第5話
「ワォッ!」
一匹の雄犬がアスランに向かって吠えた、まるで健闘を讃えるかのよう。すり寄って来ては側で待機する。
サルーキと呼ばれる犬種で、中型ながら貧相に見える肉付きが特徴的だ。
「クール、いつから来てたんだ?」
アスランは黒い直毛の頭をぐりぐりと撫でて応えた。
日の当たらないお腹や喉の辺りは白くて、コントラストが洒落ている。耳から垂れる長い毛は、人の髪のようにサラサラとしていて、触り心地は最高だ。
狩猟に秀でた犬種だが、過去に欠損した左後足の膝から先が、本来ある気概をクールから奪っていた。元々の大人しい性格が、時折り物悲しく映ることがある。
これでも木材と靴を合わせて作った義足を与えてからは、元気を取り戻した方だった。
「もし生活に余裕ができたら、兄さんのことも探そうな」
「ワォ」
低く短く、クールは応えるように吠えた。
もう五年も前――。
兵士だった兄は、今でこそ終結している内戦に駆り出され、そのまま行方をくらませた。
クールはアスランたちの家族として育ち、また共に戦う戦士として兄と出かけた。そのクールだけが二年前に忽然と姿を現した。
兄は戦死者扱いになっているが、アスランは信じていない。
クールの胴に括り付けられていた血の付着した右靴が、アスランに何らかの助けを求めているように思えてならなかった。
今も。きっとどこかで……。そう思うだけで過ぎ去った年月。たとえ悲惨な結果が待ち受けていたとしても、いつかこの疑問には終止符を打ちたい。
……そう考えるまさに今が、転換期なのかも。
「今って営業中? 俺の靴頼めるか。これから旧友の家に遊びに行くんだが、これじゃあなァ。……家出た後に気付いたんだ。なあ、料金はこれでいいのか? 安いように思えるが」
恰幅の良い中年の男が、机に記した料金表を指差しながら聞いてきた。
思考がいっきに現実へと引き戻される。
「はい。承ります」
営業スマイルで拭き布とクリーナーを左右の手に持つ。
客が来ると、クールは決まってどこかに行ってしまう。すでに姿はなくなっている。
先ずは自身が貧困から抜け出さないと、人捜しもなにもないよな。あと必要なのは、手掛かりとなる情報だけど。クールと血の付いた靴だけじゃ捜せない……。
「おぉ! 見違えるように綺麗になっていくな。ニィちゃん、大したもんだ」
男はアスランの太ももに乗せた足を、嬉々として眺めて言った。
何年も埃をかぶっているような黒茶のブーツだ。中央を靴紐で締め上げてフィットさせるタイプ。紐を通す金具は欠けていたり錆びていたり、かなりの年代をうかがわせる。素材の革は厚く、丈夫な造りになっているようで、現役のようにしっかりと形を保っている。
あれ?
この靴ってまさか、本物のミリタリーブーツ!? 汚れで気付くのに遅れた。
「失礼ですが、軍人の方ですか?」
「ああ、元な。もう何年も前だが……よく分かったなァ」
「靴を拝見させていただいて、もしかしてと思いまして。失礼ついでに、作業が終わるまでの短い間、お話を聞かせていただけないでしょうか?」
男は意外そうな顔をした。それも数瞬。アスランの熱意が燃え移るかのように、滾るような笑みを灯し、口元を吊り上げる。
「興味あるのか。殊勝な青年じゃあないかァ。いいぞ。俺が最後に活躍したのは、五年前のAK-47の弾丸行き交う内戦地帯の最前線……ではなく、その後方支援部隊だった――」
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