第2話 黒点

 最初は、遠くの空に、ポツンと浮かぶ黒い点だった。

 そしてそれはだんだんと大きくなり、ステラたちの方へと近づいて来た。


「何かしら?」


 ステラが、遠くの空からどんどん近づいて来る、黒い物体に気がついて指差した。


 シエルは羽をバタバタさせながら、


「UFOでちわ、きっと。ギーッ、ギーッ」


 と騒ぎ立てた。


「いや、あれは、、、。たぶん、、、いや、絶対にグラフだな」


 ラルフの心には何故か、その物体がグラフであるという、確信のようなものがあった。


 ―来たか、、、。


「わたしもそんな気がするわ」


 ステラも同意した。


「敵襲来!敵襲来!」


 二人の言葉にシエルも、こうしちゃいられないとばかりに、ラルフの頭の上を忙しなく跳ねた。


 そうこうしている内に、黒い物体は、その姿をはっきりと捉えられるところまで近づいて来た。


 やはり黒い物体の正体は、グラフだった。


 グラフは、大きなワシの背中に乗って、彼方の空から、ステラたちの近くの叢へと降り立った。


 首には、不似合いな程の大きなヘビを、巻き付けている。

 まだら模様のヘビは、赤い舌をチロチロと出しながら、ウネウネと体をうねらせていた。


 グラフはワシから降りると、体を覆っている黒いマントを、バサっと後ろにはね上げて、ラルフとステラを正面から見つめて立った。

 

「やあ、ラルフくんにステラ姫、それから今日は、青い鳥のお嬢さんもご一緒のようですね」


「あたちの名前はシエル•アリイよ」


シエルはプンとそっぽを向いた。


「これはこれは、シエル嬢、失礼致しました。私はグラフ、『ブルゼ』からこの地球へと、転移して来た者です。どうぞお見知り置きを」

 

 グラフはシエルに向かって応えると、今度はラルフとステラを交互に見ながら、言葉を続けた。


「探しましたよ、君たちの気配が、キャッチ出来なくなっていましてね。まさかこんなところにいるとは」


 グラフは、探るようにステラたちを見た。


 ステラはこの時、グラフに顔を向けながら、しかし一方で密かに、草原の草木に宿る精霊たちへと、意識を集中しようとしていた。

 精霊たちから発せられている気の中から、『自然や生命いのちに対する慈しみ』を、すくい上げようとしていたのだ。


 ―精霊たちからもらえる慈しみの気は小さいけれど、

オラコはこの腕輪があれば、何倍にもパワーアップできると言ったわ。


 ステラは、オラコのくれた腕輪の力があれば、きっと今度こそ、グラフの心を変えることができると思っていた。


 ―今なら誰も傷つけずに、この闘いを終わりにすることができるかもしれない。


 ステラは目を瞑って、瞬時に、精霊たちの発する気の中に、意識を潜らせた。


 ステラが精霊たちから発せられる慈しみを、まさに掬い上げようとしたその時、


「ステラ姫、奇襲攻撃は反則というものですよ」


 感情を抑えて、冷静さを装ったグラフの声が響いた。

 抑えた声とは裏腹に、紫色の長い髪は逆立ち、端正に整った顔は、醜く歪められていた。


 シエルは震え上がって、ラルフの頭から滑り落ちてしまった。

 怖さで鳴き声も立てられずに、それでもなんとかラルフの体を這い上がった。


 ラルフは、


「大丈夫だよ、シエル」


と優しく声を掛けた。


 集中を遮られたステラは、グラフの顔と声から漂う怒りと冷酷さに、背筋の凍る思いがした。


 ステラは、グラフから射るような視線を向けられて、グラフの瞳に釘付けになった。

 怒りで燃えるようなグラフの瞳に、引き摺り込まれるように見入った。

 

 グラフがニヤリと笑った瞬間、燃えるような赤色の瞳は、グルグルと回りだした。

 同時にラルフとシエルも、引き込まれるように、グルグル回るグラフの赤い瞳に見入った。


「ラルフ!シエル!目を見ちゃダメよっ!」

 

 ステラが、ハッと我に返り、何かに気がついて叫んだ。


「グラフは、あなたたちを操ろうとしているのよっ」


 グラフは、動物を操る特殊な力を持っている。

 グラフのグルグル回る瞳に引き込まれて、目眩のような感覚を覚えたステラは、危ないところでそのことを思い出したのだ。


 ―危ないところだったわ。


 うっかりグラフの目に引き込まれたら、いいように操られて、どうなることかわからない。

 

 ステラの言葉に我に返ったラルフとシエルも、慌ててグラフの瞳から、目を逸らした。


「危ないところだった。もう少しであの瞳に引き摺り込まれるところだったよ」


 ラルフはフーッと大きく息を吐いた。


「あたちも眩暈がちたでちわ。」


 シエルもプンプン怒っている。


「よし、それならこっちも容赦はしない。行くぞグラフっ」


 ラルフはそう言うと、体勢を低くして、グラフに飛びかかるタイミングをはかった。


「ウーッ、グルルルルル、、、」


「こっちこそ望むところだっ」


 グラフが、首に巻き付けていたヘビを、ラルフに向かって投げ付けた。


「さあ、スネイク、お前の毒をたっぷりと注いでやるのだ。そのあとは、お前の好きにしてよいぞ。フハハハハハ」


「行けーーーーっ」


 グラフの声に反応するように、ヘビは、顔の何倍にも口を大きく開けて、ラルフに襲いかかってきた。


「シャーーッ」


 ヘビの声に震え上がって、シエルがステラの肩へと飛び移った。

 ラルフは、ヘビをうまく避けて回り込んだ。

 しかしヘビは簡単に軌道を変えて、襲ってくる。


「シャーーーッ」


 気を抜くと、ヘビの牙がラルフにヒットして、毒をもらうことになる。

 ラルフは動きを止めずに、ウネウネとうねるヘビの胴体に、飛びかかって爪を立てては離れ、また違う角度から飛びかかって爪を立てては離れを繰り返した。


 止まって闘っては分が悪い。


 なにせヘビは、しなやかに体をくねらせて、どの角度からでも攻撃してくる。

 俊敏な動きには自信のあるラルフであったが、何度も縦横無尽に飛びかかっては引き裂いて、また離れるという動きを繰り返す内に、徐々に体力を奪われ、ハアハアと息も荒くなってきた。


 とうとうラルフの動きがヘビに捉えられ、ヘビの口が、ラルフの肩のあたりをかすめた。


 ラルフの銀色の毛が、ヘビの攻撃で巻き起こされた疾風にフワリと浮いた。


「危ないっ」 


 思わずステラが叫んだ。


 ラルフが体勢を整える間もなく、ヘビはここが勝負どころとばかりに、大きな口で襲いかかってきたのだ。


「ラルフっ」


 今度はシエルが叫んだ。


 同時にシエルは、空中からヘビの頭に、石で攻撃した。

 石を脚で掴んで、空中からヘビに向かって落としたのだ。


「シャーーーッ」


 怒り狂ったヘビは、空中のシエルに向かって、体を伸ばして大きく跳んだ。


 間一髪、ヘビの牙は空を切った。


「ほうら、あたちだって、このくらいのことはできまちのよ。フフフフフン」


 シエルが自分の手柄に興奮して、ギーギー鳴きながら飛び回った。


 怒りで頭に血が上って、尚もシエルを追いかけようとするヘビは、完全にラルフに対する警戒を、忘れていた。


 ラルフがこの時を逃すはずはなかった。


 ヘビに向かってジャンプすると、空中でヘビの目を引き裂くと、ヘビの体を蹴って地面に着地した。


グァオオオオオーーーッ。


 ヘビはウネウネとのたうち回った。

 

「何をやっているんだ!」


 グラフは苛立って声を荒げた。

 握りしめた手は、怒りでワナワナと震えている。

 醜く歪められた顔からは、湯気が立ち昇らんばかりだ。


 ―そして―


 皆が、ラルフとヘビとの闘いに気を取られていたその時、あたり一帯に、透明にキラキラと輝く優しい一陣の風が吹き渡った。


「慈愛の風よ、吹き渡れーーーっ」


 ステラは今度こそ、ありったけの想いを込めて、精霊たちからすくい上げた慈愛を、キラキラと輝く透明の風に乗せて、腕の中から解き放ったのだ。


 キラキラと輝く風は、ラルフとヘビの体を優しく撫でた。


 ラルフとヘビは、慈愛の風に包み込まれて、体の奥底から癒され、力が抜けて、その場にへたり込んだ。

 ヘビも、まるで憑き物でも落ちたかのように、戦意を喪失して、心地よさに浸っている。


 さっきは途中で遮られてしまったが、ステラは、今度こそやっと、慈愛の風を起こすことに、成功したのだった。

 

 風はやがて、少し離れたところに立っているグラフのところにも、広がって行った。


「なんだこれは、やめろっ」


 グラフは、風に巻かれそうになりながら後ずさった。


「くそっ、、、。何が愛だ、慈しみだ、、、。」


 グラフは、風に巻かれまいと、手を大きく振り回しながら、薄れゆく闘志を必死で保った。

 そして気力を振り絞って、側に従っているワシの目を、赤くグルグルと回る瞳で見つめた。


「ポセイドン、、、風を、、切れっ、、、」 


 グラフは、慈愛の力にかろうじて抗いながら、どうにかワシの意思を操ることに成功した。


 ワシはグラフの言葉に反応して、吹き渡る風の間を縫って、切り裂くように鋭く飛行した。


 パシッ、パシッ、パシッ、、、。


 風は分断されて流れを止められ、やがて輝きを失って消えていった。

 

「フッフッフッフ」


 ステラの起こした慈愛の風は、残念ながら、グラフの心に愛と癒しを呼び起こすことは出来なかった。


「その程度では、私を倒すことはできませんよ」


 平静を取り戻したグラフは、冷静さを装って言った。

 しかし、ヘビに向けた目には、怒りと憎悪がメラメラと燃え盛っていた。


「この役立たずがっ、消え去れ」


 戦意を失ったヘビは、グラフの剣幕におののいて、シュルシュルシュルと叢に消えていった。


「さて、まどろっこしいことはここまでにしよう」


 グラフの顔には、何があっても獲物を逃すものかという、執念がみなぎっていた。


「ポセイドンっ」


 とワシを呼ぶと、その背中に飛び乗って、マントの下に隠れていた剣を、腰から抜いた。

 

「グラフのヤツ、空から攻撃してくるつもりだ」


 ラルフは頭を巡らせた。


「とにかく、あの向こうの森の中に入ろう」


「ステラ、乗って」


 ステラが跨ると、ラルフは全速力で草原を疾走した。


「ワオッ、風が、きついでちーー」


 ラルフの頭の上で、ビュンビュンと前方から吹き付ける風に、シエルは目を白黒させていた。


 ときどき風に煽られそうになりながらも、それが楽しいのか、シエルはピロピロ鳴きながらはしゃいでいる。


 「はしゃいでいる場合じゃないよ、シエル。どこから攻撃して来るかわからないから、気をつけるんだ」


「森の中に入ってしまえば、ワシも思うようには飛べないわ。とにかく何とかして森まで行かなくちゃ。」


 ステラもラルフに同調した。


 ワシが、ラルフたちに向かって、急降下してきた。


「フハハハハハ、行くぞっ」


 グラフが剣を上から振り下ろす瞬間に、ラルフはスピードを緩めて、タイミングをはずした。

 ギリギリのところで、なんとかかわす。


「くそっ、、、小癪な」


 ワシは急上昇し、また再度急降下してきた。


「ラルフっ、後ろよっ」


 ステラがラルフに、グラフの動きを伝える。


 ラルフは蛇行してかわしたが、ステラの髪をかすめて、パラパラと赤い髪の束が、地面に落ちた。


「いやん、危なかったでちわ。あたちの頭が切れるところでちたのよ」


 シエルも騒ぎ立てた。


「よーし、ちゃんとつかまって」


 ラルフはステラとシエルに声をかけると、スピードを上げたり緩めたり、右に行ったり左に行ったり、捉えどころのない動きで、翻弄しながら走った。


 振り落とされないように捕まっていたステラが、突然、ラルフの背中の上に立ち上がった。

 赤い髪が風に大きくなびいた。


 ラルフは、ステラのやろうとしていることに気づいて、なるべく揺らさないように、しかしスピードを落とさないように、全身の筋肉に意識を集中して疾走した。


 ―ここがボクの脚の見せ所だ。


 「ステラ、やってやるでちのよっ」


 シエルも気持ちをたかぶらせて、ラルフの頭の上で、風を正面から受けながら、ギーギー鳴いている。


 ステラはさっきと同じように、草木に宿る精霊たちへと意識を集中した。

 そして、精霊たちの気の中にある、『自然や生命に対する慈しみ』をすくい上げると、キラキラ輝く透明の風に乗せて、ワシへ目がけて、上空へと巻き上げた。


 ちょうど、ステラたちに向かって滑空してきたワシは、しかし、その鋭い嘴と、大きく広げた翼で、またしても慈愛の風をつん裂き、バラバラにはたき落としたのだった。


「ダメだわ、、、。」


 やはりどうしても、ワシに風を切られてしまう。


「オラコの腕輪は?どうなんだい?パワーが何倍にもなると言っていたけど」


 ラルフが、オラコからもらった腕輪のことを思い出して、ステラに聞いた。


「それが、、、。うまくいかないのよ。使い方がわからないわ。つけているだけじゃ、ダメみたいなの」


 そんな会話をしている間にも、またワシが、吹き下ろす風に乗って、滑空してきた。


「とにかく森まで突っ走ろう、しっかりつかまって」


 ステラは、ラルフの首に腕を巻き付けて、姿勢を低くした。

 

 ―あと少し、あと少しで森だ。


 ラルフが木立に飛び込むのと同時に、ワシが急降下してきて、間一髪、わしは木立に激突して、


「グアッ、グアッ、グアッ、、、」


 と鳴きながら、バタリと地面に落ちた。


「くそっ、、、。何をやっているんだ、ポセイドンっ」


 一緒に地面に転倒したグラフは、起き上がって、忌々しそうに木を蹴り飛ばした。


「逃がしませんよ」


 しかし、それでも怯むことなく、グラフはマントを翻して、木立の中へと、草をかき分けて飛び込んで行った。



 

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