6  転寝、不足する

「うん、久しぶり。そんな狭いところで、よく我慢がまんしているね。いいコだ」


 僕の手を離した隼人がかがみ、ほこらのぞき込み、頬撫ほほなぜと話し始めたようだ。祠の高さは1メートル程度だ。


「今日はね、教えて欲しい事があって来たんだ」

そこからは隼人が声をひそめたので、僕には聞こえなかった。頬撫ぜの声は元から僕には聞こえない。コソデがどうとか言っているのがかすかに聞こえた。


 隼人が話していたのは5分ぐらいだけど、僕には長い5分だった。青白い手が何本も出てきて頬をなぜ回す。記憶を食べるって奏さんが言っていたっけ。いったい僕の記憶のどこが美味しいんだ? 3回くらい舐められた感触もあった。


「うん、判った、気を付けるよ。それじゃ、またね、ありがとう」

隼人が立ち上がって僕を見る。そして、

「今日もまた随分ずいぶん、撫でられてるね。よっぽどバンちゃんの記憶は美味しいんだね」

と、クスクス笑った。


 車に戻ると、すでに方向転換が済んでいて、すぐに出発できる状態だった。隼人はさっさと乗り込むと、

「事務所に」

と奏さんに言った。


 探偵事務所『ハヤブサの目』は、八王子駅南口から少し登ったところにある。1階が事務所、2階は僕と隼人の住居だ。が、事務所に顧客が来たためしがない。仕事の依頼は、いつも隼人がインターネットで請けている。


 頬撫ぜに撫でられた感触が気持ち悪くて、帰るとすぐに僕は2階に行ってシャワーを浴びた。満と朔はクスッと笑ったけれど、隼人はちょっと不満顔だった。


「頬っぺた、触られただけじゃん」

「ん……でも、なんか、舐められたような感触が――」


「なにそれ、今度会ったら舐めるなって言っとく。ボクのバンちゃんを舐めるなんて、ボクが舐められてるようなもんだ」


んー、隼人、隼人が言う『舐める』って小馬鹿にされたって意味? それともペロっと舐められた、のほう? ま、どっちでもいいか。


 さっぱりしたところで1階に降りていくと、隼人は何やら朔と相談しているようだった。満は二人の話しに耳を傾け、奏さんは『俺は部外者』って顔でながめている。


「あ、バンちゃん、せっかく降りてきたのに悪いんだけど、もう一度2階に行って、コーヒーれてきて。人数分ね、間違えないでよ」


なんか、追い払われた気分だったが、仕方ないので2階に戻る。雰囲気的に、人狼兄弟に隼人が何か仕事を頼んでいたと思った。僕に内緒の仕事? なんだろう……


 コーヒーを淹れて1階に戻る。満には砂糖1杯とミルクポーション、隼人には砂糖5杯とミルクポーション2個、奏さんと朔、僕はブラック。ちなみに隼人のコーヒーに砂糖5杯は奏さんには内緒だ。奏さんは、隼人の糖分摂り過ぎをいつも気にしている。僕を見ると満が、『バンちゃん、ありがと』と、配るのを手伝ってくれた。それぞれカップが決まっているから、配り間違える事はない。


「バンちゃんのコーヒーはいつも美味いね」

と、普段ぶっきら棒な朔が褒めてくれる。


「ちょいと失敬」

と、みんなから離れて窓辺に行くのは奏さんだ。窓を開けてタバコを吸うのだろう。


「ボクも!」

と隼人がもらいタバコをしに奏さんについていく。


「煙、中に入れるなよ」

と、それに朔が水を差し、

「隼人、そのうち飛べなくなるよ」

と、満が心配する。その満を

「俺は肺がんになってもいいけど、ってか?」

と、奏さんが揶揄からかう。


 どうやら、僕に内緒の話は終わったらしい。さっき、なに話してたの? と聞いたって、きっとはぐらかされる。僕は気が付いていないふりをするしかない――


 みんながコーヒーを飲み終える頃、隼人が昼寝をすると言い出した。もう日が暮れる時間だよ?


「えー、晩ご飯、一緒に食べようよ」

満が甘えるが、

「駄目だめ。ボクは今日、少ししか転寝うたたねしていない。もう限界」

と隼人は受け付けない。


 確かに隼人は頻繁に眠る。睡眠が浅いらしい。やっぱりおじいちゃんなのかもしれない。


「みんな適当に帰って。奏ちゃん、今日はありがとう、またよろしくね。朔、満、ご苦労様。バンちゃん、戸締りしたら部屋に来て」

隼人、有無うむを言わさず、2階へ行ってしまう。


 代わりに僕が謝ると、朔は手をあげて笑い、満は

「気にしない、いつもの事じゃん」

と、やっぱり笑う。

「じゃあな、バンちゃん。またな。隼人をよろしくな」

奏さんはそう言って帰って行った。


 言われたとおり、戸締りしてから隼人の部屋に行くと、ベッドにもぐり込んでウトウトしている。僕が思ったより、ずっと疲れているようだ。

「バンちゃん、背中を貸して。一緒に寝ようよ」

……なるほど、そう言うことか。でも――


 隼人に背中を向けてベッドに潜り込む。フワッとした感触の後、隼人の顔が背中に押し当てられたのを感じた。


 隼人は『フワッ』とした何か包まれている。それにみんながだまされる。優しくて暖かい何か。でも、隼人には自覚できないらしい。気のせいだよと、いつも笑う。いつも……


「隼人……」

「うん?」

「紅実那さんと何かあった?」


 紅実那さんを送って帰ってきたとき、隼人は様子がヘンだった。だから消耗してしまって、眠いのに、眠れないんだ。


「うん……」

「それとも頬撫ぜ?」

「うん……起きたらバンちゃんにも話すよ」


 それきり何を言っても隼人は答えなかった。今はゆっくり眠らせてあげるしかないようだ ――


 隼人が僕を呼ぶ声に気が付いて目が覚める。いつの間にか僕も眠ってしまったようだ。


「バンちゃん! お腹空いた。晩ご飯まだ?」

あぁ、まったく人使いの荒いこと。


「判った、判った。今、何か作るよ」

「うん、お願い」


キッチンに行くと隼人も一緒に来て、

「オレンジジュース、飲みたい。料理始める前にちょうだいよ」

と、言う。


 冷蔵庫にあるのが判ってるんだから、コップに注ぐぐらい自分でやれよ、と思ったが、黙っていた。言う通りにしてあげれば、隼人はご機嫌でいてくれる。ま、神様に逆らうのもなんだしね。


「バンちゃあん、ストローどこ?」

「ダイニングボードの引出」


 これは隼人、自分で見つけ出し、さっさとリビングに行ってしまう。いつもの事だけど、料理を手伝う気なんてない。冷凍庫のひき肉を解凍して、隼人が好きなミートソースのスパゲッティを作ることにする。


 できたよ、と声を掛けるとすぐにダイニングに来た。ミートソースと気がつくと、ピヨッと喜んで、あっという間に平らげた。


「でさ……」

僕がまだ食べていると言うのに、隼人が話し始める。


「明日、ボクは朔とミチルの三人で鎌倉までお出かけする。バンちゃんはお留守番ね」

って、隼人、なんで僕だけ除け者なんだ?


「だって、バンちゃん、鎌倉だよ? みなもとさんだよ? 相性悪すぎじゃん」

「あ……でも、今さら関係ないんじゃ? それに僕は全く覚えてないわけだし」

「バンちゃんが覚えてなくても、向こうは覚えているさ」


 隼人が言うには、人間だったころの僕は十六歳の時、源平合戦で討ち死にしたらしい。


 僕の首を取った男は、自分の息子と変わらない年頃の僕を殺したことを後悔して、僕を生き返らせようと試みた。で失敗し、僕は吸血鬼になったと隼人が言った。僕にそのあたりの記憶は一切ない。死のショックで生前の記憶を亡くしたようだ。


 世間では、僕の首と胴体どうたいは別々に埋葬されたことになっているけれど、僕を殺した男は密かに首と胴体をつなげ、よみがえりの秘術を使った。


 術は成功したかに見えた。が、最後の仕上げに人の生き血を飲ませようとしたのを拒み、僕は永い眠りに入った。そんな僕を男は洞穴ほらあなに隠した。

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