第21話 事態は動き
ミナリア・エクリプスは忙しい。
午前はアリスへの帝王学の講義を行い、午後からはステラに対して巡察指示、各自に対しての指示を行う。その後はペータース伯爵領の市井に放っている、ドッペルゲンガーたちからの報告を受け、内容をまとめる。その上で行わなければならない方策や指針を練り、必要なものを限定してアリスへ報告する事柄をまとめる。
忙しいが、しかし充実した日々だ。七十二時間の制限で、ティル・ナ・ノーグに帰らなければならない八時間が惜しいほどに。
方策を打ち出し、改善すればするほど、村は発展してゆく。そして生産力も上がってくる。元より節約家という名のドケチであり守銭奴であるミナリアにとっては、村人のものであるとはいえ、備蓄が増えてゆく現状は嬉しい。
このまま順調に進めば、ペータース伯爵家と正面きって戦争ができる程度には、発展してくれるはずだ。
だが。
「……バレた?」
「うす。カイルド男爵領の領主ってぇヤツに呼び出されて、指摘されたっす。さすがに、書類の改竄まではできなかったもんで、そこを突かれました」
「あー……確かに、帳簿と合わせればポロック村のだけがごっそり抜けてるって分かるかぁ。つか、あのハゲデブって意外と価値なかったのね。村で好き勝手やってんのに税務官してるってのは、領主からの信頼の証だと思ってたんだけどなぁ」
「信頼はされてたみたいっすよ。どうやら、自分とこでは女遊びはしてなかったみたいっす。ミナリアさんの指示通りに女遊びに耽ってたんすけど、『お前らしくない』と言われたっす」
「そこまでは読めなかったなぁ。こりゃ、追加の使者が来そうだねぇ」
はぁ、と大きくミナリアが溜息を吐く。
カイルド男爵領と戦争になることに、別段問題があるわけではない。どれほどの大軍との戦争になろうと、恐らく戦場にユースウェインとアーデルハイドさえ投入すれば殲滅できるはずだ。
だが、それ以降が続かない。
一時的に戦争に勝利をすることはできるだろうし、領土を奪うこともできる。だが同時にそれは、彼女らが守るべき存在が増えるということになるのだ。
そして守るべき相手は、アリスの庇護する民である。
アリスの庇護下にある限り、苦しい生活をする必要はない――そう領民が判断するのが、ベストなのだ。
だからこそ生産力を上げ、備蓄を増やし、敵国を支配したすぐ後に、食料問題を解決させる必要がある。そして、そのために必要なのは潤沢な備蓄なのだ。
「せめて二年は欲しかったなぁ。ま、こうなった以上は仕方ないけど」
「どうするんすか?」
「とりま、首脳会議。つっても脳はウチとステラくらいだけどさ」
残念な頭をしている残りの面々は、ただ同席させるだけでいいだろう。
勝手に決めると文句を言うだろうし、同席させておいて損はない。どうせ意見はしてこないだろうから。
「まーでも、あんたの怠慢でもあるよね」
「うす。書類の改竄をきっちり行っておけば、バレることはなかったっす」
「罰として暫く謹慎。ティル・ナ・ノーグ戻ってて。そこでの仕事は追って伝えるから、とりま戻りな」
「え……」
ミナリアの言葉に、顔を上げるそれ。
それは――のっぺりとした、顔のパーツが何一つない人間。ドッペルゲンガーという、他者への変身能力を持つ異形だ。
市井に潜り込むのにこれ以上の種族は存在せず、情報収集役としてこれ以上の存在はいない。だからこそアリスの許可を得て、ミナリアは十体のドッペルゲンガーを召喚し、情報を集めるよう放ってあるのだ。
だが反面、ドッペルゲンガー自体の戦闘能力は低く、人間とさして変わりない。
ゆえに、あっさり捕まってしまったのだが。
「ん、聞こえなかった? とりま、さっさと戻って」
「そ、そんな……!」
「何さ。いや、別に解雇ってわけじゃないよ。あんたらの力はこれからも使うわけだし、ちょいと反省して。それに、ティル・ナ・ノーグでの仕事もあるから……」
「では罵ってもらえないんすか!? 踏んでいただけないんすか!?」
「帰れ」
ドスの効いた声音で、冷たくミナリアはそう告げる。
種族としては非常に使い勝手がいいのだが、反面、ドッペルゲンガーは他者に変身できるという異能を持つが故の欠点があるのだ。
他者に変身するということは、己が他者になるということ。そうなると、あやふやな自我というものは見失われやすい。それゆえに、彼らは確固とした己を持つのだ。
簡単に揺らぐことのない、圧倒的な個を。
つまるところ、変態性を。
ちなみに目の前のドッペルゲンガーは重度の被虐趣味という性癖だが、別の者に至っては人形にしか恋をできない者、女性とみれば本能的に首を絞める者、重篤な者では排泄物を浴びることが好きという輩もいる。
つまり、種族揃ってド変態の集団なのである。
「ああっ! もっと罵ってください! さぁ! 踏んでください! ぷちっと!」
「……」
とりあえず、ミナリアにできることは。
早足で、その場から立ち去ることだけだった。
「戦うつもりがあるならばかかってこい。そうでないならば、そこで震えていろ。結果は変わらん……死ぬのが、早いか遅いかそれだけの話だ」
「きゃー」
「いよっ! ユースのおれのかんがえたちょーつよいきしのせりふシリーズその四!」
ミナリアは警備をしていたレティシア、巡察をしていたステラとナターシャを連れ、村外れの空き地へとやって来ていた。
本当ならば村の中央にある、有事の際における集会所を兼ねた館へ集まる予定だったのだが、本来そこで勉強をしているはずのアリスが、この村外れにいるという話を聞いたために、ここへ連れてきたのだ。
ちなみに、情報元は村長であるユキの妹、エリーである。
そしてユースウェインは何故かいつもかぶっている兜を脱ぎ、スカルドラゴンと睨み合っている。その姿をアリスとアーデルハイドが観戦している、というよく分からない状況だった。
そんな彼女らの姿を見ていると、何故か溜息と同時に安心感が湧いてくる。
「さぁ、ゆくぞ……む?」
「あ、あれ……ミナリアさん?」
「おや、ミナリアじゃないか。どうしたんだい?」
近付いたミナリアに気付き、そこでユースウェインは構えを解く。それと共に、ユースウェインの目の前にいるスカルドラゴンも、臨戦態勢を解いた。
恐らく、模擬線のようなものをやっていたのだろう。
「や、アリスちゃん、ユース、アディ」
「何かあったのか? レティシアも連れているなど、何か事件でも起きたか?」
レティシアは、基本的に村の警備をしている。
これはレティシアの『
少なくとも、他の異形に比べれば、まだ人間に近いのだ。例えば巨人や骸骨に比べれば。
「うん。ちょっと厄介な事態になってさ」
「ど、どういうことですか、ミナリアさん」
「手短に説明すると、ウチらが税を納めてないことがバレた。んで、多分新しく使者が来ると思う。その使者に対して、どう対応するか、って話なんだけど」
「……ふむ」
ミナリアの説明に、ユースウェインが顎に手をやり考える。
だが、別段何も考えていないのだろう。兜をかぶっているならまだしも、素顔だとそれがよく分かる。
「まったく……ミナリア、全部任せておけ、って言ってたじゃないの」
「そう言わないでよレティ。ウチにだって読み切れないものもあるっての」
「でも、実際これからどうするつもりにゃ?」
「……隠れ、る?」
「そりゃ無理な話だよステラ。まぁ……ウチとしてはこういう事態になったわけだし、もう暴れちゃってもいーんじゃないかな、とは思うんだけどね。野盗の相手して分かったことではあるけど、人間がどれだけ束になっても、ウチらの相手にはならないだろうしね」
「だろうね。確かに手応えがまったくないよ」
ミナリアの言葉に、アーデルハイドを中心として全員が頷く。
恐らく、ここにいる面々だけでも、この国を制圧することは可能だろう。
だがミナリアは、敢えてそれをしない。
彼女らの主は、アリスだ。
だからこそ、敢えてミナリアは遠回りに動いていた。
偉人の言葉に当てはめるならば、アリスが行うべきは『人間の人間による人間のための政治』なのだ。
ミナリアたちのような異形は、その一助となっても中心となるべきではない。
「だから、ちょっと予定を繰り上げようと思うんだよね」
だが、考えは変わった。
アリスの成長は、ミナリアの予測を遥かに超えていた。これほどまでに知識を己のものとし、そして活かせる存在に化けるとは思わなかったのだ。
そして、カイルド男爵領の領主は、僅かな税の差ですら見逃さない。だからこそ、ポロック村の仕業であると看破されたのだ。
つまり、僅かな税の滞りすら許さない。
ならば――領民は今この瞬間にも、虐げられている。そして、アリスがそれをどう思うのか。その帰結は一つだ。
「カイルド男爵領を、奪ろう」
ミナリアは、領民の苦しみになど興味はない。
人間に向ける好意など、這っている虫に与えるものとさして変わりない。
だが。
それをアリスが憂うならば、それを排除することこそが、臣下の勤めなのだから。
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