第15話 徴税官の来訪

 時は僅かに遡る。


 ポロック村へと続く、細い山路を一台の馬車が走っていた。

 あまり均されていない道であり、なるべく揺らさないように、と御者が気遣って遅めの速度で走るそれに、追随するのは騎馬が二つ。そのどちらも、武人であることがよく分かる鎧を着込んでいる。

 そして何より目を惹くのは、その馬車の豪華な外観だろう。一目見て分かるほどに贅が凝らされたそれは、一流の人物しか乗ることができないようなものである。

 そんな、華美が転じて悪趣味になっている馬車に、乗るのは御者を除く二人。


「……まったく、面倒な旅路だのぉ」


「ですな。まぁ、仕方ないでしょう。ポロック村は田舎ですし」


「ふん。このような僻地にまでわざわざ巡察に来る儂の苦労も、村人に分かってもらわねばのぉ」


 カイルド男爵領領主、アルバート・カイルド男爵に仕える徴税官、ジェームス・クラウド。アルバートの縁戚に名を連ねる彼は、現在のカイルド男爵領において全域の徴税官を任されるほどに信任されている男だ。

 それもそのはずであり、ジェームスがカイルド男爵領の領都にいるのは、月に二日もない。そのほとんどを、各地の巡察に出ているからである。それだけ職務に真面目に取り組み、そして課した税を間違いなく徴税してくる、敏腕の徴税官なのだ。そのため領主であるアルバートの覚えも良く、既に二十年以上は徴税官を任されている。


 だが実際のところ、彼は表向きは清廉潔白な官吏を装いながら、その実課した税の一部を懐に納め、巡察と称した歓待を強要させる男だ。

 されど農奴の言葉になど耳を傾ける者はおらず、また帳簿上はきっちりと税を徴収しているという成果があるがゆえに、信任を得ているのだ。その事実を知るのは、共に甘い蜜を吸う副徴税官のイグナーツ、そして御者をしている奴隷とジェームスの近衛である兵士二人だけだ。


「良い女はおるかのぉ」


「ポロック村でしたら、あの娘が良かったですな、村長の娘の……確かユキと申しましたか」


「おお、あの娘か。ちと痩せぎすではあるが、いい声で鳴いたのぉ。見目もまずまずだったか」


「確かあの娘、妹がいると申しておりましたが」


「ほほう! 姉妹一緒に、というのもたまには良いかもしれんなぁ」


 ぐふふ、とジェームズは下卑た笑みを浮かべる。

 ジェームスにしてみれば、農奴に人権などない。断ろうとすれば、税をさらに上げることを示唆する。それだけで従順な奴隷になるのだ。

 例え農奴が反抗しようとしても、彼らは武器など持ち得ない。つまり、こちらの近衛二人に勝つことなどできないのだ。

 どれほど彼らが怨嗟の声を上げようと、ジェームスはそれを聞いて笑う程度に、彼らを人間と思ってはいない。


「ジェームズ様、到着いたしました」


「おうおう、随分待たされたのぉ」


「これは、今宵は十分楽しませてもらわねばなりませんな」


「ぐふふ。さぁて、愚かな農奴の顔でも見にゆくか」


 馬車が止まり、ジェームスとイグナーツは降りる。

 当然、今日ジェームスが訪れることは知っているはずだ。毎回、村長か村長代理の者による迎えがあり、通過儀礼とばかりに税の内容を確認する。

 あとは、酒と食べ物を用いた歓待を受け、そして女を連れて寝所に入るのだ。

 これで金が入るのだから、徴税官というのはなんとも素晴らしい仕事である。


「……む?」


 だが、そんなジェームスの前に立っていたのは。

 少女、だった。


「カイルド男爵領の、税務官殿とお見受けします」


 ジェームスは徴税官だが、こういった村人からは税務官と呼ばれる。徴税と言うと、どうしても農奴は奪われるという認識になってしまうため、あくまでも税の徴収を円滑にするだけの役割、と一応名前を変えているのだ。

 もっとも、そのような行為が全く意味を失くすほどに、ジェームスは好き勝手振舞っているのだが。


「ふむ? 見慣れぬ顔だのぉ」


 ジェームスは様々な村を訪れており、中には知らない顔もいる。だが、随分と可愛らしい少女だった。

 まだ幼いが、いずれ美人になるだろうと思える見た目をしている。もう五年もすればそれなりに成熟し、食べごろになるだろう。熟していないうちに散らすという選択肢もあるな、と舐めるように見ながら、ジェームスは口角を上げる。

 だが、この場においてジェームスを迎えるにあたり、村長でもその代行でもなく、このような少女が現れるというのは、あまりに礼儀を知らないだろう。


「村長はどこにおる」


「ここにはおられません」


「ふむ……あろうことかご領主様の使いであるこのジェームス・クラウドを、このような幼女一人に迎えさせるとはな。どうやら、ポロック村は礼儀を知らぬらしい」


 さて、幾らまき上げるか。頭の中で算盤を弾きながら、少女に相対する。

 この少女は随分と可愛らしいし、奴隷として召し抱えるか、と考える。巡察の道中に連れてゆけば、面倒な移動の日々も享楽に耽ることができるだろう。

 だが、そんなジェームスの下衆な考えは。

 遥か上空からの声に、阻まれた。


「礼儀? 何それ美味しいの?」


「むっ!?」


 思わぬ無礼な言葉に、ジェームスは振り返る。

 だが、そこにいたのは。


「な……! な……!?」


「惜しい。ミナリアちゃんでーす。ナナちゃんじゃなーいよっ」


 ジェームスの三倍はあろうかという、巨人だった。

 あまりの大きさに、ジェームスの護衛も兼ねている近衛二人――武人であり、手練である二人が怯えているのが分かる。

 それもそうだろう。その姿は、あまりに巨大。

 拳の一閃だけで、ジェームスの体など吹き飛ぶのではないかと思えるほどだ。


「ぐ、うっ!? き、きさま、何者だっ!?」


「ウチはミナリアちゃん。そっちにいるアリスちゃんの仲間でーす」


「ど、どういうことだっ!?」


「んー? わかんない? ま、簡単に言っちゃうとぉ」


 うひひ、と巨躯に見合わない少女の顔立ちで。

 巨人は、可憐に笑う。


「あんたらの、敵ってこと」


 瞬間。

 近衛二人の――首が、飛んだ。


「なっ!?」


「恨まないで欲しいにゃ。大体、ミニャリアにばっかり目が行き過ぎにゃ」


 それは巨人の足元に立つ、こちらも少女と呼んで良いであろう見た目の女。

 だが、その頭には犬の耳が二つぴょこんと生えており、その尻からふさふさの尻尾が出ているのが、大きな違い。

 そして。

 その右腕に、見ただけでも鋭いと分かる、長刀が握られている――。


「んで、こいつも殺していいにゃ?」


「ああ、こいつだけは生かしておいて。いろいろお話することがあるかんね。あとは――」


 ジェームスは、イグナーツの強い視線を感じた。

 まさか、まさか、と心が揺れ動く。ぎぎぎっ、と油の切れた水車のように、首を動かすことすらできない。

 ジェームスは徴税官であり、イグナーツは副徴税官。

 こちらに完全に敵対意思を向けた相手が、必要ないと思うのはどちらか。

 それは――。


「そこのハゲデブだけ残して、ぶっ殺して」


「了解にゃ」


 イグナーツの、首が飛んだ。

 ただの剣の一閃。だが、それは目に止まらぬほどに速く、反応できないほどの神速。当然、武の心得など全くないイグナーツは、あっさりと首を斬られる。

 そして首から上を失った体を隣に置いて、ジェームスは叫んだ。


「う、あああああああああああああ!?」


「ん、いい声。でもダメ。大丈夫だよー、あんたの代わりに、あんたの見た目と声は一緒のドッペルゲンガー送るから。あんたが死んでも誰にも分かんないかんね。だからぁ」


 にたり、と巨人は笑って。

 そして、ジェームスに絶望を下した。


「しっかりと、あんたの知る全てを吐いてもらうよ」


 それは深い闇を纏った、そして慄くほどの絶望を宿した瞳。

 古来より、人に絶望を与える、そんな存在。

 人は、そんな彼女を。


 鬼と、そう呼ぶのだ。

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