第4話

「おい、なにがおかしい?」

「い、いえ。なにも……」


 アスランはすぐに緩んだ顔を整える。


「謙虚な若輩者は嫌いじゃないが、男ってのは驕り高ぶるくらいが好ましいぞ。そういう意味で、俺様にこの店が無くなると困るんじゃないかと言い放つお前は良かった」


「僕だって、紛いなりにも商人をやらせてもらっています。いつかは評判だけでのし上がって、立派な店を構えてみたい、くらいには思ってますよ」


 アスランが冗談めかして言うと、複雑そうにしていたマリクの表情が下卑た笑みに――いつもの表情にまで軟化した。


「そうかそうか! グフフフフ! どうやら俺様はお前をすこし見くびっていたようだ。そん時は、俺様が贔屓にしてやったことをゆめゆめ忘れるんじゃねぇぞ」


「マリクさんには、常々感謝しています」

 社交辞令ではなく本心でそう思う。


 常連客でも、月に一回来てくれれば有難いという中で、マリクは十日に一回のペースで来てくれる上客だ。

 態度こそ横柄な人柄だが、その源流とも言える野望を知るアスランには、傲慢な物言いに親しみさえ感じてしまう。



「お待たせしましたマリクさん、仕上がりました。このような感じで、いかがでしょう」

「うむ、悪くない出来だ」


 マリクは革靴を一瞥した。満足したのか、重たそうな腹を片手で抱えながら椅子から立ち上がる。


「こいつが料金だ」


 そう言って机に硬貨を置いた。踵を返して颯爽と立ち去っていく。


 その背中にアスランは感謝の言葉を投げかける。


「ご利用ありがとうございました。また何時でもお越し下さい」

「ああ」


 マリクは振り返ることもせず、まばらな人通りに紛れて姿を消した。



「これって…………してやられた」


 置かれた硬貨を数え終えると、嫌な笑みが自然と漏れた。

 微妙に足りていない。常連のマリクが金額を間違えたとも思えない。考えられるのは一つ。


「ローション代、しっかり抜かれてるな」


 抜け目がないとは正にこのことだ。


「あの人、僕より商売人に向いてるんじゃないだろうか」

 呆れた勢いで、自然と皮肉が口から漏れてしまう。


 これ以上考えていても仕方がない。授業料として受け取っておくことにする。



「しっかし、僕が立派な店を構える、か」


 マリクの野心にあてられて、ものの流れでああ言ってしまった。貧乏に窮するばかりで、考えたこともない夢だった。

 時間を置いて冷静になってみるも、その言葉に違和感を覚えない。アスランの知られざる本心だとでもいうかのようだ。


 愛想をさらに良くしたり、営業時間を増やしたり、店の宣伝をしてみたり、他店を真似して修復にも手を出してみたり、利益を増やすために出来ることがいくらでもある。

 怠けてきた自覚はなかったが、その実、多くのことを怠っていたようだ。



「僕がマリクさんのように懸命に努力したら、どこまで高みに行けるのかな?」


 ふと興味が湧いた。

 すると、なんとなくで続けて行けてきた日々に、後悔の念が生まれてくる。

 一度でいい、僕という人間の限界を知ってみたい。


 マリクの見せた射抜くような真剣な眼差しが、アスランの目にも宿っていく。

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