第六服 二虎競食
今日はまた咲き残りけり古里の
あすか盛りの秋萩の花
慈照院集 足利義政
義晴公の
畠山家は、総州家と
初めは聡達丸や虎益丸も世情の話に加わっていたが、畠山義宣挙兵の噂に及ぶに従って静かになり、じっと耳を
「やはり、河内の火種に備えねばなるまいのぅ」
「父上がお出ましになるほどのことでは御座いますまい。ここは
高国の右に
「ならば兵三〇〇〇ほどを率いてもらおうか」
「はっ!
稙国が高国に向き直って一礼した。大言壮語した稙国であるが、若さゆえか、
(まだまだよのぅ……)
そう心の中で思いながら、養父であった政元のことを思い起こす。稙国にはもう少し感情を抑え視野を広く持ってほしい所ではあるが、若き頃の高国も政元の目にはそう写っていたのかもしれぬ。いや、あの養父に限ってそんなことはあるまい、と思い直した。事実、政元は毛ほどの関心も高国には寄せず、
「
「されど!」
手柄を見逃せと言われているようで納得がいかぬのであろう。稙国が膝を乗り出して、高国に迫ろうとするので、手を前に出し
「そう逸るな、
「左様、左様。甥御殿は次の京兆家の当主でござる。槍働きなど、家来らのするものぞ」
六郎は京兆家当主の通名である。家督すれば六郎太郎ではなく六郎と呼ばれることを意識しての呼び方だ。稙国の自尊心を
高国の
「虎益叔父上! 大人の話に口を挟むな!」
「よいよい。今は身内しか居らぬ。虎益も早く元服させてやらねばのぅ」
「甥御は叔父の話を聴くものじゃ~」
高国の手前、叔父上と付けたものの、虎益丸が勝ち誇って
「二人ともいい加減にせよ。……とみに
此度は、畠山稙長の後詰が目的だ。戦をするのは稙長である。それに、畠山義宣が挙兵するとすれば、地盤の強い奥河内――
(
最も信頼する香西元盛は猪武者であるが故に、戦功も多いが怪我や兵の消耗も大きい。こうした駆け引きには向いていない。細川尹賢に属いて戦を重ねた柳本賢治ならば、適切な対処が適うだろう。
(あとは……)
二人の抜けた穴をどう埋めるかであるが、ここは義晴公の信任厚い武田元光に警固を頼むのが最善であった。それには義晴公から書簡を出してもらうのがよい。
(儂からは
高国の意識は河内に向いた。
河内国は、現在の大阪府南東部に位置する国で、河内源氏――清和源氏の嫡流が本拠とした国であった。源氏の本拠は石川荘にある。
旧くは和泉国を含む国であったが、
古代に淀川・大和川から流入する土砂が堆積して広がって潟湖を形成し、
国内は、北河内の
この地に畠山氏が入ったのは畠山
ただし、畠山国清は足利義詮と対立し、畠山家は弟の
西軍であった義就流畠山総州家は、応仁の乱の最中に山名宗全と細川勝元が死去したのち、細川政元によって東・西両軍の講和が進められる中、畠山義就が講和に反対し、
義就の跡を継いだ畠山義豊は
義豊の子・畠山義英は細川政元に助力を求め、その後援の元、畠山尾州家との戦いを優勢に進めた。しかし、薬師寺元一の乱が起き、義英を支援した赤沢宗経が放逐されるに及んで、関係に綻びを見せる。畠山尾州家の尚順が和睦を申し入れると義英はこれを受け、結果、細川政元と対立、政元に攻められ高屋城を失った。義英は
東軍であった政長流畠山尾州家は在京したままで、応仁の乱の後、山城守護となった畠山政長が管領に就いた。しかし、
紀伊に逃れた尚順は、
同年二月、父の宿敵である畠山義英に高屋城を包囲され、三月に城を落とされて逃亡したが、五月に高屋城を奪い返し、義英を大和へ追放した。同年六月から十月にかけて、高国と協議の上で大和に介入し、尚順派と義英派に分かれて争っていた筒井順興と越智家栄を始めとする大和国人衆を和睦させ、大和への影響を保つ。
錦部郡長野にある
直ちに稙国を送り出した高国は、武田元光に軍催促の書状を出す。義晴公には、武田元光に在京して京の警備を願ってほしいと申し出て、書簡を添えていただいた。下命させては元光の反感を買うだけでなんの益もない。
(武田家は将軍家に対する忠誠心が高い。どんなに離れようと発心寺殿が画策しても、家臣共がそうはさせまいよ)
高国は一人
数日後の夕刻、稙国からの知らせが届いた。畠山稙長が敗走したという。畠山義宣は高国の予想とは異なり、東高野街道を使わず、中高野街道へと進軍する。これは明らかに罠であったのだが、稙長は誘い出されて和泉野田で伏兵に遭い、畠山義宣に敗れてしまった。しかも、稙国の着陣前に高屋城は戦らしい戦もせずに落城、義宣が入城してしまい、稙長は大和へと落ち延びた。
「なんということよ……」
高屋城に入れなかった稙国は、八尾城に入り畠山総州勢が高屋城より北上せぬよう警戒しているという。稙国はそれで良いが、転戦させる予定であった香西元盛と柳本賢治がそこに足止めされていることが問題だった。本来ならば、錦部郡の日野に稙長が攻め入り、稙国はその後詰めをする役割である。義宣を稙長が敗れば、そこから香西元盛と柳本賢治の両人と細川晴宣の軍勢で挟撃体制を整えることが出来たのだ。このままでは晴宣の手勢が手薄になってしまう。かといってすぐに増援に出せる手駒はない。
ならば、城の守りを稙国に任せ、二〇〇〇を残し、香西元盛や柳本賢治は直属の兵一〇〇〇のみを率いて晴宣の援軍とするしかなさそうだ。
二人が居らずとも、守備だけならば稙国だけでどうにかなる。総州勢の北上は警戒せねばならぬが、奴らの意識は稙長が落ち延びた大和に向いている。何故なら元々総州家の地盤であった大和は赤沢朝経に奪われ、朝経の死後は尾州家に横取りされている。取り戻したいと考えない方が不自然だ。
つまり、この余勢を駆って八尾城や若江城に攻めてくることは考えにくい。大和に侵攻するためにも、まずは勢力の維持――すなわち国人らとの関係の回復を優先するであろうからだ。
「ならば、まだ手はある!」
大内義興が去って以後、高国の政権はなかなか安定しなかったが、ようやく落ち着きを見せたばかりなのだ。世の中を理解せず、
「左馬助を
稙国は八尾城から動かさず、義宣を排除するのと同時に岸和田城の細川元常を除かねばならぬ。義宣の蜂起と元常の岸和田城復帰は連動しているに違いない。ならば、尹賢にその繋がりを断たせればよいのだ。
(このまま
澄清とは澄元の実子・六郎のことである。本来、京兆家当主の仮名である六郎を公に名乗っており、将軍家より一字拝領も受けられず、当主の通字も用いられず、六郎
「必ずや、あのわからず屋どもを逐って、義晴公の許に天下泰平を成し遂げて見せる!」
高国の想いは唯一つだ。養父政元が起こした将軍家の分立を解消し、幕府の威光を取り戻すことである。そのためにも、六郎には負けられなかった。
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