8  黒髪、濡れる

 奥羽おくうさんが来たのは昼を少し過ぎた頃だった。黒い帽子、レンズが丸いサングラス、黒いトレンチコート、黒いブーツ……真っ黒け。もちろんコーヒーもブラック。事務所のソファーにるように座り、僕がれたコーヒーをフーフー吹いている。カラスも猫舌なんだろうか? いや、人形ひとなりだから関係ないか。


「で、隼人の姿が見えないな、どうした?」

「なんでも、鎌倉に用事があるって出掛けたよ」


「それでバン、おまえが留守番か」

「うん、奥羽さんに美味しいコーヒーをご馳走ちそうしろって言われてる」


「なるほど、まいどバンの淹れるコーヒーは美味い。留守にするせめてものびと受け取ろう」


 第一関門はクリア。前回隼人が留守だった時は、隼人が来るまで僕を預かる、と言い出し、危うく僕は誘拐されそうになった。


 何しろ僕たちの周囲にはまともな人間が少ない。てか、人間は少ない。奥羽さんは八咫烏やたがらすだ。今日は人形ひとなりだが、たいていカラスの姿で、たまに電線にいるところを見かける。上手に3本目の足を隠しているから、よく見ないとただのカラスにしか見えない。どっちにしろ人間じゃない。


「で、これが隼人から頼まれたものだ」

 コートの内ポケットから、大判の茶封筒を出してくる。


「隼人にちゃんと渡せよ。それにコッソリ中を見るなんてするなよ」

奥羽さんがそう言うと、見ろとそそのかされた気分になるのは何故なぜだろう。


「こちらを隼人から預かってます。お受け取りください」


 隼人のベッドの上にあった分厚い封筒をテーブルに乗せる。ふむ、とおもむろに奥羽さんが手に取り、中を確認する。キラリと光るのが僕にも見えた。


「おおおおお!!! これはキラキラシールではないか! しかもこんなにたっぷり!」

奥羽さんは封筒の中身を取り出して、一枚一枚確認し始めた。


「これも光ってる、これも、これも! 光ってるーーー!!!」


 大興奮で、両手をバタバタし始めて、あげくの果てにはソファーの上に乗って、右に左に飛び跳ねながらのバタバタに変わる。たまにカラスがそんなダンスみたいなことをしているのを見かけるが、あれはカラスが喜んでいるのか。僕は茫然ぼうぜんながめるしかない。カラスは光るものが好き、とは聞いていたけれど、これほどなのか……


「ケチな隼人の事だから、せいぜい針金ハンガー100本と踏んでいたが……隼人、なにかいい事でもあったのかい?」


 空をあおぐようにしているのはどこかにいるはずの隼人に語り掛けているのだろう、涙がほほつたっている。と、急に覚醒かくせいし、めた顔で僕を見た。グラサンでよくわからないけど、そう感じた。


「バン、なに見ているんだ?」

やばっ、ここで返事を間違えると、突きまわされるかも!


「いや、さすがに奥羽さんは黒が似合うな、と思って見惚みとれちゃった。そのコート、黒い上にツヤツヤですね」

フン、と奥羽さんが鼻を鳴らす。


「隼人のしつけが行き届いていると見える」

どうやら、お世辞せじとちゃんと気付いている。


「このコート、一見ただの黒だが、実はそうじゃない」

「そうなんですか? どう特別で?」


「実は表面がれている。さわってみるか?」


え……正直イヤだ触りたくない。でもここは、こう言おう。


「触っていいんで?」

「馬鹿者! 簡単に触らせるものか! 今度だな、また今度だ。それまでよく手を洗っておけ」

どれほど洗えばいいんだよっ?


「では帰る」

 ざざーーーっと、キラキラシールを集め封筒に入れ直し、内ポケットにしまうと

「コーヒー、淹れとけよ」

と、言い残し、奥羽さんは帰っていった。うん、次、来たらその時、淹れてあげるよ。


 奥羽さんが帰ってからは平和だった。クローゼットにこもろうかとも思ったけれど、隼人がいつ帰ってくるか判らない以上危険だとやめておいた。帰って来た時、僕がクローゼットにいたら、隼人はきっと、僕が泣くまで身体をで回していじめるか、クローゼットに外から鍵をして僕を閉じ込める。どっちもごめんだ。


 今日5杯目のコーヒーを淹れる。テレビはとっくにスイッチを切った。再び退屈な時間が続く。


 で、奥羽さんが持ってきた、テーブルに置いたままの封筒が気になりだす。隼人、奥羽さんに何を頼んだんだろう……封筒を見ると、しっかり封がしてあって、中を見て、元に戻すのは無理そうだ。封筒の上から探ると、どうも中身は硬くて平たくて、四角くて――CD?


 えっ? ってことは、ひょっとして? 隼人の言ってたピーがピヨッしてピピーのあれか? なんかドキドキしてきた、奥羽さんが持ってくるピーなCDがヤバくないはずがない。あ……封筒に入ってないCDがあるじゃん ―― 隼人の部屋にあったじゃん。どうする? 隼人は見るなって言ったぞ。それって見ろってことなんじゃないのか? でも、ピーなCDを見ろなんて、隼人が言うか? でも、でも……


 ドアが解錠される音がした。隼人が帰って来た。妄想もうそう遊びも、もう終わりだ。せっかく盛り上がってきたのにな――


「おかえり、隼人! って、どうしたんだよっ?」

入ってきた隼人はずぶれだ。


「土砂降りに気が付いてないんだ? バンちゃん、寝てた?」

「いや、妄想に夢中になってて……」


「なにを申そうって、雨だよ、雨! タオル持ってくるとかできないの?」

慌ててバスタオルを持ってきて、隼人にかぶせ、くしゃくしゃと髪をく。


「バンちゃん! もっと優しくしないと、髪が傷むってば」

「あ、ごめん……」

だったら自分でやれよ、と思っても僕は口にしない。いつも言わない。いつも……


「バンちゃん、ボクがいなくって寂しかった?」

「うん、寂しかった」

僕は隼人のれて光る髪に見惚みとれていた。とっても綺麗だ。


「なんか、うそっぽい。心ここにらず? どうした? バンちゃん」

チビの隼人が僕を見上げる。隼人は僕のあごくらいの背だ。


「いや……カラスの濡れ羽色ばいろだな、と思って」

「なにが? ヌレバイロってなに?」


「隼人の髪さ。濡れ羽色ってのは、濡れた羽根の色って意味。黒髪が濡れて光って……これぞカラスの濡れ羽色、かなって」

すると僕を突き飛ばすように隼人が僕から離れる。


「なんだよ? ボクの留守に奥羽さんと何かあったのかよ?」

「へ?」


「ボクがハヤブサだって知っているよね? だったらカラスなんて言うな。ハヤブサの濡れ羽色だろうが!」

「いや、そうじゃなくって」


「バンちゃんは、鳥なら何でもいいわけ? ボクじゃなきゃダメなんじゃなかったの?」

あぁ……これ、どうやってなだめたらいいんだろう?


「あ、そうだ」

「そうだ、って認めちゃう? 鳥なら何でもいいって? 認めちゃうの、バンちゃん?」


「いや、テーブルに奥羽さんが持ってきた封筒がある」

「あ……忘れてた。もっと早く言ってよ、バンちゃん」


 瞬時に隼人の機嫌が直る、と言うよりきっと、ごねるのに飽きたか、忘れたかだ。3歩歩くと忘れるのはにわとりだったっけ?


「事務所閉めてから二階に来て。で、コーヒー淹れて、砂糖たっぷりね」

自分で髪を拭きながら、隼人は階段を昇っていった。


 片付けを終わらせて2階に行くと、隼人がいない。自分の部屋だろうと、コーヒーを淹れて待つと、案の定、コーヒーが入ったタイミングで自室から出てきた。


「CDには触らなかったみたいだね。いいコだ、バンちゃん」

「なんのCDなの?」


僕の質問に隼人がニヤリとする。

「知りたい?」

「いや――」


暫く隼人は僕の顔をニヤニヤ見ていたが、

「また横浜に行くよ、楽園都市ってところ。バンちゃんも一緒に行こうね」

と、言った。


 また妖怪ようかいが出たのか……

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