#6-5「メンヘラ誕生」

 三種の魔器は亡国ニライカナイより流出した篝火イグニス由来のオーパーツである。

 島ごと存在を隠匿し続けて、何千年も篝火イグニスによって栄華を築いてきた文明。その象徴たる、強大な力を有したアイテムだ。3つの内どれか1つを有した国家は、それだけで強大な軍事力を保持していると言っても過言ではない。

 九裂薙剣くさなぎのつるぎは、空間などを含め、あらゆる事象モノを切り裂く。

 八汰鏡やたのかがみは、精神や生命といったエネルギーそのものを吸い上げ蓄える。

 八咲禍魂やさかのまがたまは、所有者の篝火イグニスと生命力を極限まで底上げする。

 即ち八咲禍魂やさかのまがたまを宿した少女は、不老不死に加えて、篝火焦爛イグニスセカンドにも匹敵する篝火イグニスを有す──対黒澤弥五郎だいだらぼっちへの切り札ともなり得る、人間兵器として造られた。

 そのハズだった。


「ヌルいぜ」


 藤堂紫苑は、血の海から放たれた赤い槍と大鎌をまとめて紫電で弾き飛ばす。

 加えて飛び出した60号自身が振り放つ、巨大なノコギリによる斬撃の嵐さえ軽くあしらう。袈裟斬りは身を反らして躱す。横薙ぎは踏み込みつつ身を翻して避ける。

 60号の攻撃速度は確かに恐るべきだ。けれど藤堂紫苑の挙動には及ばない。

 物理的な速度は60号が上だ。しかし60号がいくら手数を繰り出そうとも、紫苑の服さえ掠りはしない。まるで動きの先を予感している様に、紫苑は60号を弄ぶ。

 それは何故か。すぐに思い当たった。60号の戦闘経験とは、あくまでバーチャルで擬似的な戦闘訓練によって培われたモノである。

 アフガンやラスベガスでの噂が本当なら、おそらく幾千幾多の戦場で実際に培ってきた彼のセンスには及ぶべくもない。仮想空間で自己満足の様に繰り返された経験値など。

 人知を超えた第六感は、続くか終わるかを懸けた真なる修羅場でこそ培われるモノである。それは他でもない、私自身だからこそ痛々しいほど強く知っていた。


「どうして、どうして私の刃が届かない!?」


 60号が巨大ノコギリを何度も振り抜きながら悲痛な叫びを上げる。

 数え切れない程の赤い槍と槌が展開された。少女の正面には、巨大な赤い剣が形成された。それを前にして、紫苑は右手と左手それぞれに紫電を纏わせる。

 右手は埃を払う様に真横へ振られ、左手は少女へと人差し指を向けた。


「簡単だ。アンタが世界を知らないからだろう?」


 『範囲掃討ビートダウン』。

 彼がそう唱えると同時に、降りかかる無数の槍と槌は切り払われた。

 真っ向から迫る巨大な赤い血の剣は、同時に放たれた紫色の光線で、少女ごと吹き飛ばされる。


二重発動ダブルダウン──『高圧放電ダウンフォール』」


 まるで地上に奔る一直線の流星だった。

 赤色の暴威も、少女さえ区別なく飲み込む電撃は、吹き荒れる突風と共に一瞬で姿を消した。

 おそらく私が【グラウンド・ゼロ】という篝火イグニスを持っていなかったなら、とうてい彼と渡り合う事は叶わない。それを瞬時に察した。

 なぜなら巻き上げられた土埃が晴れる頃、少女は弱々しく横たわったまま身動きも取れなかったからだ。

 八咲禍魂やさかのまがたまを植え付けられ、兵器として造られた少女。眩い電光の奔流に飲まれ打ち倒された彼女は、地面に伏したままうめき声を上げる。

 そして横たわったまま弱々しく呟く。


「殺して……」


 ろくに身動きも取れないまま、掠れた声で絞り出す様に言う。


「私を殺してくれ……」


 実験体の少女が辛うじて自我を保ち続けてきたのは、役割があったからだ。自身と相対する強者を打ち倒す。その使命と刷り込みだけが拠り所だった。

 けれど彼女の初陣は惨敗に終わって、研究所も崩れ落ちた。成すべき事は成せず、耐え続けてきた苦痛は無為に終わった。

 それは第三者的な視点で彼女を眺めていた私の感想に過ぎないが、おそらく彼女の胸中にも、同じ様な空虚感が渦巻いていたのだろう。

 当事者であるだけ、深い絶望を伴って懇願したに違いない。

 倒れたまま失意に沈む少女へと、紫苑は何も言わず歩いて行く。

 無造作に転がり落ちていた巨大ノコギリを拾い上げる。


「待て、藤堂紫苑!」


 私は咄嗟に叫んだ。私の制止など聞く耳も持たず、彼は巨大ノコギリを片手で高く持ち上げ、鋭い刃を振り下ろす。

 そして刃は少女の首を断たずに、真横の瓦礫に深々と突き立っていた。


「ヤだね」


 藤堂紫苑は言う。


「殺してくれないのか?」

「アンタはもっと強くなれるだろうに、ここで殺したら勿体無い」


 呆然自失に囚われた少女へと、不遜な少年は無情に応答する。

 いくら研究所の場所を知っていたとしても、藤堂紫苑は少女の来歴を知らないハズだ。彼女に同情したとも考えにくい。

 あくまで彼は自分勝手に告げた。


「逆にアンタが……いつか俺を殺しに来いよ。そのバカみたいにデカいノコギリでも担いで、俺の首を狙えば良い。そっちの方が愉しみだ」


 身勝手な言葉は続く。

 倒れている少女の、泥の様な血流に彩られた日々をも踏み躙って。


「アンタは経験値が足りない。外の世界を見ろ。色んなヤツと戦え。旨いモン喰って血肉にしろ。死にたがる前に、まずは生きる事に狂ってみなよ」


 しかし少女は、唐突に突き付けられた言葉と、星空を受け止めきれない。


「お前に……私の何が分かると……自分の名前すら忘れた私に……」

「分かりもしないし、知らないさ。けれどアンタだって俺の事も、外の世界も、何も知らない。だから俺を殺せない」


 少女はついに言い返すべき言葉を失った。

 藤堂紫苑は仮面を外す。それから拾った仔猫の名付けを悩むように逡巡してから、夜空へと視線を遣って、おそらく適当に思い付いたであろう単語を放つ。


「昼」


 夜空を見上げながら、彼は言った。


「闇の対極だ。まずは真昼間の太陽を浴びると良い」


 藤堂紫苑という男は星空を背景に、誘う様な笑みを浮かべる。瓦礫の上に立つ華奢で端整な少年は、少女を惚れさせるに充分な色気を醸していた。きっと今も、かつて60号と呼ばれていた少女の脳裏には、あの一枚画の様に完成された姿が焼き付いて離れないのだろう。


「白昼に差す陽光の中で煽る酒は最高だぜ。アンタは、その味も知らないだろう?」


 そう言ったきり、彼は姿を消す。

 どこへ飛び立ったのか。分からないまま、黒い人影が残像も残さないで去った。

 全身の麻痺が残るままで頼りなく立ち上がる少女は、大きなノコギリの柄を掴み、今にも倒れそうな足取りで歩き出す。

 覚束ない足取りを、消え去った少年の背姿を追う様に踏み出す。

 私は少女を引き止める事さえ出来なかった。

 ただ夜明け前の闇へと引き寄せられる様に歩む少女を見送る。


「……かくして少女は、流星が如く現れた少年を追う」


 瓦礫の合間から、初老の男が立ち上がった。左達だ。彼は頭と横腹を溢れる鮮血に染めて、詩的に呟く。少女の背姿を、満足気に見送りながら。

 お身体は無事ですか、と問うまでも無かった。傷は致命傷で、出血は致死量だ。

 今から治癒の能力を持った篝火イグニス使いを呼んだところで、間に合うまい。

 それは左達も判っているだろう。判っている上で、彼は懐から取り出したピストルの銃口を、自身のこめかみへと向けた。


「苦痛から逃れたいのですか」


 私は左達へと問う。


「そうですね。逃れたかったですとも。ずっと。私が自らに『地獄へ落ちてしまえ』という呪詛を唱え続けてきたのも、罪悪感という苦痛から逃げたかっただけなのかも知れません……」


 今や白い檻は砕かれ、少女は自由を纏った未来へと踏み出した。

 ゆっくりと遠のいていくプラチナブロンドの髪を横目で見やり、左達は満たされた様な微笑みを湛える。それから遠い空の星々を見上げ、快活な笑みを満面に表した。


「やっと終われる」


 引き金を引く音と同時に、左達の頭から赤い驟雨が吹き出す。

 真横に倒れた死体から流れ出る血が、白衣を染めていく。

 それらに無関心のままで、東側の荒野から陽光が顔を出す。

 私は哀れな研究者が果てた横で、暁の空を眺める事しか出来なかった。


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