Chapter5 VS『喰蛇』

#5-1「口、口、口、口、口!」

「蛭という少女に埋め込まれた『八咲禍魂やさかのまがたま』を回収せよ……ですか」


 かつて篝火イグニスによって栄華を誇る国があった。

 今や廃墟が立ち並ぶ島と成り果てた亡国の一角で、神父服の男は反芻する。

 彼は喰蛇くいばみという二つ名コードネームを持つ。都内でも屈指のヴェリタスユーザーとして、長きに渡って君臨し続けている奇人であり強者だ。

 高層ビルだった廃墟の一室で、その喰蛇が、酒瓶を呷る男に畏まっていた。喰蛇は主人の用命を承る執事の様に、自らの胸元へ手を当てている。

 擦り切れたソファに深く腰掛けている男は、名を黒澤弥五郎という。後ろへ流した黒髪の一房が、耳から落ちて俯いた顔の前に垂れる。


「お前の信仰とやらは、結果で示せ」


 端的に紡がれた言の葉が、神父を膝から落とし跪かせる。

 喰蛇は祈りを捧げる様に、両手を組み合わせ、陶酔しきった恍惚の表情で誓う。

 頬に涙が伝って、月明かりに照らされて光る。

 それは……日本の東京にある工事現場で、喰蛇と、黄河一馬および岩猿が邂逅するより少し前の一幕だ。


「ああ我が主よ。この命に変えても尊き神託をッ……必ずや成し遂げましょうッ!」







 オレと岩猿は恐怖している。

 それほど目の前の喰蛇くいばみが放つ迫力は圧倒的だったから。

 神父服に身を包んでいる長身の男だ。黒いシルクハットの奥から丸眼鏡を覗かせている。見た目は岩猿より細いハズなのに、本能が「この男は危険だ」と告げていた。


「それでは自己紹介も程々に……単刀直入に要件を述べます。あなた方と行動を共にする、蛭という少女の……居所を教えて頂きたい」


 まるでファーストフード店のアルバイトに注文を言い付ける様な軽い所作だ。

 喰蛇は何でもない様子で右手を差し出す。


「居所を言うとも言わずとも、殿地獄へ行く事になりますが」


 喰蛇が手を差し伸べた空間に、生々しい巨大な唇が姿を現す。


「審判の門よ、悍ましく開け……【喰戸クラウド】」


 唇は唾液の糸を引きながら開き、白い歯と漆黒の口蓋を見せ付ける。

 口中の深淵から大量の銃口が生えて、一斉射撃を始めた。

 即座に岩猿の拳が地面を打ち付ける。


「【国つ神の槌ギガースハンド】ォ!」


 スコールの様に襲い掛かる弾丸を、競り上がる岩石の壁が受け止めていた。

 耳をつんざく銃声の嵐がようやく止む頃に、立ち込める硝煙の向こうから、喰蛇がゆったりとした拍手を鳴らしつつ歩み寄ってくる。


「卓越した反応速度と防御力だ。下品を糞尿で煮込んだ様な俗物と言えど……流石はパンドラのチャンピオンたる男ですね」

「とんだ御挨拶じゃねえかあ、だったら覚悟は出来てんだよなあッ!?」


 隻腕の岩猿が、コンクリートで右腕を作り出し、それを地面に強く打ち付ける。

 瞬く間に地面から岩石の礫が舞い上がった。


「【エルドラド】!」


 岩猿の攻撃に被せる形で、オレも金色の炎を吐く。

 礫が火炎を帯びて、流星群さながら喰蛇達へ襲い掛かる。

 しかし礫は、ひとつも喰蛇や手下の連中に届かない。

 喰蛇が両腕を広げるなり、大量の口が虚空に現れて開く。

 それらが岩石の猛攻を全て呑み込んでしまう。

 まるで池へ小石を投げ込む様に、燃え上がる石礫は吸い込まれ消えた。

 それを見ていたオレは得も言われぬ虚無感に襲われ、恐怖と嫌な予感が、じわり、じわりと地面を湿らす雨の様に広がってゆく。


 空間を操る類の篝火イグニスは希少だ。それは炎だとか岩石だとか具体的なモノを操る篝火イグニスに比べて、あまりに抽象的な概念だから……という説があるらしい。

 けれど間違いなく喰蛇の篝火イグニスは、空間を掌握している。自由自在に現れる「口」という具体的な形を伴う事で、それを制御しているのだろう。

 先程の銃撃は、別の場所で銃火器を予めストックしておいたのかもしれない。何か仕掛けを施せば、その引き金を一斉に引くなど容易い。

 岩猿の攻撃は、おそらく遠いどこかへ飛ばす事でやり過ごしたのだ。


「攻防一体かよ。面倒臭い篝火イグニスだな」


 オレは吐き捨てながら、鞘から抜刀して刃に火を吹き付ける。


「はん、所詮は篝火イグニス頼りのエセ神父だあ。さっさと潰してやるぜ……」


 言うなり岩猿は生身の拳と、岩石の拳を、胸の前で打ち付けた。

 辺りのコンクリが脈打つみたいに盛り上がる。


「逆に黒澤弥五郎だいだらぼっちの銀行口座暗証番号から、ニッチな性癖の検索履歴まで聞き出すに限るぜえ!」


 岩石の巨人兵団と、岩の柱や槍が、押し寄せる津波の様に起き上がる。

 岩猿は最初から全力で攻めるつもりだ。


「【国つ神の槌ギガースハンド】ォ……『ティタノマキア』ッ!」


 岩石によって象られた猛攻が、全てを飲み込まんばかりに喰蛇達へと迫る。

 こう見えて岩猿は冷静だ。最近ずっと夜な夜な面と向かってタイマンでやり合ってきたから分かる。喰蛇が繰り出す篝火イグニスは、どの程度まで口を拡げられるのか。それを確かめる腹積もりだ。

 即ち喰蛇の、防御できる許容範囲を見極めるつもりらしい。だから初手から岩猿は最大火力を繰り出した。

 すぐ察したオレも畳み掛ける。

 炎の刃を真横に振り抜く。火炎の斬撃を飛ばす。


「【エルドラド】! 『炎纏剣えんてんけん閃翔せんしょう』ッ!」


 対する喰蛇は深い溜め息を吐く。

 見えない指揮棒を振るう様に、喰蛇の腕が揺れる。

 次々と中空に現れる大小さまざまな口が、石柱も槍も岩石巨人の殴打も、オレの炎も区別なくするりと呑み込み食い荒らした。

 更にもうひとつ大きな口が岩猿の横合いへ現れて、生身の左腕に喰らい付く。歯が腕を切断するより速く、岩猿は口を振り払う。二の腕の肉が大きく抉られ、岩猿は忌々しげに舌打ちする。

 本当にズルい篝火イグニスだ。

 手数も多いし挙動も早い、オマケにサイズも自由自在と来た。どう攻略するか。


「岩猿殿、いや品性の欠片も無いエテ公め。貴様は2度も看過できぬ過ちを犯した」


 オレが考えていると、喰蛇の声に暗い怒気が灯った。

 言い様に喰蛇が薄い紙を懐から取り出して、頭上高くへ掲げる。写真だ。いつぞやザイツェフに見せられた、大太法師だいだらぼっちの巨大な背姿が映っている。

 喰蛇は写真を口元に近付け、写真が折れて歪む程の強烈な接吻で吸い上げた。

 唾液を撒き散らしつつ写真から唇を離したと思えば、大きく開いた口から長い舌を覗かせる。舌の先は二股に割れていて、さながら蛇のそれを連想させた。スプリットタンとかいうヤツだ。それが残像を引く程の速度で、写真を舐める。

 喰蛇は写真を舐めながら、血走った目で岩猿を睨み付けた。


「いつぞや我ら黒澤會が差し伸べる手をッ、振り払ったに飽き足らずッ、我が主をッ、黒澤弥五郎だいだらぼっち様を愚弄したかッ、その穢らわしい下賤な口でッ!」


 長い舌を振り回し、唾液を散らしながら、裏返った金切り声で叫ぶ。


「何がパンドラのチャンピオンかッ! その程度のちっぽけな肩書きで、猿山の猿が唯我独尊を気取っているッ! それすらも目障りでッ、私は憤懣遣る方無い!」


 喰蛇は写真を、ポストの中へ封筒を投函する様に、横へ広げた口の中へ差し込む。

 それから両膝を地面に付いて、両手を地面に当てる。


「もはや慈悲をかけるに値せぬッ! であれば篝火イグニスという異能のッ、深淵へと辿り着いた者が花開かせるッ、我が力をッ! お見せしましょう──……」


 ぐぱぁ、と。

 巨大な口が足元に現れ開く。喰蛇自身もその手下も、オレや岩猿も、雑に置かれた建築用の鉄骨や資材をも丸ごと飲み込む。

 重力に抗えず落ちてゆくまま、オレは喰蛇の声を聞いた。

 そして巨大な口は閉じ、一筋の光も刺さない闇が視界を覆う。


「……──篝火焦爛イグニスセカンド、【土喰魔喰ドグラマグラ】」



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