第5話 底なし沼

 邪悪な力で地球を支配しようと目論むグラフたちにとっては、ステラは目障りでしかない。

 ステラがファイヤースターの花を咲かせたら、地球は愛と癒しの星になってしまう。

 そしてその時こそ、グラフたち邪悪な力を持つ者は、宇宙の塵にされてしまうのだ。


 グラフの狙いは、ステラただ一人。

 シンとブランなど、眼中にはない。


 ―とにかくシンさんとブランから離れなければ、、、。


 これ以上、シンとブランを巻き込むわけにはいかない。


 ステラの前には、今にも攻撃を仕掛けようとして、グラフとビッグベアが立ちはだかっている。


 後ろは急斜面だ。

 後ろを振り返れば、その時こそ熊の餌食だろう。

 逃げる間も無くやられてしまう。


 ―とにかく、なんとかしてグラフとビックベアの脇をすり抜けて、少しでも遠く離れよう。


 ステラは、グラフとビックベアを見ながらタイミングをはかった。


「さあ、ステラ姫、とうとう最期の時が来たようです。キミはここまでよく頑張りましたよ。でも残念ながら、それももうここで終わりです」


 グラフは勝利を確信して、興奮に震えながら言った。


 ステラが覚悟を決めて動き出そうとしたその時、そこでシンが、意外な反応を示した。


「ビッグベア、、、?なんだ、ビッグベアじゃないか。オレだよ、シンだよ」


 そう言うと、シンはビッグベアへと駆け寄ったのだった。


「なんだぁ、貴様は?」


 しかしグラフに操られているビッグベアには通じない。


 ビッグベアは、駆け寄ってきたシンの胸をドンと突いた。

 不意をつかれてシンは、よろけながら後ずさった。


「どうしたんだよ?わからないのか?シンだよ」


 シンがもう一度訴えた。


 ビッグベアは、しかしそれにも答えず、今度は続けてドンドンドンドンとシンの胸を突いた。

 無防備なシンは、体の大きなビッグベアの腕力をまともに喰らって、茂みの中へ吹っ飛んでしまった。


 ドッボーン。


 鈍い水音と共に、シンの体が視界から消えた。


「お父さんっ」


「シンさんっ」


 ステラとブランが、茂みをかき分けて駆け寄ろうとした。

 しかし、ステラの肩に乗っていたシエルが、すかさず言った。


「そこは底なし沼でち。気をつけるでちよ。はまったら大変でち。ギーッ、ギーッ、ギーッ」

 

 ステラとブランは、警戒しながら茂みを掻き分けた。

 落ち葉に覆われた濁った沼の水が、大きくザブンザブンと波打っている。


 シンは、肩から上だけを沼から出して、なんとか岸に這い上がろうともがいていた。

 足を踏ん張ろうにも、泥に絡みつかれてどんどん引き込まれていく。

 もがけばもがくほど、シンの体は沼に沈んでいった。


「お父さんっ」


 駆け寄ろうとしたブランの脚が、ズブズブと泥にはまって抜けなくなった。

 前のめりに泥に手をついた、その手までズブズブとはまっていく。


 後ろからステラが、身を前に乗り出すようにしながら、どうにかブランを引っ張った。


「ブラン、ダメよ。近づけないわ」


 一度足を取られると、どこまでも沈んでいってしまう。

 それが沼の怖さだ。


「お父さんっ」


 尚も近寄ろうとするブランに向かって、


「ブランっ、来ちゃダメだっ、、、ウグっ、、、」


 シンは強い口調で制した。


「イヤだっ、お父さんっ、グスン、グスン」


 それでもブランは、シンの言葉に首を横に振って泣いている。

 

 シンが、こんどはステラに向かって言った。


「ステラ、ブランがこっちに来ないように、、、頼む」


 シンはもう口元まで泥水に浸かって、しゃべるのも難しくなっていた。


 ステラは泣きじゃくるブランを抱きしめながら、足を取られないように立っているのが精一杯だった。


 しかしこのままシンが、沼に沈んで行くのをただ見ているわけにはいかない。

 ステラは、ある考えを思いついた。


 ―そうだわ、木のツルをロープがわりにして、シンさんを引っ張り上げるのよ!


「ブラン、木のツルでお父さんを引っ張り上げるのよっ」


 ステラは立ち上がると、ツルがないか周囲を見回した。


 しかしこの状況を、グラフがいつまでも黙って見ているわけはなかった。

 なんとかシンを助けたいと焦るステラにはお構いなしに、グラフの冷酷な言葉が響いた。


「ビッグベアっ、何をしているんだ、さっさとその魔女とガキを片付けろっ。シンなどという熊は放っておけ。どうせ沼に消えるさ。さあ、早くやるんだっ」


 しかしどうしたことか、グラフの言葉にビッグベアは反応せず、うつろな目をして茫然と立っている。


 ―もしかしたら、シンさんのことを思い出したのかもしれない。


「ビッグベア、思い出して。シンさんは敵じゃないわ」 


 ステラは、必死でビッグベアに呼びかけた。


「とうした、ビッグベア、さっさとやらないか」


「魔女もガキも、まとめて沼に放り込めっ」


 ビッグベアはそれでも動かない。


「何をしているんだあぁぁぁぁぁぁっ」


 グラフの紫色の髪の毛が逆立ち、ユラユラと湯気が立ち上った。


 ―今しかないわ、今がチャンス。


 怒りで頭に血が上っている隙に、愛と癒しの風を、今こそ吹かせるのだ。


 ステラは、山の奥深くに、意識を潜らせようと集中した。

 しかしこの時、ちょうど同じタイミングで、ブランが泣き叫んだ。


「お父さーーーーんっ、ウワアァァァァァァァァァン」


 シンが沼に沈んで、とうとう姿が見えなくなってしまったのだ。


「シンさんっっっ、、、」


 沼の表面が、波立ち、泡立った。

 しかしシンの姿は見えない。


「イヤだ、お父さんっ、ステラお姉ちゃんっ、誰か助けてよおぉぉぉぉーーーっ」


 ステラは、沼に向かって駆け出しそうになるブランを、必死で抱き止めるしかなかった。


 目の前で父親が沼に沈んで行く。

 それをただ見つめる他に、なすすべもないブラン。

 ブランの気持ちを思うと、ステラの目にもとめどなく涙が溢れた。


「ブラン、ごめんなさい、、、うっ、うっ、、、」


「シンさん、本当にごめんなさい、、、うっ、うっ、、、」


「ギーッ、ギッ、、、ギッ、、、」


 シエルも泣いている。


 ステラは、シンを飲み込んだ沼を、涙に濡れた目で見つめた。


 茫然と見つめるステラの心には、以前、ラルフがサイに殺されかけた時と同じ気持ちが、湧き上がってきた。

 憎しみなのか、怒りなのか、目には見えないドス黒い塊のようなものが、ステラの胸に込み上げてきた。

 そしてそれと共に、大きな悲しみで、ステラの胸は張り裂けそうになった。


 抑えきれない感情が膨れ上がり、ステラの体が震えた。

 ステラの体が震えるのと同時に、あたりの空気も震えて、山の中にザワザワと風が起こった。

 

「な、なんだ、この風は、、、」


 グラフが異変を感じて2、3歩後ろに下がり、身を翻して駆け出そうとしたその時だった。

 風はみるみる大きく高い渦となり、土埃や草木を巻き上げながら、グラフとビッグベアを巻き込むように進んで行った。


 まるでそれは、ステラの怒りが乗り移ったような、燃えるように赤い竜巻だった。


「クッ、、、ウァァァ、、、」


 グラフが必死に大木にしがみついている。


「グァオォォ、、、」


 ビッグベアも岩にしがみつく。


 しかし、赤い渦は唸りを上げて、草木や土埃を巻き上げるたびに、大きく高く勢いを増していった。


 ビッグベアが先に竜巻に巻き上げられて、真っ赤な風の中に消えていった。


「くそっ、、、」


 グラフは顔を歪めながらも必死に耐えている。


 その時、竜巻のお陰で、山を覆っていた草木の間から青空がのぞき、ステラたちに一筋の光が届いた。

 ステラは、救いを求めるように、光に向かって手を伸ばし、天を仰いだ。

 ブランもつられるように涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。


 すると、草木の間から射した一筋の光が、ブランの涙に当たって反射し、ステラの腕輪に届いた。


 その瞬間、透明の腕輪は虹色に輝き、その光を竜巻に向かって放ったのだった。


 虹色の光線が竜巻に突き刺さり、竜巻にはいく筋もの稲妻が走った。

 真っ赤な竜巻は、稲光を放ちながら、ゴーッと大きな音を立てながら進んだ。

 激しく強く、そこにあるすべてのものを根こそぎ飲み込んで進んで行った。


 「うぁぁぁぁぁーーーーっ」


 断末魔の叫びと共に、グラフの姿も竜巻に飲み込まれていったのだった。

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