから、気になっただけ。

 その前の時は銀とちょっと話をしたくなっただけ。


 お父さんに『やめろ』と言われた時も、ふっと銀の顔が浮かんで、なんか反射的に『やめない』って言っちゃった。


 いや、別に銀のことが好きとかじゃないからっ!


 アイツ他の大人と違って、一生懸命あたしに関わってくるから。

 階段から落ちた時もめっちゃ心配してくれたから。すっごく頼もしかったから。


 だからちょっと気になってるだけで、塾やめたら銀に会えなくなって寂しいとか……ぜぇーんぜんっ、ないんだから。


 ──うん、ないないっ!


 そもそも銀は、あたしなんかやめた方がせいせいするよね。

 つい送っちゃったLINEで『やめるな』って言ってたけど、そんなの塾のスタッフなら当たり前だもんね。


 だから銀にLINE送ったの後悔して、その後はスルーしちゃったけど……悪いことしたよね。ごめん。


 でも……やめるにしても、最後に銀の顔見たいなと思ってここまで来たんだ。

 だけどアイツと顔合わせるのが怖い。だからやっぱ塾には行けない。


 だって……もし銀に『そっか。やめるのか』なんてあっさり引かれたら、あたし……

 だから銀から電話かかってきて、嬉しくてつい取ったけど……怖くなって切っちゃった。


 ああっ、もうっ。

 なにウジウジしてんのよ。あたしらしくないって!


 ずっとやめたいって思ってて、一年経って、よーやくやめれるんだから、それでいいじゃん。


 別に銀の顔見たいとか、声聞きたいとか、まーったくないんだから。


 うん、ないない!

 あんなヤツの顔をこれから見なくて済むと思ったら、あたしもせーせーするしっ!

 だからさっきの、顔見たいからここに来たはウソウソっ!


 うん、もう帰ろ。

 こんなとこにいたって仕方ないし。


「小豆! やっぱここにいたか!」


 ──あれ? 銀の声? まさかね。空耳でしょ。


 空耳聞こえるほど、銀の声を聞きたかったって?

 いやいや、それはないからっ!


 あたしの耳、おかしくなっちゃったかなぁ。

 イヤホンで音楽聴くの控えた方がいい?


「なあ小豆。やめんなよ」

「え……?」


 なんかマジな銀の声な気がする。

 ゆっくり振り返ったら……


「ぎっ、銀!? なんでここにいんのっ!?」


 なんか必死な顔したアイツが、そこに立ってた。

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