第七服 光発若府
逢ひ見てし後瀬の山の後もなど
通はぬ道の苦しかるらん
良寛禅師 良寛歌集
陽射しが肌をやわらかく刺していた。室町時代は寒冷期だった江戸時代に比べるとやや温暖であるが、応仁以降少しずつ気温が下がり始めている。とはいっても、体感ではっきりと分かるほどではなく、現代と大きく変わりはない。土肌が多く露出しており、街内も外も緑が豊富で風通しが良いため、体感温度が大きく違っていた。ジリジリとした陽射しであっても、暑いほどではない。風は寒気をはらんで乾いており、心地よく暑気を払ってくれるからだ。晩秋から初冬になろうとする
霜降というのは二十四節気の第十八、晩秋の中気の十五日間のことを指す。秋の終わり最後の半月で、
昨日までは秋の長雨が冷たく降り注ぎ、今冬の寒さを予感させていた。
若狭国は
若狭の国府は遠敷郡
北から
北国街道の難所木ノ芽峠が越前との国境で、野坂岳から三国山を経て赤坂山への峰が連なる。大日岳から三十三間山と連なり、駒ケ岳から百里ヶ岳へと広がる山々が近江との国境となり、三十三間山と駒ケ岳の間の熊川と近江の保坂が山を隔てて繋がっていた。西に広がる丹波山地は
海賊というのは、交易を行う
室町前期に若狭を治めていたのは一色氏であった。元々、一色氏は足利氏の一門で、足利高氏の挙兵に参加。その与力として名を馳せる。さらに、
空位となった若狭守護に、一色
しかし、そこには厳しい現実が立ち塞がる。一つには斯波義種の守護時代に、南朝方だった山名
もう一つは、室町幕府成立後、一色範光まで守護がのべ十六人に及び、平均在任は二年未満という状況であったため、国人たちと守護に信頼関係が構築できず、当然のことながら守護に従わず、反抗的な行動を取っていたことであった。
範光は義弟で阿波小笠原氏の在京家当主である幕臣の
詮範の子・
四代続いた一色氏の若狭支配も、
信栄以降の若狭武田家は室町幕府における武田家の在京惣領家である。幕府の信任を得て、武田家累代の官途名伊豆守を名乗る嫡流として屋形号を許された。若狭・丹後は小国とはいえ、畿内に近い。畿内で二国の守護を担う大名は他に、管領家の細川氏――畿内では摂津・和泉・丹波の三ヶ国の守護――と畠山氏――畿内では河内・大和の二ヶ国の守護――以外にはない。このことからも若狭武田家が如何に幕府から信任されていたかが見て取れる。
この頃の甲斐武田家は信虎がようやく甲斐一国を統一し、信濃への足掛かりを模索している程度である。甲斐武田家がのちに名乗る屋形号は元々若狭武田氏のものであった。若狭武田家と管領細川氏との繋がりは元光の父が細川勝元より一字拝領して元信を名乗り、細川政元に与して義晴公の父・義澄公を奉戴したことで特に強くなった。
政元歿後の永正の錯乱では
信栄の若狭入りには
海賊衆を掌握し、一門として重きを為せば勢力を拡大させるのは当然である。家中一を誇った逸見氏であったが、
その後、義稙公が出奔し、高国が義晴公を擁立したことで
元光も兵を督卒するために在京したのであるが、同
若狭守護
小浜から国境の
そこを一〇〇〇もの軍勢が南下している。昨日までの雨が街道脇の地面を
元光が瞬く間に領国体制を整えたことで高国は北陸道と山陰道に通じる後背を固めることができ、その視線を南に向けることができた。
高国陣営は、西は摂津で細川讃州家と対峙、南は和泉で細川刑部家と対立している。北は武田元光が若狭を抑え、越前には朝倉孝景が、丹波は波多野元清が固めていた。東は近江に将軍相伴衆の朽木稙綱、そして近江半国守護の六角定頼が控える。ただし、近江は浅井亮政が台頭著しく、情勢は不安定だが、高国に直接の影響はない。それ故の元光の上洛であった。
脇に控えていた近習がすっと馬を寄せる。元光の物言いたげな視線を察してのことであろうか。
「御屋形様、京は三年振りにございますな」
「ああ、久し振りだ。……そういえば、
孫四郎は、粟屋
勝春が言った「御屋形様」というのは足利将軍家から屋形号を許された大名だけに用いられる呼称で、正式には「武田屋形」という。武田氏の惣領であると幕府から認められていることの証であった。
「父が京に居りましたのは
「左様であったな。
元光は感慨深く幾度となく頷いた。
四郎左とは武田信親が粟屋親栄につけた
勝春は唇を一文字に結んで何も言わぬ。亡父の死を悼んでくれる主君を有り難く思うものの、口さがない者たちから言い放った数々の侮りの言葉に対する怒りが口を突いて出そうだったからだ。これは親栄の家中での地位に比して粟屋党内での立場の弱さを表している。それもその筈、
「亡き父に代わり、御屋形様に
「そう気負うでないぞ、孫四郎。先ずは戦に出たらな、生きて帰ることよ。生きて居らねば恥を
そう。立場を失った元光の父・元信は丹後守護を解かれ、若狭侵攻を狙う一色氏を警戒して若狭に下向した。そして、義晴公に供奉して京に凱旋したのである。一時の恥など、犬に喰わせてしまえばよいのだ。
「命を懸けてはなりませぬか」
「いや、そうではない。懸けるべきときを見誤るな、ということよ」
元光は試すかのように勝春を見た。
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