第33話

「ですけど僕は靴磨き屋です。修復も行っていますが、人の病気に関しては門外漢です」


 餅は餅屋に行って聞けと、門前払いされているようで憤りが込み上がる。


「そりゃないぜアスラン! 良いとこの病院にも診てもらったんだ。だからアプローチを変えてお前を頼ったのに……」


 家に帰れば、嫁の取り繕ったような笑顔が俺を待っている。


 なけなしの空元気も日に日に力を失くしていて、それを見る度に辛くなる。だけど、俺を笑顔で出迎えるな、なんて口が裂けても言えなくて。


 容姿だけでなく、内面の美しさにも惚れて選んだ初めての女性だった。


 執拗に言い寄って、時間を掛けてデートを重ね、視線だけで分かり合えるまでに心を通わせた。すべてが上手く回っていたのに、こんなことになるなんて……。



「ピエール先輩、元気出してください。私はいつで先輩の側にいますよ」

 小さくなった背中をエリルが撫でてくれる。


 乾いた大地に水が与えられるような、心地の良い優しさが身に染みる。

 ――が、足りない。この渇きを満たすには、全然足りない。


「せめて靴を見せて頂ければ、分かることもあるかもしれませんが」


 アスランがぽつり呟いた台詞を、ピエールは聞き逃さない。


「靴なら、家に二足ある内の一足を持って来てる。どっちも似たようなもんだ。本当は嫁の足を直接見せた方が良いのかもだけど、こんな所でお前を医者として紹介することもできなくてな」


 荒涼とした薄気味悪さのある通りの端。ピエールはビジネスバッグからビニール袋に包んだ一足の靴を取り出した。

 袋を破ると、血特有の生々しい鉄の匂いが辺りに漂った。


「お借りします。――一般的に売られている靴のようですね」


 サンダルに似た形状で、踵にある小さな壁と鼻緒とで足を簡易的に固定するタイプだ。


 ちょっとその辺を出歩くのに適している。この街ならどこでも手に入る。茶色の塗装もしっかりしているし、靴にヨレなどの問題もない。


 不気味なのは、足裏との接地面にまだら模様のように付着している血の痕跡だ。踵や鼻緒の部分にも血が滲んでいる。見ているだけで痛々しい。


 正直、人様に好んで見せたい代物ではない。



「血豆、ですね。言い難いのですが、靴に問題は見受けられません」


「…………それだけか?」

 閉口して考え込むアスランに、つい気を荒くして聞いてしまう。


 欲を言えば、名探偵のような鋭い洞察を期待していた。


「これに似たように血の付いた靴を、今までに見たこととかないのか?」


「残念ですが、初めて目にしました。……もしかして」


 アスランは意味深な言葉を置いて、ピエールの浮かない顔を見詰めた。そのあと何故か、辺りを頻りに見渡し始める。


「な、なにか分かったのか?」


「ピエールさん、いくつか質問をさせてください。職場までの距離と通勤手段はなんですか?」


「答えるのは構わないが、何の関係があるんだ? ……車だよ。距離は多分五キロくらいか」


「家から最寄りのバス停までの距離は?」


「はあ? ……一、二キロくらいだと思うが」


「一年前から足裏を痛がり始めたとのことですが、その時期の奥様との会話で、覚えていることはありませんか?」


「無茶だぜ……そんな細かいことまで覚えてねぇよ。雑談程度なら毎日してるしよぉ。一年前かぁ、う~ん」


 頭の中をこねくり回すも、範囲が広すぎてぱっとは思い浮かばない。

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