第2話 指針

 ユースウェイン・シーウィンドはティル・ナ・ノーグにおける、一種の貴族のような立場にある。

 それというのも、古来、『建国王』と称されし偉大なる王がティル・ナ・ノーグを建国し、それに付き従って数多の戦場を駆けた十の家臣――のち、『十信徒』と呼ばれる一人を、その祖に持つからである。


――『建国王と十信徒』


 その歴史を紐解けば、それこそ想像するのも馬鹿らしい時間がかかる、ティル・ナ・ノーグ建国の歴史を描いた一冊の本。それに出てくる『十信徒』は、俗にこう称される。


『闇の宰相』

『華の将軍』

『壊の尖兵』

『紅の番人』

『狂の奏者』

『焔の鳳凰』

『雪の槍士』

『智の妖精』

『剣の白狼』

『時の操手』


 このうち、ユースウェインの祖にあたるのは、『華の将軍』。

『建国王と十信徒』のみならず、様々な童話や寓話、また戦史に登場する『建国王』の右腕とも呼べる存在である。

 かつて、『華の将軍』は世界でも有数の力を持つ存在であり、しかし誰の下にもつかず誰も下に率いず、ただ一人孤高に生きた存在だった。

 そんな『華の将軍』が『建国王』と出会ったのは、王となる以前の記録が何一つ残っていない『建国王』が、歴史にその名を現してすぐのことだった。


――ある日の昼下がり、『華の将軍』はいつも通りに花に水をやっていた。


――そんな『華の将軍』の前に、突然現れた男性。


――しかし、『華の将軍』は驚きもせず、ただその男性に向けてこう言った。


――「お待ちしておりました、王」


――誰にも傅くことなく、誰とも侍ることなく、ただ孤高に『華の将軍』が在ったのは、己の従うべき相手を既に知っていたからなのだ。


『建国王と十信徒』における、『華の将軍』と『建国王』の最初の出会いは、こうある。その後、『華の将軍』は様々な戦地を『建国王』と共に訪れ、まるで戦場を走る台風の如き活躍をしたという。

 特に、『悪魔の王』の切り札とも言われていた『虹の魔術師』を相手に、敵に全ての魔術を使わせながら己は無傷でただ立ち続けたという有り得ない逸話さえ残っている。

 その活躍については枚挙に暇がない。


 だからこそ、ユースウェインは憧れた。かつてこの地を治めた『建国王』が、まだその名前すらも歴史に刻まれない頃より付き従い、そして統一を果たしたという歴史。それは間違いなく、騎士として最高の誉れとさえ言えるものだ。

 だからこそ、ユースウェインは騎士になりたかった。自分も偉大なる祖のように、王に相応しい存在を支え、共にあり、そして歴史に名を刻みたい――幼少の頃に宿ったその想いは、それより年を重ねても燻ることはあれ、消えることはなかった。


 しかし、現実というものは残酷だ。

 ユースウェインが『建国王』に付き従った『華の将軍』のように、ティル・ナ・ノーグに名を刻もうと思えば、それは『建国王』の歴史を否定し、王位の簒奪を起こさなければならない。そんなことは、不可能に決まっているからだ。

 新たなる統治の大地を求めて旅立ったとされる『建国王』。そして、このティル・ナ・ノーグは王政でありながらにして、『建国王』が旅立って後、誰一人王となっていない不思議な国なのだ。それは、『建国王』以外に王とする相手はおらず、ティル・ナ・ノーグの王は『建国王』以外に有り得ない、という国民の総意でもある。だからこそ、ユースウェインにその手は諦める他なかった。

 では、どうすれば主の騎士となることができるか。それも、『建国王』のように何の力も持ち得ない状態から歴史に名を刻むまで、共に侍ることのできる相手――そう悩んでいた時、まるで天啓のようにユースウェインは閃いた。


 異世界に召喚をされれば良いではないか、と。


 数多くの平行世界あれど、このティル・ナ・ノーグのように誰一人不満を持ち得ない統治というのは、他にあるまい。戦国の世であるならば立身出世をしていけばいい。腐った権力が邁進している世界であるならば、反乱を起こせばいい。暴君が支配する世界であるならば、その王位を簒奪すればいい。そう考えて、ユースウェインは職業安定所の扉を叩いた。

 魔力マナ量という不安要素こそあったものの、現在はアリスという名君の素質を持つ少女を前に、こうして傅くことができている。


 ユースウェインは、心が高揚してゆくのを感じた。

 忠義の士。主に忠誠を尽くす騎士。何度も何度も夢物語に見てきた、理想の騎士の姿。今、まさに自分がそれになっているのだ。


「では我が主よ。どのようにして、我が主はこの国における皇帝を目指すつもりか」


「え」


 先ほど、高らかに宣言した皇帝になる、という発言。

 ユースウェインが無理やり言わせた感はあるが、しかし間違いなくそれはアリスの言葉だ。そしてアリスの指針が自身の王位であるならば、それを得るためにユースウェインは何とでも戦う覚悟がある。

 かつて『建国王』に仕えた祖先、『華の将軍』のように。

 ユースウェインはアリスを生涯の主とし、忠義を以て仕える。

 だが。


「己の無知を晒すようだが、我はこの世界について何も知らぬ。我が主は何と戦い、何を打ち倒し、何をもってして皇帝たる存在となるか。その存念を伺いたい」


「え……えっと……」


 だが、アリスは言葉に詰まる。

 勢いで皇帝になる、などと言ってしまったが、元々ただの農家の末娘であるアリスに、そんな知識などない。遥か天上にそういう偉い人がいるのだろうな、くらいしか考えていなかった。そもそも、農家の末娘が皇帝を目指すなど、異常な考えでしかない。

 ヴィーゼル皇国には明確な身分の差が存在する。


 最上に皇帝、その下に貴族、その下に市民、最下層に農奴だ。一部例外は存在するが、基本的にはその四身分のいずれかに該当する。

 そして農奴の末娘であるアリスの身分は、同じく農奴だ。

 元々農業を生業とする家は貴族から土地を借り受け、農業を代わりに行い、その代わりに土地を借りている代金として作物を献上しているのだ。そして農奴となった人間はその子も、孫も、子々孫々農奴として生きることになる。

 つまりアリスは生まれながらの農奴であり、農業をして出来た作物を貴族である領主に献上することは、当然のことだと教えられてきた。

 そんなアリスにとって、遥か天上に存在する最上の身分――皇帝。

 なる方法など、知るわけがない。


「ご、ごめんなさい……分かりません」


「無知は恥ではない。学ばぬことは愚かなれど、知らぬことはこれから知れば良い。うむ、我もまたこの世界について知らぬことが多々存在する。ならば主と共にそれを学ぶのもまた良い」


「は、はい……」


「では主よ。今宵はこの近くで休むとしよう。このあたりに安全な場所はあるだろうか」


「えっと……それも、分かりません」


「ふむ」


 ユースウェインは顎に手をやる。

 出来る限り、己の主には安全な寝所を用意したい。それにアリスは『ワタリ』という特殊な出生であるために規格外の魔力マナを保有している存在であり、アリスを失ってしまえば他にユースウェインを御せる者など存在しないだろう。だからこそ、少しでも安全な場所を提供するのは当然だ。

 だが、アリスをティル・ナ・ノーグに連れていくわけにはいかない。あくまでティル・ナ・ノーグの民が行う助力は、その世界における戦力となることなのだ。


 だが、ここで問題が一つ。

 ユースウェインがこの世界にいられるのには、時間制限があるということだ。

 カエル顔の職員曰く、七十二時間が最長。そして七十二時間を経たら、八時間以上は必ず休まなければならない。仮に現状のままで七十二時間を過ぎ、ユースウェインが帰らなければならない八時間の間に、アリスが何者かに襲われてしまう可能性もある。そしてアリス自身には戦う力はない。

 ならば、せめてユースウェインがいない間、アリスを守ってくれる者が必要となる。


「では、主よ。我が肩に」


 ユースウェインがゆっくりと屈む。

 その肩に乗るように、と手で示す。鎧のため乗り心地は悪いだろうけれど、少しでも早く森から離れるべきだ。森には野生の獣もいるだろうし、アリスの村を襲ったという野盗がいないとも限らない。

 そのためにも早急に、せめて屋根のある場所を見つけなければならない。安全な場所さえ見つければ、一晩くらいはそこに隠れることができるだろう。

 七十二時間の間にせめて、アリスの身が安全な場所まで案内する――それが、この場合における騎士として最も必要なことだ。


「え、えと……」


「武骨者ゆえ、乗り心地は悪いやもしれぬ。だが、主のその身ではここからさして離れることはできまい。さ、我が肩に」


 ユースウェインの差し出す右手を、おずおずと握るアリス。

 ユースウェインはそれを肯定と認め、そのままアリスの背丈の倍はあろうかという巨躯――その肩へと、アリスを乗せた。


「では――走るぞ、主よ」


「は、はいっ!」

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