第1話 決意

 突然現れた白銀の騎士に、アリスは戦慄を隠すことができなかった。

 その巨大な体躯と、白銀に輝く鎧。ただの農家の末娘でしかないアリスにとってはあまりにも異質で異常な存在であり、例えそれが目の前で傅いていたとしても、到底恐怖を隠せるようなものではない。アリスは半ば、自分が夢を見ているのではないか、と現実を疑いながら正気を保っていたも同然だった。

 白銀の騎士――ユースウェインは、傅いたままで微動だにしない。夜半の森で、小さな娘を相手に頭を垂れる騎士というのは、傍から見ればどれほど異常なのだろうか。


「……ユース、ウェイン、さん……?」


 恐る恐る、アリスはそう尋ねる。そんなアリスの問いかけに対して、ユースウェインはゆっくりと頭を上げた。

 横に溝が入っているだけで、その奥は知れない鉄板のような兜。当然ながら、アリスにその表情を窺うことはできない。


「主よ、我に敬称は不要。ユースウェイン、と呼び捨てて頂いて結構」


「……そ、そういう、わけには……」


「我は汝の騎士である。我が主よ、敬意を示し忠義を示すは我が身。されど、卑しい我が身に対しての慈悲深い御心、改めて我が忠誠を捧ぐに値する人物と見受ける。このユースウェインの忠誠をここに誓おう。ゆえに、主の名をお教え願いたい」


 その動作は、洗練された騎士のもの、と十分に言える雅なものだった。膝を折り、武器を置き、右手を出して示すのは敵意が無いという証であり、女性をエスコートするにあたっての騎士の所作と言えるだろう。

 もっとも、体格が倍ほども違うために膝を折っても目線はユースウェインの方が大分上であり、かつ示された右手はアリスの頭を握りつぶせるのではないか、と思えるほどに巨大なものだったけれども。

 ゆっくりと、アリスはその右手へと自分の左手を乗せる。握手――というわけではなさそうだが、ユースウェインが求めているのは、アリスの左手なのだとなんとなく思ったからだ。


「……えっと、その、アリス……です」


「承知した。アリス様、このユースウェインは汝の騎士。いつなりともご用命を」


 アリスが手を離すとともに、ユースウェインは再度右手を地面へと付ける。右膝をつき、左腕を左膝に乗せ、右手をついて頭を下げる――それは完璧な騎士の所作だ。ユースウェインが、アリスに対して心から忠義を尽くしていると示す、流麗な動きである。

 だから――アリスの心に、黒い炎が宿る。


「……なんでも、してくれるん、ですか……?」


「我が主の命であらば、何なりとも」


「……人を殺せ、と言えば……殺してくれるんですか……?」


「例えそれが万の軍勢であれど、我が身を賭して必ずや」


 アリスは、力が欲しいと願った。それは野盗に家族を殺された憎しみが昇華し、強い想いと化したもの。ただの農家の末娘が持つには、あまりに過ぎた妄言でしかないはずだった。

 だけれど――今、ここにはアリスの『力』がいる。

 人間よりも巨大な何か。それが異形の代物であると分かっていても、抗えるものではない。憎しみの灯火は既に業火となり、アリスの心を埋め尽くす。

 この『力』が――ユースウェインが、いれば。


 家族の仇を、討つことができる――!


「……じゃあ……殺して、ください……!」


 その奔流は、止まらない。何よりも憎い敵。アリスの平和を壊してきた野盗。家族の命を不条理に奪い取った悪魔。

 彼らを、殺せるのなら――!


「あいつらをっ! わたしの大事な家族を殺した! あの盗人どもを殺してっ!」


 ただ、感情のままに叫んだ。

 アリスの目の前にいるユースウェインは、何も悪くない。むしろ、これからアリスの復讐を果たしてくれるこれ以上ない味方だ。だというのに、まるでユースウェインを相手に憎悪と憤怒をぶつけているかのように、アリスは叫ぶ。

 それに対し、ユースウェインの答えはただ一言、短く。


「承知」


 そう、肯定した。

 そして、ゆっくりとユースウェインは立ち上がる。その右手には漆黒に紅の走った槍。その左手には、まるで花弁を模した盾。堂々たる威風に、僅かにアリスは気圧される。


「では我が主よ、主の村を襲いし野盗を殲滅せよ、という命令で相違ないか」


「……は、はい」


「確認しておこう、主よ。では野盗を殲滅せしめた後、主は何を為す?」


「……へ?」


 ユースウェインの問いかけにアリスは一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 野盗を殺す。それがアリスの得た力の使い道だ。家族の仇を討ち、彼らにも命で贖わせる。それ以外の目的など無い。


「我は人に非ず。人間の群れなど、千を相手にしようとも我が身に傷などつかぬ。主の村を襲いし野盗の殲滅など、刹那の時もあれば十分に片付く。だが主よ。我が身に求むは、それだけか?」


「……それだけ、って……?」


「野盗を殲滅したとて、何処かで別の野盗が生まれ、同じくして襲われる村があろう。その度に、汝のような人間が絶望に身を焦がそう。その度に、野盗に対する憎しみに囚われよう。されど、我が身を得た主のように、その仇を討つことは容易ではあるまい」


 ユースウェインはゆっくりと続け、そして彼方へと向けて槍を翳す。漆黒のその先端が、鈍い光を放つように見えたのは、アリスの気のせいか。


「慈悲深き我が主よ――平和が、欲しくはないか」


 平和。

 それはつい数刻前まで、当たり前のようにあった言葉。現状を何も知らない子供だったアリスが、謳歌していたもの。

 野盗がい続ける限り、どこの村にも同じような不幸が訪れる。食べられなくなった村は野盗となり、さらに食べられない村を襲う。憎しみに囚われた者は、同じく人から奪うようになる。それは――負の連鎖とさえ言えるだろう。


 ならば、アリスには何ができるのか。ユースウェインは、それを問うているのだ。

 そして、それは奇しくも、アリスが望んだことではなかったか。


「欲しい……欲しいに、決まってる……!」


 アリスは願った。力が欲しいと。

 憎い野盗を皆殺しにできる力が。

 父も母も兄も姉も守れる力が。

 領主を縊り殺し首を取る力が。

 皇帝をも倒せる力が。

 世の中を、変えることのできる力が――!


「では、何を為す――我が主よ」


「わたしが……皇帝になる!」


「良い――ならばこの従僕は、冥府の果てまで共にあることを誓おう」


 これが、始まり。

 ただの村娘でしかなかった少女が、ヴィーゼル皇国における最高権力者たる皇帝を目指すという、荒唐無稽で無茶苦茶で、馬鹿馬鹿しく鳥滸がましい願いを抱いた夜。

 誰に話したとて、馬鹿にされる以外にないだろう。正気を疑われるに決まっている。親身になってくれる者がいるならば、診療所を受診することを薦められるかもしれない。


 だが――これが少女の、ヴィーゼル皇国を変えた夜だった。

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