第19話 領主の看破

「……妙だな」


「は、どうかされましたか?」


 カイルド男爵領領主、アルバート・カイルドは手元の書面を見ながら、小さく呟いた。

 そして、そんな小さな呟きを、側に侍る重臣のオスカーがしっかりと聞き取り、聞いてくる。そんなオスカーの言葉に、アルバートは渋面を返した。

 それは、税収を記した書類。

 アルバートの右腕とも言える徴税官、ジェームスが提出してきたものだ。


「足りんのだ、オスカー」


「そうなのですか?」


「ああ。全体から見れば僅かな量に過ぎんが、誤差とするには少々大きい」


「しかし、ジェームス様は問題なく全ての徴税を済ませたと申しておりましたが」


 アルバートと同じく、オスカーもジェームスのことは信用している。

 真面目に職務に取り組み、間違いなく税を徴収してくる敏腕の徴税官だ。不作や凶作などもある中で、ジェームスのように毎年しっかりと計上した税を徴収してくる徴税官は、他にいない。

 だからこそ、ここ二十年ほどはジェームスが徴税官を任されているのだが。


「妙だ」


「どういうことなのでしょうか?」


「まず、共に向かった副徴税官のイグナーツが戻ってきておらん」


「ジェームス様の報告によれば、途中で野盗に襲われ亡くなったとのことでしたが」


「だが、ジェームスはイグナーツの遺骨も、遺髪すらも持ち帰っておらん。そして、野盗に襲われてジェームス以外に全滅したというのもおかしな話だ。ジェームズが一人で野盗の相手などできるはずがあるまい」


「……では、その際に積み込んでいた税収を、野盗に奪われたのでは?」


「その可能性もある。だが、妙なのは儂に税を献上した後の、ジェームスの行動だ」


 ジェームスがこの屋敷へ戻ってきたのは、二日前だ。

 いつも通りに彼は税を納め、そして己の屋敷へ戻った。

 それだけならば、何の違和感もない。

 だが――。


「ジェームズは、屋敷で色に耽っているらしい。奴は真面目な男だったというのに……まるで、人が変わったようだ」


「……確かに、昼間から享楽に耽っているという噂は聞いています」


「……一体、何があったのだろうな」


 アルバートは、何度も書面を確認し、実際に存在する税収との差を列挙してゆく。

 麦、野菜――それは、農村で採れるものばかりだ。

 特に少ないのは、麦。それに葉野菜や芋も少ない。ちょうど、村一つ分、といったところか。


「……ふむ」


「何かお分かりですか?」


「書面と実際を確認したが……ちょうど、村一つ分ないな」


 アルバートが手に持つ書面は、今回の徴収した税の内訳。

 そして、ジェームスが今季に入る前に提出してきた、税の目録だ。これで、領土のどの村がどれほど税を納めているか、というのが一目で分かる。

 その二つを見比べて、出てくる名前は一つ。


「……ポロック村、か」


「村、ですか?」


「うむ。麦の量も野菜の量も、ポロック村が納める予定の税だけ、足りていない。そして、それ以外には全て納められている。偶然ではあるまい」


「村ごと、納税を拒んだ、と?」


「ならば、ジェームスの方から儂に報告があるだろう。だというのに、ジェームスからは何の報告もなく、そして丁度ポロック村の分だけ少ない」


 何より、とアルバートは眉を寄せて。


「ジェームスの、あの人の変わりよう……もしや、この村で何かをされたのではなかろうか」


「どういうことなのでしょうか?」


「村娘が真面目なジェームスを誑かし、ジェームスに税を納めぬよう手を回した。そして女を忘れられぬジェームスは、戻ってきてから享楽に耽るようになった……あながち、間違った予測でもあるまい」


「なるほど! ですが、そうなるとジェームス様は……」


「うむ。儂に対し、虚偽の報告をしたこととなる。公平を司るべき徴税官が、してはならんことだ」


 アルバートは、その眼差しを鋭く光らせて、オスカーを見る。

 齢五十を超えながらにして、未だこのカイルド男爵領を統べるアルバートは、オスカーが震えるほどの威圧感があった。


「オスカー」


「は」


「ジェームスを呼べ。あやつから、正しい報告を聞かねばならん。場合によっては、その場で罰を下す」


 それは、彼がこの領の支配者であるがゆえに。

 裏切りには、死をもって償わせる、苛烈な施政者。


 それがカイルド男爵領領主、アルバート・カイルド――。









 アルバートの呼び出しに、ジェームスはすぐにやってきた。

 オスカーの言葉によれば、呼びにいったその時も享楽に耽っていたらしい。現在も、やや頬が赤みを帯びているのは、酒を飲んでいたからだろう。

 そのようなジェームスの姿は想像できなかったし、享楽に耽っているという報告も嘘ではないかと感じていたが、どうやら真実だったようだ。

 ならば場合によっては、アルバートはこの股肱の忠臣を斬らねばならない。


「ジェームスよ」


「はっ!」


「何故儂が貴様を呼び出したか、分かっておるか」


「申し訳ありません。この身に、心当たりはございません」


「……では、これで見ろ」


 跪くジェームスの前に、アルバートは書類を落とす。

 それは、先程までアルバートが見ていた、ジェームスが自ら作った税収の資料だ。

 そこにアルバートが自ら書き込み、その差異を指摘してある。


「麦、葉野菜、芋の量が、報告と異なる。この件、どう説明をするつもりだ」


「はっ……村々におきましても、毎季安定した税収が望めるわけではありません。不作の地には、この徴税官が均衡を考えたうえで税収を免除することがございます。それに伴って、税収が減ったのだと思われます」


「よく回る口だな」


 ふん、とアルバートが鼻を鳴らす。

 だが、ジェームスは顔色を変えようとしない。自身の不正が露見しているというのに、堂々と振舞っている。


「随分と、享楽に耽っていると聞いたが」


「は。女遊びは至上の極楽にございます」


「らしくない言葉を抜かすな。まるで、別人に変わったかのようではないか」


「は……?」


 そこで、ジェームスは動揺したように肩を揺らした。

 何をそれほど動揺することがあるというのか。

 むしろ、動揺するならば不正の証拠を出された、その瞬間にすればいいものを。


「そ、それは失礼いたしました」


「そのように貴様を軟弱にせしめたのは、ポロック村か」


「な――な、何故、ポロック村をっ!」


「ふん。儂が気付かぬとでも思っておったか。貴様の提出した書類、ちょうどポロック村の税収だけが足りない。不正をするならば、証拠はしっかり拭っておくべきだったな」


 反応からして、完全に不正に加担しているのは間違いない。

 先代の領主から仕えてくれている、股肱の忠臣をこのような形で失いたくはなかったが。


「オスカー、牢にぶち込め」


「そ、そんなっ! アルバート様!」


「沙汰は、追って伝える。オスカー、貴様がポロック村の巡察に向かえ。そして、足りない税を徴収してくるのだ」


「承知いたしました」


「アルバート様! アルバート様ぁっ!」


 オスカーに首根っこを掴まれ、ジェームスが連れられてゆく。

 その姿を見ることなく、アルバートは溜息を吐いた。


 ポロック村が、どのような手段でジェームスを騙したのかは分からない。

 だが、このように農奴が納税を拒否したことは、アルバートが領主を継いでから一度もないのだ。

 もしかすると、これが後の大きな流れに繋がる可能性もある。


 懸念は大きいが、しかし今は気にするほどのことでもないさざ波。

 アルバートにとって、農奴などその程度の価値しか持っていないのだから。









 その後、厳重に固めていたはずの牢から、ジェームスは脱走した。

 どのように脱出したのかは全く分からなかったが、門番が脱走する以前に、奇妙な独り言を聞いたらしい。


「あー……あのエロ親父、自分の趣味は隠していたわけかー。さすがにそこまでは読めなかったなぁ。つか、さすがに処理が杜撰すぎたかー……まさか気付かれるなんて、どんだけ金にがめついんだよあのオヤジ。あー、やっべぇ、ミナリアさんに怒られるわこれ。罵られるわこれ。あれ、割とご褒美じゃね? とりあえず、ティル・ナ・ノーグ帰るかぁ」


 そんな謎の言葉を残し、ふっとかき消えた。

 門番は、まるで白昼夢を見ているようにすら感じたらしい。

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