16 Test your might
「こっち系か……」
凶悪なモンスターとの戦闘を想定して身構えていた僕は力が抜けて、けれど少し絶望的な気分になって、思わず呟いてしまった。両手に構えていた
「……こっち系だね……」
色葉もそう言って、立ち塞がる壁を撫でた。
転移で飛ばされた部屋の、扉を開けると……
……壁。
壁だ。扉を開けたら壁があった。
それも金属の壁。
ぴっかぴかに光る、鋼鉄の壁。
みっちり、隙間なく行く手に立ち塞がっている。
そして金属の壁に、乱雑に文字が彫ってある。
<Test your might>
「……マイトって……助動詞の、mayの過去形だよね? これ文法間違ってる?」
「いや……たしか、名詞でもあったと思う。力、って意味だったはず……ソード・オブ・マイトで力の剣、みたいな訳がついてた」
「ってことは……力をテストしろ?」
「……腕前を見せてみろ、みたいなニュアンスじゃないかな」
そう聞くと色葉はかすかに笑って、こつん、と拳を打ち合わせる。
文字の下に、拳のマークが書かれているんだ。
いかにも、ここに打ち込め、と言わんばかりに。
「おい、拳で破壊しようなんて馬鹿なことはやめてくれよ」
僕は少しため息をついて、彼女の横、壁に進み出た。
「なんで? だってこれ、拳で壊せってことでしょ」
「いくら強化を入れてても、君の手がぶっ壊れちゃうだろ。とりあえず
「リサの話だと、掃除専門の
「そいつらのルートが、僕らに使えない仕組みをぜひ知りたいね……」
「君ねー、ダンジョンのわびさびをどうのこうの言うくせに、ショートカットでチートするのはいいの?」
「使える裏道があったら使うのはチートじゃないだろ、
「ああ言えばこう言うんだからほんと、屁理屈くんめ」
何百回と言われた色葉の台詞に少し笑ってしまいながら、
分析中のプログレスバーが壁の上に出て、しばらくすると歯車がかみ合ったような、小気味の良い音と共に、専用のウィンドウで分析結果が出てくる……出てくるけれど……。
「……厚さ30センチの鋼板、ね……」
出てきたところで、どうしようもないかもしれない。
「なら、いけるんじゃない?
色葉がぐっ、ぐっ、と屈伸。まったくほんとに、彼女みたいに常に自信満々な人間の側に居ると、僕のような人種はいろいろつらい……まあ、助かることも多いけど。
「…………土エレメント全振りで行くか」
「竜胆、一応離れといて」
「了解」
「ほっっ」
壁の数メートル手前で華麗に跳び上がり、
全体重と加速度を乗せて、思い切り振り下ろす……!!
……ふにょん。
「…………はい?」
僕は目をぱちくりさせて、その光景を見た。
厚さ30センチの鋼板が、不思議なオーラに包まれている。
水みたいなそのオーラは、色葉も、
「………………ほらやっぱり拳じゃん!」
「でも……ええ……まじで……?」
おそらくはなんらかのスキル、魔法がらみのなにかが使われているのであろう壁は、静かにたたずんでいるだけ。僕の
「でも色葉、30センチの鉄板だぜ……? 人間がいくら強化したって、砕けるわけない…………概念系、システム系の能力者か、魔法系で溶かすとか……」
試しに
「それに作用反作用の法則って習ったろ。30センチの鉄板を拳で殴ってぶち壊せる力があったとしても、それで実際に殴ったら君の拳にもその力がかかるんだ。粉砕骨折どころじゃない、右腕の骨全部
「でも、
「おい、わかってて言ってるのかよ、それで服が30%以上破壊されたら死んじゃうんだろ」
「うーん……腕1本って体の何パーセントかな?」
「……勘弁してくれよ……」
「あはは、竜胆。心配してくれてありがと。でもさ、こんなの、いつもの冒険と、同じリスクだよ」
「そりゃ……そうだろうけど……」
言葉を濁してしまうと色葉は軽く笑い、僕の手を握った。
「死ぬかもしれない。でも、死ぬかもしれない危険をくぐり抜けるのが、冒険でしょ? なら、最初の日から今までずっと、やってきたじゃん」
「そうだろうけどさ……」
「あのね……私、今、すっごいドキドキしてる。君と一緒に冒険してるんだもん」
「そりゃ、今までだっ」
「て、そうだったけど、今は2人きりでしょ」
少し赤くなった頬でそんなことを言われると、なにを言ったらいいかがわからなくて、目をぱちくりさせてしまう。
「2人パーティなんて……」
「…………はいはい、バランス悪いね、そうですね、こういう経験値システムならフルメンバーいないと効率が悪いですね、はいはい」
「なんだよもぉ……」
「……ね、あのさ、私は昔からずっと思ってるんだ。君と一緒なら、どんな壁だってぶっ壊して、知らない世界に飛んでいけるって」
「……僕だって昔からずっと思ってるんだけど、なんで僕を見てそう思えるんだ? 僕はただ、死ぬまで一生ゲームしてたい、って、それだけの人間だよ。いや、人間と呼べるかどうかもだいぶ怪しいと思う。時々自分のことは、人の形をしてるだけのうんこだな、って思うことがある」
「あはははは、うんこって。でも……私、小学生の頃は、リンくんは宇宙人なんだー、って思ってた」
「……まじで? なに星人?」
「正しいことしか言わない、正解星人」
「なんだそりゃ、人生で正しい決断をしたことなんて、1回もないぞ」
「ううん。君はいつでも正しいことしかしてこなかった。だからそう思うんだよ。世間ではそうなってるとか、こういう場面ではこうすべきとか、そういうこと、気にしたことないでしょ」
「…………気にしない、じゃなくて、僕にはそういう機能がついてないだけだよ。気にできない、なんだよ……そういうこと、あんまり言わない方が良いぜ。こっちにしてみたら、貧乏で仕方なくご飯に醤油だけかけて喰ってるところを、あらすごいわ、食卓に創意工夫が溢れていますのね、って言われてるみたいだ」
「あは、じゃあ私縦ロールのお嬢様にならなきゃ。でも……知ってる。君がずーっと、それで悩んでる……悩むようにしよう、って思ってることも。見てきたもん、16年間、ずっと」
「僕のこの苦悩が、フリだって?」
「だって、誰になにを思われてもどうでもいいでしょ、竜胆は。ゲームの方が大切だから。ふふふ、人生にクッキーを焼くより重要なことなんてない、だもんね」
「………………まあ、そりゃあ……」
「なのに、世間と自分がズレてることが、苦しいの? いや?」
「…………言われると自分でも、よくわかんなくなってきたな」
「でしょ」
……。
……。
……。
きゅっ。
「……なあ、それで、その……あー……手は、つながなくても、いいんじゃないかって、思ったり、しないことも、ないけど」
「えーーーーー……やっ。やーーーっっ。やーです」
「やーです、って……君、なんで時々幼児になるんだよ、複雑な幼児期を過ごしてきたトラウマ持ちキャラかよ」
「んふふ、そーなのです、だから特別なケアが必要なのです」
「16年間ずっとしてきたこっちの身にもなってくれ……」
「……うん、いつもありがとね、そばにいてくれて」
「なあ………………まだ、ダメなのか」
「うん。ずーーーっとだめ。君がそばにいないと、だめ」
「…………なんでまた」
「だって、君が全部、教えてくれたんだもん。自分が楽しいことを、全力でやればいいだけなんだ、って。他のことは、全部おまけだって。お父さんが何人目でも関係ない、お母さんがいないのも関係ない、全部、自分なんだって。君がいなくなったら、私、どうしたらいいか全部、わからなくなっちゃう」
「教わったんじゃないのかよ」
「お手本が横にないと不安じゃん?」
「不安なやつがそんな服着るかねぇ」
「これは鎧なの」
「ベタな
「王道って言って」
「にしたって……生き物は全部、そんなこと知ってると思うよ」
「もーーーーあれこれあれこれ! へりくつお化け! 私にとって君はもう、体の一部なの! 一部が元気なくなったら、心配になるでしょ!」
「お医者さんに任せたらいいじゃないか。あいつら大学入っても卒業してもまだ勉強するんだぜ、そんな狂人信頼しかできない」
「もーーーーーー! へりくつ大魔神! ばーーーか!」
「正解星人よりは、へりくつ大魔神のがいいな」
「まったく……こっちがやれやれって言いたくなってきた」
「な、言いたくなるよな。時々さ。まいったぜほんと、やれやれって感じだ」
そう言うと僕たちは顔を見合わせて笑い合った。
やがてそれが収まると、色葉は僕の手を解き、正面から見つめる。
赤い顔をさらに赤くすると、意を決したように唇を引き絞り、眉を寄せて困ったような顔になる。
かと思ったら、抱きついてきた。
かたく、かたく、きつく。
色葉が、囁く。
「……
耳元で聞こえる、彼女の声。
吐息が耳朶をくすぐるように触れて、ぴりぴり、脳の半分が痺れるみたいな不思議な感覚が、背骨を伝って全身に駆け巡っていく。
用事、だ。
これは用事だ。
ひょっとしたら死ぬかも、って危険をくぐり抜ける前の。
それでも、たっぷりとした布量の
少し爽やかな柑橘系の香りが僕を包む。たぶん、コーデをスキルできれいにしたときの残り香。そこに少し、彼女自身の体臭が混じる。清潔な服と体ににじむ、なまなましい汗の香り。しっとりとした首元の、完璧なセットからわずかに逃れた後れ毛が、僕の鼻息でふわふわと揺れているのが見える。幾重の布越しの、奥の奥の、豊かな膨らみの感触も感じ取れるのも、気のせいじゃなくて。
…………用事。
これは、用事、なんだ。
それ以外の意味は、ないんだ。
それなら、答え、られる。
「……や……やっては、みるけど、賭けになる。防御力……攻撃力が……数値で出てくれればな……いくらエレメントを注ぎ込めば、どれぐらい頑丈になるか、正確なところがわからないんだ」
「それでも……上等!」
がばっ、と僕を離して、背中を向ける色葉。
「……な、なあ、色葉……その、今の」
「なんでもない! 充電しただけ!」
そう言うと振り返り、耳まで真っ赤にしながら、笑う色葉。
「さ! やっちゃおう竜胆! 私と君、君と私、できないことなんてない!」
けど、僕は動けなかった。まだ彼女の体温、香り、細い髪の毛が自分の頬や、首をくすぐる感触が体に残っている。脳が、怪しげなサイトを見たときのアンチウィルスソフトみたいに、ひたすらにポップアップを投げかけてくる。そのポップアップには、性的な要素です、と書いてあって、僕はますます、どうしたらいいかわからなくなってしまう。なのに体、脳みそが圧力鍋に入れられたみたいにぐつぐつ煮えたって、その熱が体全体に拡がっていく。ばくんっ、ばくっ、心臓が耳元まで飛び出てきて鳴っているみたいにさえ聞こえる。
「……ちょ、あ、あの、ご、ごめん、竜胆、なんか、あの、なんか、盛り上がっ……ちゃって……」
数十秒、固まったままの僕を見て、色葉がおたおたとし始める。赤かった顔が徐々に青くなっていって、よくもまあこんなにころころ、表情を変えられるものだなぁ、なんて少し感心してしまう。
「ちょ、あの、ほんと、ごめん! あの……え……ご、ごめん、なさい……わた、私…………君に、していいか、聞かないで、あの……ご、ごめん、ごめんね、竜胆……」
色葉がこんなにあたふたするなんて、果たして僕は、どんな顔をしてたんだろうか。表情を作るリソースがなさすぎて、完璧に無の表情をしてたと思うんだけど……。
無の裏で脳みそをぐるぐると駆け巡っていたのは、いつものこと。
そう、16年間ずっと駆け巡ってる、いつものこと。
いつものこと過ぎて、改めて言葉にしたくもないこと。
①難聴系主人公になりたくない
そもそもこの言葉はマジで難聴の方にむちゃくちゃ失礼だし、別の呼び方だったとしてもなんていうか……あまりにも
②舞い上がる童貞になりたくない
でも少々優しくされただけで、この子はオレに気があるんだ、なんて舞い上がる童貞にもなりたくない。舞い上がった僕のメッセージが巡り巡って将来的に、キモオタからのイタいメッセ、としてSNSをバズらせて誰かの広告収入の
③そもそも論
コミュニケーションは別にいらないので、って生きてきた僕が、そのエンドコンテンツ、廃人用課金DLCその①みたいな恋愛とかいうやつに、チャレンジできるわけない。していい、とさえ思えない。人生を捧げた狂人達がすべてを賭けて戦っている現場に、のんきな顔した初心者がノコノコ入っていく、なんて。
④かわいいは暴力
けど、色葉はかわいい。
⑤じゃあ一体全体、どうしたらいいんだ、僕は?
結局、できるのは、できたのは、いつもと同じこと。
なので、言った。
「色葉……その服、脱げないか?」
「………………ふぇっ?」
「たぶん、その方がいいと思う」
「ふぁっ……いっ、いやっ……あっ……あぅっ……」
「マックスで
「…………………………………………あ、はい」
おお、用事、用事よ。
会話する必要性よ。
本日も僕を救ってくれてありがとう。
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