第14話 夢のような現実

 エリーは、まるで夢を見ているようだった。

 生まれたその瞬間から彼女は農奴であり、作物を作り、領主に献上し、税務官の顔色を窺いながら生きてゆく。それ以外に生きる術を知らないし、そしてこれが人生なのだと諦めていた。

 生まれてこの方、腹が満たされたことはない。鳴り止まぬ腹の虫を我慢しながら夜を過ごしたことなど、数え切れない。食べられるものならば、それが雑草であれ毒茸であれ、昆虫でさえ食べた。そんな生活を送っていたからか、飢えに耐えることだけは慣れた。

 エリーの生まれた村――ポロック村よりももっと貧しい村では、働けなくなった者を間引きし、村人全員で食べる、という話さえある。そう考えれば、まだエリーの立場はマシだ。そう考えて、日々を生きてきたのだ。

 だから。

 こんな現実は、エリーの知っているそれではない。


「……姉さん」


「どうしたの、エリー。お腹、減ってないの?」


「……ううん」


 生まれてこの方、腹が減っていなかったときなどない。

 僅かな食料だけで日々を生き、僅かな備蓄すら残すことができず、凶作になれば兄弟が人買いに売られる――それが、今までのエリーの家だった。

 両親が倒れてからは農業の効率も悪く、朝から晩まで麦畑にいることすら珍しくなく、そして一生懸命に作った麦の八割は税務官へと供出せねばならず、残った麦の八割も、税務官を歓待することに使われたのだ。どれほど作ったところで、その手元に残る麦は、僅かなものだったのだ。

 だから、今、エリーの目の前にある。


 皿に載せられた山盛りのパンなど、かつて見たことがない。


 加えて、その隣にあるのは葉野菜を煮たものだ。そして、芋がたっぷりと入ったスープもある。それは少女とはいえ、成長期のエリーの腹を満たすには、十分すぎるものだ。

 だが、それを見て喜び勇んで食べ始めるほどに、エリーはものを知らないわけではない。


「エリー」


「姉さん、嫌だ。私は、姉さんと……!」


「人買いから金を得たわけじゃないわよ」


 これほどに豪勢な食事が並ぶのは、それが最後の晩餐であるならば納得できる。

 エリーにとって、この料理はご馳走だ。年に一度の祭りですら、これほどの食事はできない。

 だけれど、そうではなく。


「……まだ、たくさん備蓄があるのよ」


「――っ!?」


「今日ね、税務官に渡すはずだった作物の備蓄を、村の皆で分け合ったの。均等にね。父さんと母さんにも、ちゃんと麦粥を作ってあるわ」


「そ、そんなこと、して……!」


「エリーも見ていたでしょう? あの人たち……人、って呼んでいいのかしらね? まぁ、あの人たちが、私たちの領主になったの。そして、暫く無税で構わないと約束してくれたのよ」


 それは、エリーも聞いていた言葉だ。

 だが、到底そんなもの信用できる言葉ではない。税務官だって、表向きは聞こえのいいことばかりを言っているのだ。だからこそ、あのように振舞ってこちらの信用を得ながら、圧制を受けるのが当然だと思っていた。

 でも、現実はこのように。

 エリーの前には、飢える必要がないほどの食事が並んでいる――。


「じゃあ、姉さん……」


「ええ。もう飢える必要はないの。私たちは、私たちの作ったものを食べられるの」


 涙が、つっ、と頬を流れる。

 そして、エリーは本能のままにパンを手に取った。

 焼きたてのそれから、小麦の甘い香りが沸き立ってくる。


「おい、しい……」


「温かいうちに食べなさい。私は父さんと母さんに、お粥を出してくるわ。ちゃんとした食事さえできれば、きっと二人とも、すぐに良くなるわよ」


「う、ん……!」


 泣きそうになりながら、エリーは山盛りのパンをひたすらに食べる。

 それは、かつてないほどに彼女の腹を満たし、心を満たしてゆく。

 それをエリーに与えてくれたのが、人間だとはとても思えない異形であっても。

 エリーは――感謝の言葉を重ねながら、ひたすらに食べた。








 それからは、驚くことの連続だった。

 毎日のように出てくる、豪華な食事。備蓄を他の家と交換して、エリーは生まれて初めて肉を食べた。痩せ細った牛の肉だったけれど、それでも噛めば噛むほどおいしかった。

 そして病床より復活した両親と共に、ある程度余裕のある農業を行うことができるようになった。だからこそ、ミナリアという、領主の一行の中の首魁らしい人物(?)から、新たな土地を任されるようになった。そこで働いていたのが銀色の巨人と、首から下が骸骨の少女、そして全身骸骨が二十体と、悲鳴を上げざるをえない面々だったが、どうにか耐えた。

 それ以上に驚きだったのが、ポロック村の周囲が、異常な速度で開墾されていることだ。


 本来、開拓というのは過酷な労働である。

 生い茂る木々を、まず伐採しなければならない。そのためには木を切るための道具が必要になるのだが、農奴は金属の農具など持っていないのだ。だからこそ、不恰好な石斧を用いるか、壊れやすい木斧を使うしかない。そして、そのような道具で木を伐ろうと思えば、それこそ何日かかるか分からないだろう。

 そして木を切れば、そこに切り株が残るのは当然だ。この切り株というのは、地中に根を張り巡らせているため、そう簡単に引き抜くことができない。そのため切り株の撤去というのは、必死に掘り起こして張り巡らされた根の一つ一つを引っ張るという、かなりの重労働なのである。

 だから、農奴はある程度自分の畑を持っているならば、開拓などしないのだ。

 開拓をすることで自分の農地の管理ができなければ、それこそ本末転倒なのだから。


 だけれど――エリーの目の前に広がるのは、広大な農地。

 そこには何も植えられておらず、しかし土壌の整備は行われている。まさに、農奴にしてみれば、新天地と呼ぶ以外に何もない。


「名を名乗れ」


「は、はいっ! 村長を代行させていただいていますユキの妹、エリーと申します!」


 そこにいた白銀の巨人が、威圧的な口調でそう聞いてくる。

 巨大なその威圧感に震えそうになりながらも、エリーはしっかりと受け答えした。この白銀の巨人は、敵ではない――そう考えて、必死に恐怖を押し込める。


「ふむ……村長代行のユキの血縁ということは……この一帯だな。ここに、貴様はこれからカボチャを植えて育てろ」


「カボチャ、ですか……?」


 あまり聞いたことのない作物の名前に、そう困惑する。

 確か、蔓の先に実がなる野菜だったか、くらいの認識しかない。何せ今まで、エリーは麦以外に作ったことがないのだ。


「耳慣れぬ作物だろうが、出来は別段問わぬ。ミナリア曰く、土壌に合う作物が何になるのか実験しているそうだ、枯れたところで罪を問うわけではない」


「は、はいっ!」


 よく分からない。だが、エリーは自分の三倍ほどもあろうかという体躯の白銀の巨人から、種を受け取る。

 あとはエリーがこれを植えて、毎日しっかり管理すればいいだろう。


「あとは……向こうにキャベツと、その向こうにジャガイモ、か。ふぅ……ミナリアめ、俺にばかり雑用を押し付けおって……」


 白銀の巨人がそう呟きながら背を向け、去ってゆく。

 広大な農地だが、どうやら範囲は決まっているらしく、農地と農地の間に柵がしてある。 その範囲を確認する限り、エリー一人でも十分に管理はできるだろう。

 麦畑は、ユキと両親に任せればいい。

 村長代行という重責にあるユキを、エリーも助けたいのだ。そのためなら、身を粉にして働かねばならないだろう。


 これまでの、生きているのに死んでいるような仕事の日々。

 そんな日々は終わりを告げ、エリーは自分のために、家族のために、働くことができる。

 それは幸せであり、生きている証にすら思えた。

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