第20話 驚きの真実
帝王学というのは、確立された一つの学問というわけではない。
ただ純粋に、支配者としてどうあるべきか、最上の存在としてどうあるべきか、を示すだけのものだ。そこには支配者それぞれの考えがあるだろうし、絶対的に正しい価値観は存在しない。だが、その規範となるものは存在するのだ。
だからこそアリスは毎日、午前にミナリアからの講義を受け、午後からは午前の講義内容を復習しながら他の学問について本を読む、という自己学習に努めていた。
「……ふぅ」
帳面を閉じる。
元々、アリスは文字の読み書きもできない農奴だった。だがミナリアから一日で覚えるようにと言われて、どうにか簡単な文字だけは読み書きできるようになった。
そこからは午前にミナリアの講義を受けてから、午後から文字の勉強をひたすらにやった。その結果としてどうにか文字の読み書きはできるようになり、それからは午前の講義内容について復習をする日々だった。
ミナリアも忙しいらしく、午前にしか講義の時間は取ってくれないため、ほとんどアリスは自習だ。だが、自習だからといって手を抜くような真似はできない。
目を閉じると思い出す――あの日、アリスの目の前で死んだ、税務官の一行。
ジェームスという名の税務官は、ミナリアが連れて行ったために以降は知れない。ジェームスの奴隷だったという御者は命乞いを受け入れ、現在は新たな村民として働いている。だが、残る三人はその場で死んだ――ナターシャが、一撃で殺したのだ。
だというのに、全く、彼女らに悼みはない。
知っていた。アリスとミナリアは、決定的に違う。
ミナリアのみならず、ユースウェインも、アーデルハイドも、レティシアも、ステラも、ナターシャも、アリスとは決定的に違う。
種族だけではない。見た目というわけではない。その考え方――価値観が、完全に違うのだ。
彼女らにとって、人間など塵芥にも等しい。
敵対するのであれば容赦はせず、皆殺しにすることに何の躊躇いもない。
庇護を求めるならば、足元にいる虫を踏み潰さないでいてやろう、くらいの慈悲は与えてやる。
彼らにとって――人間など、その程度の存在なのだ。
この歪みは、きっと彼女らには理解して貰えない。
根本的に異なるものを、是正することなどできないのだ。
だからこそ、アリスは――その抑止力にならねばならない。
「うん……」
彼女らは、アリスを主としてくれている。
そしてアリスがこの国の皇帝となるための、道を作ろうとしてくれている。
だが、間違いなく。
彼女らが切り開くその道は――血塗れだ。
だからこそ、せめてアリスが指針を決めることができる程度には、学ばなければならない。彼女らの見据えるその先を、アリスも理解しなければならない。
そうでなければ、きっとアリスは。
屍の連なる国の頂点に、立つことになるだろう――。
「……はぁ」
考えても、仕方のないことだ。
ユースウェインに無理やり言わされた気はするけれど、これはアリスの選んだ道。そして彼女らは、その道を切り開こうとしている仲間なのだ。
アリスもただ持ち上げられている飾りになるのではなく、そこに己の意志を投じなければならない。
そのためにできることは、勉強だけなのだ。
「えっと……労いの言葉をかけることも大事、だったよね」
ミナリアから講義を受け、その内容を記してある帳面を見ながら、アリスは呟く。
状況に違いはあれど、やるべきことは変わらない――ミナリアはそう言っていた。
「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず……自陣について知ることも大事」
思えばずっと、アリスは勉強ばかりしていて、この村について詳しく知らない。
ならば、せめてこの村がどのように発展しているのか、この目で見ることも必要ではないだろうか。
そう考えて、アリスは頷いて立ち上がる。
きっと、そう言い訳はしていたけど、その根底にあったのは。
最近、なんだかユースウェインと話していないな、という寂しさだった。
「あ、ユースウェイン、さ」
「さすがの出来だ! アーデルハイド! すばらしいぞ!」
「はっはっは! それも当然さ。ぼくを誰だと思っているのさ! ぼくだよ!」
「全く意味が分からんがその通りだな!」
ようやく見つけた白銀の巨人は、村からやや離れた空き地にいた。
空き地とはいえ、恐らくこれから作物が植えられるのであろうと思われる農地である。現在は村人の数が少ないために、空き地となっているだけだろう。
そんな空き地で、向かい合う。
ユースウェインと、骸骨でできた骨の竜。
ユースウェインは漆黒の槍と、花弁の盾を構えて、竜と戦っていた。
巨体でありながら、素早い動きのユースウェインは、遥かに大きい骨の竜を相手に、余裕すらうかがえる戦いを繰り広げる。恐らくその間にアリスがいれば、刹那のうちに命を失うだろうと思われる速度だ。
暴風とすら呼んでいいかもしれない、連続の打撃。それが全て骨の竜に突き刺さり、骨を砕いてゆく。
骨の竜が、勢いをつけてユースウェインへ向けて突進。
しかしユースウェインは、左手に構えた花弁の盾を、骨の竜へと向けて。
「第二位『
瞬間――その盾から、七つの光が伸びた。
それが全て、骨の竜へと突き刺さる。その威力は槍での刺突の比ではなく、当たる端から骨の竜が砕けてゆくのが分かった。
ゆっくりと全身を失いながら、倒れる骨の竜。
「いいなぁ、『華盾』。盾のくせに攻撃できるなんて卑怯だよ」
「貴様の『
「それでも、防御状態のままで攻撃できる、っていうのはメリットだよ……ってあれ、アリスちゃん?」
「む?」
先にアリスに気付いたのは、アーデルハイドだった。
そしてそれに伴い、ユースウェインも振り返る。いつも通りの白銀の巨人が、そこにいた。
「お久しぶりです」
「これは我が主。ご尊顔を拝し、恐悦至極」
「挨拶が固いよユース」
「うるさいアーデルハイド、お前は頭が高すぎる」
アリスの姿を見かけると共に、ユースウェインは頭を下げる。
しかしアリスにしてみれば、主というよりも仲間だ。そんな風に頭を下げられると、なんだかこそばゆい。
「ユースウェインさんも、壮健みたいですね」
「うむ。主のため、戦場を駆ける日をいつも待っている」
「いつか、その日が来たらお願いしますね」
と、そこでふと、アリスは気になった。
ミナリア、アーデルハイド、レティシア、ステラ、ナターシャ――ユースウェインを除く五人は、それぞれ人間に近い見た目をしている。首から下が骨とか、ありえない大きさだとか、大きく異なる部分はあるけれど、その顔立ちは人間のそれである。
だが、ユースウェインはいつも全身鎧に身を包んでおり、その顔を見たことがない。
出会った最初は、そういう存在なのだろうと思っていた。
だが、こうして姿形は人間に似ている仲間たちを見ていると、ユースウェインにもちゃんと素顔があるのではないかと思えてくる。
「ユースウェインさんは」
「む?」
「えと……ずっと、鎧なんですね」
「ああ。この鎧は昔から我が家で受け継いでいるものだ。騎士である以上、相応しい格好で主に仕えるべきだからな」
「じゃあ、その鎧……脱ぐこともできるんですか?」
「できるが?」
何を分かり切ったことを、とでも言いたそうにユースウェインが返す。
少し緊張しながら、しかしアリスは慎重に、言葉を選んで。
「い、いえ……わたし、ユースウェインさんの顔って、見たことないなぁって思って」
「そうだったか? ふむ。確かに顔も見せず、忠誠を誓うというのもおかしな話か」
そう言いながら、ユースウェインは首元に手をやり、恐らく金具であろうそれをぱちん、と外して。
そして、ゆっくりと白銀の兜を取り。
長く伸びた、艶のある金色の髪を後ろに流しながら、その素顔を晒す。
「別段、面白みのある顔ではないがな」
切れ長の眼差しに、すらりとした鼻筋。紅を引いたように艶やかな唇と、全体的に整った輪郭。
兜を取ったために、くぐもった声から変わった、大人びた声音。
絶世の美女が――そこにいた。
「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「何を驚く、我が主よ」
思い切り悲鳴を上げたアリスに、意味が分からないとばかりに美女――ユースウェインが、首を傾げた。
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