第38話 それから幾年……

 それから幾年。



 ピエールは若輩者でありながらも、その課の長にまでのぼり詰めていた。


 秘密厳守の事柄が増えたことで、特別な部屋を与えられていた。他の同僚と一緒にデスクで仕事をする方が性に合っていたが、仕方がない。


 後輩だったエリルは一皮剥けて、今では新人に先輩風をふかして毎日の外の見回り勤務を続けている。



「あ、ピエール先輩! また一件、露店営業の申請書類が届きましたよ。承認許可をお願いします」


 開いたドアから、エリルが軽い足取りで部屋に入ってきた。ノックをするのが慣わしだが、エリルが俺相手にしたところを聞いた試しがない。


「一応、俺課長だから……先輩呼びはどうにかしてくれ」


「へへへ~、まだ慣れなくて。それに、先輩のあんな話を知っちゃってからじゃ、親近感しか湧かないですよ」


 反省するでもなく、イヤな笑いを浮かべやがる……。


 エリルから一枚の書類を受け取って、内容を確認する。


「ははっ! ついにあいつも正式な露店商に格上げか」


「ん? お知り合いの方ですか?」


 エリルの反応から察するに、差出人を確かめずに渡したらしい。聞いたらこいつも驚くぞ。


「アスランだよ。ま、俺から言わせると遅いくらいだがな」


「へー! そっかそっか、ついにアスランもかぁ」

 エリルは感慨深げに息を漏らした。



 最近になって、正式な露店商になるための申請書類が増加傾向にある。俺が課長になって、その後を引き継ぐ形でエリルに一任してからだ。


 気になっていつか聞いてみたことがあったが、「先輩の背中を見て学んだ事を実践しているだーけで~す!」とお茶を濁された。


 露店商になると、毎月決まった税金を納めていく必要が生まれる。無許可でやるより金はかかるが、得られる恩恵も少なくない。


 破綻した際の経済支援。


 他店とのいざこざの仲裁。


 ――は、ついでのようなもので、一番は露店を据え置きできる事だろう。俺たち役人を見て一々店を畳んで逃げる手間から解放される。



「なあ、エリル……ちょっといいか?」


 ピエールは、エリルが部屋から出ていくところを呼び止めた。


「なんですか?」


「今度、嫁の誕生日会をまたやろうと思うんだ。お前も来るだろ?」


「もちろん行きますよ! 今年はもっとどでかい花火を打ち上げましょう!」


「あれは俺の家が火事になりかけたから、盛り上げるにしても趣向を変えてほしいんだが……。アスランたちも呼んでみようと思うんだ」


「いいじゃないですか! 任せてください。みんなの分も私が責任を持って用意します」


「それが火薬の総量を増す提案でない事を、神に祈るよ」



 あの日から、嫁とエリルはすっかり意気投合した。

 エリルのいる晩飯は、肩身の狭さを覚えることが多々あるが、嫁が楽しそうにしているのなら些細な事だった。


 嫁の足裏の豆は綺麗になくなり、以前よりも活発に動き回るようになった気がする。


 俺らを尾行していた頃に培った体力が、今になって有り余っているのだだろうか。


 もしくは、これから産まれてくる俺たちの赤ちゃんに備えて、母性が無意識に身体を強くしておこうと働くのだろうか。



 出産予定日は当分先だが、俺たちの愛の結晶がそのお腹の中で息づいているのだと思うと、胸の奥にひしひしとした喜びがわいてくる。

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靴磨きのアスラン スミレ @TKS32

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