#4-5「ペペロンチーノ(対戦希望)」

「という事で……パスモから巻き上げた400万円だッ!」


 ここは古ぼけた『そば処・こやま』の店内である。

 蕎麦屋の座敷席にあるちゃぶ台で、寂れた店内に似つかわしくない札束を4つ、順番に叩き付けていく。

 オレは4つ目を置いた後に、鼻から息を吹きながら岩猿みたいなガッツポーズを決める。

 してやったり、という気分で蛭と店員である女性の方に視線を向けるが、彼女らは全く興味ない様子でカウンター席に着座していた。視線すら合わせてくれない。まるで興味ナシだ。

 ちなみに女性店員もヴェリタスユーザーで、コードネームは透狐と言うらしい。


「あれっ……そんなに無関心だと流石に凹む……」

「3つのアタッシュケースに札束を10億円も詰め込んでいる怪物が、そこに居ますので……」

「あんまり一馬に興味が無い」


 蛭の率直な一言が恐ろしい切れ味で一刀両断してきた。


「いいやッ、よくやったぜえ、一馬あッ! テメエは晴れてバッドメディスンのチャンピオンだあ! テメエならパスモ相手でも幾らかヤレるだろうとは思っていたが、まさかまさかの、スカッとする完全無欠圧倒的大勝利だあ!」

「ちょ、やめろよ……岩猿コラァ」


 ああもう、鬱陶しいなあ。

 岩猿が乱暴な手付きでワッシャワッシャとオレの頭を撫でる。

 何だよもう、こういうスキンシップが過ぎるのはオッサンの悪い癖だ。まるで親戚の甥っ子みたいな扱いをされている様で、どうにも座りが悪い。

 けれど、そもそも親戚の叔父に撫でられるという体験が無かったからか、不思議と岩猿の手を振り解く気になれない。そういうところも含めて調子が狂うので、やめて欲しい。


「……いや、ていうかこれじゃマジで馴れ合いだろうが、いい加減やめろや!」


 岩猿の手をしばく。

 オレと岩猿の茶番を眺めてから、紫苑はクックック……と、いつも通りのスカした笑い声をこぼす。


「実際に大したモンだったぜ。自分と相手の力量や、場の流れを見極めた上で……ここぞで渾身の一撃を放つ。俺としても良いモノが観れた。もっと誇れよ、その勝利を」


 彼は機嫌が良さそうな様子で胸ポケットからタバコの箱を取り出すが、中から一本だけ咥え指先を先端に当てた辺りで、とんとん、と透狐に肩を叩かれる。

 振り向く紫苑に、透狐は「全席禁煙」と達筆な筆字で書かれている張り紙を指差す。

 紫苑は何も言わずにタバコを仕舞う。無表情のままだったが、心なしか、どことなく雰囲気がしょげているように見えた。


「ちょっと待て紫苑お前、何その言い草。オレが勝てると思っていたからけしかけたんじゃないの?」

「半々だ。俺はパスモと会った事すら無かったからな。強くなりたいならもっと強い奴と戦うのが一番だろ」

「念の為に聞くけど……それオレが負けたらどうするつもりだったんだよ」


 紫苑と、岩猿と、蛭と、透狐はそれぞれ顔を見合わせてから、オレの方へ向く。

 そして順番にしれっと言い放つ。


「見殺しだ」

「見殺しだろうがよお」

「見殺しだぞ」

「見殺しですね」

「なんで透狐まで……アナタ初対面でしょ確か」


 オレの「初対面」という言葉に反応した透狐が、どことなく寂寥感のある陰りを表情に忍ばせた気もするけれど、それを追求する前に彼女は爆弾発言をする。


「初対面じゃありませんよ。貴方は私を忘れている。それが私の副作用ノシーボです。そして……視ていたんです。私の【篝火イグニス】で、あの瞬間の貴方を」


 ちょっと待って。さっき聞いたけれど、それ「相手の心と視界を覗く」ってヤツじゃない?


「ッキャアアアッやめろッマジで恥ずかしいから!」


 あの時は、そりゃもうテンションがブチ上がって変な事を考えていた気がする。

 透狐は生温かい視線を向け、口元に手を当てながら、柔らかく優しげな笑い声を零す。


「大丈夫ですよ。無闇に言い触らしたりはしません。不器用だけれど、良い信頼関係じゃないですか」

「だからっ、そういうのをっ、止めろって言ってんの! あと初対面とか言ってごめんね!」


 首の裏あたりが、すごくムズ痒くて、居心地が悪い!

 

「それより……そろそろ何か注文したらどうかね。一応ここは蕎麦屋だからな」


 オレが慣れない感覚に戸惑いながら身悶えていると、ザイツェフが厨房の入り口にある暖簾を手で避けつつ現れた。今日のザイツェフは、そば処・こやまのエプロンを着けている。

 注文を促され、真っ先に手を上げながら叫ぶのは岩猿だった。


「今日の俺様は肉うどんをガッツリシッポリと喰らいたい気分だぜえ!」

「あ……じゃあオレは親子丼と味噌汁のセットで」


 昨日は疲れたから、丼物を食べたい気分だ。


「紫苑と同じ物が食べたいぞ」


 いつも蛭の注文は同じだ。必ず紫苑と同じ物にする。だから他の店でも、紫苑の注文は必ず2人前が届く。

 それを受けた紫苑は、暇を持て余しているらしい。何本か束ねたワイヤーであやとりなんぞしつつ、少し考え込んだ後で言い放った。


「ペペロンチーノ。黒コショウは多めで」


 すぐさま勢い良く音を立て、白い皿がテーブルに置かれる。

 ザイツェフが置いた皿の上には、湯気を立てつつ瑞々しい光沢を纏う、美味そうなパスタが置かれていた。

 舌打ちする紫苑に対して、ザイツェフはしたり顔で腕を組む。


「今日はキミとり合うつもりは無いからね」


 オレと岩猿は爆笑して、透狐もお盆で顔を隠しつつ頑張って笑いを堪えていた。







「こんにちは。貴方は在りもしない神を信じる愚か者ですか?」


 それはまるで、眼前に広がった闇色の沼がいきなり吹き上げて、空へと漆黒の雨を舞い上げて突き刺す様な威圧感だ。

 背筋を素手で直に掴み、骨の細胞を侵食して、骨髄の中から掻き回すような忌避感だ。

 つまり圧倒的な強者とエンカウントしていた。


 ここは岩猿と共に訪れている、郊外の建設現場だ。

 建設現場とは言っても、1年以上も前に何らかの事情で工事は中断されたらしい。つまりは完成を見なかった廃墟だ。近辺は住宅も少ないから、多少ならオレや岩猿がドンパチやっても誰も駆け付けない。

 オレがパスモを倒したあの日から、しばらく岩猿や紫苑を代わる代わる特訓に付き合わせていた。

 紫苑と蛭は、ここに居ない。こんな時に限って別行動だった。


 今夜、月明かりに浮かび上がる黒い廃墟は何も語らないでいる。

 ただ先程まで手合わせしていたオレと岩猿は、招かれざる客へ視線を注いでいた。釘付けになったまま、うなじから爪先まで微動だに出来ない。

 黒澤會の幹部であるソイツは、それほど異様なプレッシャーを放っていた。


 藤堂紫苑は強いが、その雰囲気を微塵も嗅ぎ取らせない。居合や合気の達人めいている。

 対して、手下を何人か引き連れながら悠々と歩いてくる……神父服姿の男は、殺気を隠しもしない。

 ヤツの姿は見覚えがある。ザイツェフがオレ達に大太法師だいだらぼっちの事を話した時だ。モニターに映し出された武闘派幹部の内で、ピックアップされた男である。


「善悪の定義や正義とは、つまり強者が敷いたのりである」


 身を包む神父服姿に、シルクハットを被っている。その奥から丸い眼鏡が、月光を跳ね返して煌めく。


「そうは思いませんか。初めまして。私は黒澤會幹部……通り名を喰蛇くいばみと申します。死後お見知りおきを」


 神父服の男は、喰蛇は恭しく掌を胸元に当て、優雅な所作でお辞儀する。

 連れ立っている配下の連中も、それに倣う。


 オレは自分が強いのだと錯覚していた。

 オレ達の実力は図抜けているのだと勘違いしていた。

 だから、この日まで思いもしなかった。

 まさかアイツが、こんな無惨に──……。

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