7  退屈、思い知る


「ねぇ、キミ。いつまで寝てるつもり? そろそろ起きなよ」


 隼人はやとは僕の首が切り落とされ、眠りにつくまでの一部始終を見ていて、僕が起きるのを待っていた。けれど僕が、あまりに長い時を眠り続けたので、起こしたと言った。僕の記憶はその時から始まっている。


 人間だったころの記憶は死のショックで消え、復活してから眠るまでの記憶がないのは僕が思い出すのを嫌がっているからだろう、と隼人は言った。


 目が覚めたとたん、僕は何も考えず、目の前にいた隼人の首にみ付いた。甘く温かいものが胃に流れ込み、空腹だったと思い知る。


 満腹になった僕が、ハッと我に返り、自分の仕業におののくと、隼人は言った。


「ボクと一緒におでよ。ボクと一緒なら、キミは人間をおそわずに済む。ボクなら、いくらでもキミに血を分けてあげられる」


隼人の首筋から二筋の血が流れていたがすぐに止まり、傷口もあっという間に塞がって消えた。


「キミからは人間の血の匂いがしない ―― チェリーなんだね。ボクと一緒なら、ずっとチェリーでいられるよ」


 僕が目覚めたとき、時代はとうに移っていて、源氏げんじ平氏へいしもなくなっていた。ボクと一緒に世の移ろうさまをながめてようじゃないか、隼人の言葉に僕はうなずいた。


 それから隼人は僕を連れていろんなところ ―― 海外も含め ―― に行き、そこに住み、いろんな職業にいた。そして今は日本にいる。日本で探偵をしている。


 ちなみに僕の生前の名は平敦盛たいらのあつもり、隼人の言うとおり、みなもとさん――源氏とは仇敵きゅうてきとなる。


「だからバンちゃんはお留守番。で、奥羽おくうちゃんが来るから、よろしくね」

隼人がニヤリと笑った。


 奥羽さんは八咫烏やたがらすだ。隼人と悪巧わるだくみをするのが好きだったのに、と、ときどき僕を責める。僕が来てからというもの、隼人のヤツ、すっかり大人おとなしくなっちまった。前は悪戯いたずら好きだったのに、と奥羽さんは言う。


 どんな悪戯かは、それを言ったら隼人に怒られる、と気を持たせるだけで決して言わない。かえって気になる心理がわかっていて、そうしているんだ。きっとそうだ。


 隼人が奥羽さんに頼むのは諜報ちょうほうで、奥羽さん自身、任せろ、と言うほど、諜報に関しては自信があるようだ。カラスなのだから、どこにでも飛んでいけるし、鳥類仲間の情報もある。


 諜報だけでなく、情報収集にも重宝ちょうほうな奥羽ちゃん、と、奥羽さんのいないとき、隼人はそう言って笑う。ダジャレが言えるのがうれしいのだ。隼人はオジさんくさい、と思うのは僕だけ?


 翌日、嬉しそうに

「行ってくるね。よろしくね、バンちゃん」

と、隼人は出かけた。


 紅実那くみなさんも来るのかな……鎌倉って、どんなところだろう。テレビやインターネットで見たことはあるが、行ってみると全く違う、なんてこともよくある話。たしか、海も近いんだ。江の島も近い。


 つい最近、江の島のトビが人間の食べ物をねらうってどこかで見たけど、隼人、トビにおそわれないかな? ハヤブサはカラスくらいの大きさで、トビはそれよりもっと大きいって言っていたっけ……


「……コーヒーでもれるか」


 ドリップケトルに浄水を入れ、火に掛ける。カップにドリッパーを乗せ、ペーパーフィルターをかぶせ、いたコーヒー豆を入れ、他にすることもないからお湯がくのをガステーブルの前で待つ。


あ、お湯が沸いた……火を消し、換気扇を止め、充分蒸らしてからコーヒーをゆっくり淹れる。淹れたてのコーヒーをリビングに運んでソファに座って。そうだ、テレビでも見よう。いつも隼人が座っている、テレビの真ん前の特等席で今日は見よう。


 つけたはいいけど、ワイドショーばかり……隼人がいれば、いろいろ突っ込んだり反論したりするから、それなりに面白いのに、今日は全く面白くない。司会者の笑う声も白々しい ―― 退屈たいくつだ。


 一人っきりって、こんなにつまらないんだ。やる事がないって、こんなにひまなんだ。それに……こんなに寂しいんだ。


 たった一日でも僕が家に帰らないと、隼人は寂しかったと泣く。自分で、出張しゅっちょうに行けと送り出すくせに、必ず寂しかったって言う。冗談でも、僕を揶揄からかっているわけでもない。隼人は本当に寂しいんだ。隼人、僕も寂しいよ。隼人が出かけて半日なのに、僕は寂しい。隼人、早く帰ってきて……


 クローゼットに入りたい。僕のためにわざわざ工務店に頼んで、僕の部屋に作ってくれたクローゼット。高さは2メートル、横幅は60センチ、そして奥行き45センチで、ぴったり僕サイズ。中に入って寄り掛かると、背板がわずかに後ろへ傾斜する。あの居心地のいい空間……


「あ、だめだ。奥羽さんが来るんだった」

 現実に戻った僕は、陶酔とうすい遊びをやめて立ち上がり、二杯目のコーヒーを淹れにキッチンに行った。


 しかし、暇なのは間違いない。何か映画でも見るか、と、テレビの横のラックをさぐる。映画好きの隼人が夜中にこっそり観ているのを僕は知っていた。


 隼人はコメディーやラブストーリーは必ず一人で見る。誰にも邪魔じゃまされず、じっくり鑑賞したいから、と言う。なのにホラーやオカルト、スリラーなんかは、強制的に僕も一緒に観させられる。だって怖いんだもん、と言う。僕だって怖いよっ! お陰で僕は映画が嫌いになった。でも、たまにはいいかもしれない。怖くない映画を選ぼう。ラックにあるのは古い映画ばかりだ。まぁ、僕たちよりはよっぽど新しい……


 ちなみに、僕たちに戸籍こせきはない、住民票もない。だって人間じゃないんだ、有るはずがない。奏さんだけは、どんな手を使ったのか隼人が戸籍を用意した。だから奏さんは店を持てたし、運転免許も持っている。車も買える。そしてある程度の年数で新しい戸籍に替える。僕らの寿命に対応できる戸籍があるはずもない。


 ラックを探っているとき、隼人から電話がはいった。

「バンちゃん、久しぶり。元気?」

それ、今朝まで一緒にいた相手に言う言葉?


「それがさぁ、ボクとしたことがうっかりしちゃって……僕の部屋のベッドの上に封筒があるから、それ、奥羽ちゃんに渡して。今回の報酬ほうしゅう

そんな大事なこと、忘れるなよ。報酬がないだと? って、奥羽さんが怒ったら怖いぞ。


「あー。それから、いくら暇だからってボクの部屋でディスクとか探さないでね」

「ディスク?」

「うん、バンちゃんが見たら鼻血が出そうな動画が焼いてある。探しちゃダメだよ」

……どんな動画だよっ?


「たとえばピーがピヨッしてピピー、って動画。ね、判った? 絶対探しちゃダメだからね!」

隼人、なんで肝心なところがハヤブサ声なんだよっ? さっぱり判んないぞ。てか、便利に言語を切り替えるなっ! ハヤブサ語って言っていいのか迷うけどね、そのピー音。


「ん、じゃね」

と、一方的に電話は切れた。やっぱり隼人、しばらく帰ってくるな。少し話しただけで、疲労感が半端ないぞ。


 ため息をついてから隼人の部屋に行く。隼人が言っていた封筒はすぐ見つかった。そして、タイトルのついていないディスクが並んでいるのもすぐ判った。


 隼人のぶぅあぁ~か。ああ言えば、僕がディスクを探ると思ったんだろ? で、帰ってきて僕を責めるか揶揄からかうかして楽しむ気だ。その手になんか乗るもんか。


 それとも ―― 本当に僕にも知られたくない秘密が隠されている? あぁ言えば、意地でも僕は見ないだろうと、そう隼人が思ったとしたら? まぁ、いいや。隼人が見るな、探るな、と言ったんだ。言った通りにしておけば、隼人は怒りも揶揄いもしない。


 隼人が隠している事を、僕が知る必要もない。

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