第八服 光宿朽館
足引の山に生ひたるしらかしの
知らじな人を朽木なりとも
朽木谷――ここは近江
近江は日本最大の淡水湖である
別名
湖を中心に南側を
国力等級は
軍勢の中央よりやや前方に馬を進める武田元光と
「朽木様も、御屋形様との再会を心待ちになさっておいででしょう」
「だといいのだが、な。
勝春のいう朽木様とは、佐々木
朽木氏は高島郡に根を張る高島七頭の一つで、高島七頭とは、
清水山城の高島氏 越中守
平井城の平井氏 能登守
永田城の永田氏 伊豆守
朽木城の朽木氏 出羽守
横山城の横山氏 佐渡守
田中城の田中氏 伯耆守
五番領城の山崎氏 下総守
のことである。山崎氏を除いてすべて同流の西佐々木氏だが、山崎氏も佐々木氏ではある。高島氏が惣領であったが、若狭街道を擁した朽木氏が勢力を大きく伸ばし、高島氏を凌ぎはじめていた。高島氏・永田氏・朽木氏は兄弟分で、平井氏は高島氏の分流、横山氏と田中氏は朽木氏の庶流にあたる。
先々代当主
「色々と難しい時代よな……」
元光には祖父国信のように将軍家を支えていればいい時代ではなくなっている感覚があった。それは凡そ間違いではあるまい。国信がそうしたように、父元信も在京が多く、度重なる出兵に民の不満が溜まり、さらには国主不在で在地支配の箍が緩み、一揆を引き起こしそうになったこともあった。細川高国が大内義興と結び、義稙公を推戴した辺りから、義澄派であった元信は京を辞した。伯父信親は義稙派であり、義稙公を率先して推戴している。信親の歿後、家督を継いだ父も将軍家を支えようとしていたし、元光もそれで畿内が平穏になるならば我が身の労苦など惜しみもしない。しかし、時代は最早足利家を推戴して立て直せるような状況ではなかった。幕府の求心力はほぼ無くなり、有力大名である細川京兆家に推戴されねば維持できない上に、その細川京兆家が分裂して争っている。それ故、積極的に幕府に関わろうという気は元光には無かった。それよりも、独立独歩できる体制を整えることに奔走している。
大名という立場から見れば、半独立の国人衆など目障りなだけである――という考えを元光も持っていた。武田氏とて、国人衆の仕置に苦労している。ましてや、同格の分家が多い近江はまとめ上げるのに気苦労の多いことだろうと六角定頼に同情もする。若狭武田氏とて、反抗的な逸見氏に手を焼いているのだ。一門衆といっても、当主が
「あと
押し黙った元光に勝春が饒舌に父との思い出を話す。それでも
「御屋形様、如何なさいましたか?」
「いやな……いつまでこんな世が続くのかと思ってな」
応仁の乱――
「戦のない世など、どうしたら訪れるのか――などと考えても
そういいながらも行く手の朽木谷を見遣り、考えてしまう元光であった。元光は若狭武田の当主であり、直臣や一門、その家族、家人を背負っている。宿老たちを上手く抑えながら家臣らの謀反の芽を摘み取り、より強く在らねばならなかった。父・国信が文化的な連歌や茶の湯に惹かれたのも分かるという物だ。統治は一筋縄では行かぬ。芸事によって人脈を広げ、家臣とも繋がっていなければならぬのだ。一方で武辺者の逸見一族はそれを懦弱と忌み嫌うのではあるが。しかし、そのお陰で元光は連歌に深入りしてはいないまでも、三条西家の
「それであれば、御屋形様が細川様とともに上様をお守りすればよいのでは?」
「御祖父様の頃ならば、あるいはな。だが……」
その将軍が自らの力で京を保持できないのだ。細川政元以来、幕政は細川京兆家の
朽木氏は、近江源氏――すなわち宇多源氏の一族である。宇多天皇の第八皇子・
信綱の次子・
佐々木高信の次子・
高島七頭は佐々木越中守家を惣領として高島郡全域を保持しているものの、七家全てが独立した御家人であり、室町将軍家直属の外様衆であった。高島七頭の内、六氏は佐々木高信の庶流だが、山崎氏だけは佐々木
江南では佐々木氏の嫡流六角氏による分家や国人らの家臣化が行われており、高島七頭の庶流らも六角氏に仕えて本領を安堵されるものも出ていた。
江北を治める
こうした争いは今の所若狭では起こっていなかった。身内で争うなど、国力を削ぐだけの行為である。元光とて、父・元信とは考え方が違っていたが、相剋するほどのことではなく、家督するまでのことと忍耐の日々を送っていた。
しかし、いざ当主になってみると将軍家との繋がりを絶つことはできず、要請されれば軍を発さざるを得ない。軍を発せば費えが失われると解っていても、細川氏と将軍家に睨まれれば、丹後国守護職を武田のものとすることが叶わなくなるからだ。あちらはあちらで若狭国守護職を取り戻そうと考えていることだろう。
「そろそろにございますな」
「そうか」
勝春の視線の向こうには
城というと、現代の感覚では天守閣があり、石垣の上に
どちらの城も二〇〇〇もの兵卒らを全員収容出来る筈もなく、上柏の指月谷にある朽木氏の菩提寺である興聖寺に案内された。初めは元光も兵卒らと共に興聖寺に宿泊する予定であったが、稙綱に館の離れを勧められ、今日だけは世話になることとした。
「彦次郎殿も、大変にござりますなぁ」
弥五郎は存外細やかな気遣いができるのに、風貌は粗忽者にみえ、風流人であるの野暮ったさが抜けきれぬ。そこに和らぎと親しみを感じるのだが、本人はどう思っているのだろうか。
「いやいや、弥五郎殿ほどでは御座らぬよ。近頃は雲光寺殿に伺候されているとか」
「ご存知であられたか」
知らぬ筈もない。
「雲光寺殿も近江統一を急いでおられるのであろう?」
「環山寺殿も不甲斐ないようで」
雲光寺殿とは六角定頼、環山寺殿とは京極高清のことである。京極材宗およびその父・京極高経との家督争い――世にいう京極騒動を制した高清であったが、その終結に尽力した上坂家信が
翌年に入ると、高清の後継者問題が持ち上がる。高清は信光の意向もあって次子の高吉を推していたが、これに反発した浅井亮政・三田村忠政・堀元積・今井秀信ら江北の国人衆は浅井郡草野郷にある大声寺塔頭の梅本坊で談合して
この動きを察知した上坂信光は今浜城に軍勢を集め、尾上城にほど近い安養寺に陣を張った。しかし、尾上城より出陣した浅見・浅井の軍勢に打ち破られ、今浜城に逃げるも一揆勢は追撃し、城を攻め落とす。辛うじて今浜城を落ちた信光だったが、翌四年、逃亡先の刈安尾城にも攻め寄せられ、ここも脱出した。高清と高吉の籠る上平寺城も一揆勢に焼き討ちを受け、信光と合流して尾張へと落ち延びていった。
一揆勢は刈安尾城に留まった高峰を奉じて神照寺に入り、尾上城に迎えて高峰が京極氏惣領となり、執権に浅見貞則が就くこととなる。しかし、浅見貞則も専横が多く、浅井亮政と対立していた。
「そうはいうても、老獪な
「確かに。暫くは雲光寺殿の目線、江北に向きましょう。
確かに六角定頼の懸念は江北の京極領へ向いたが、その分朽木氏は領内不穏分子の対応で長対陣させられる羽目になるのだが、それはまだ先の話であった。
「彦次郎殿とて、左京大夫殿からの
「いや、此度は京の警固に御座る」
稙綱は意外そうな顔をした。
「警固故、粟屋孫四郎を連れて参った由。軍勢は全て粟屋党でな。某は一人、母の菩提を弔おうと思ってな」
「
元光が
「で、左京大夫殿は
「我ら若狭勢が京に入り次第、
稙綱が首を傾げる。今、南に戦火はない。となれば、援軍ではない香西元盛と柳本賢治の向かう先は――
「和泉岸和田城か!」
「で、あろうよ。和泉の上守護家の
安堵の表情を見せる稙綱に、元光は少しだけ救われた思いがした。
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