第31話【変化と天使】

 翌日。

 グラウンドでの体育の授業を終えた俺は、像の水浴びよろしく、手洗い場で思いきり顔を洗っていた。


 今までの俺なら「月曜日から体育なんてやってらんね~」等と、程々に手を抜いてこなしていたが、最近はそうでもなかった。


 セレンさんとプールに行って以降、俺は少しずつ筋トレを再開するようになった。


 光一に無理矢理しごかれていた中学生時代の体力に戻るまで、どのくらいかかるかわからない。

 しかし筋肉は一度鍛えた部位は情報を記憶し、再び鍛え直す時にその情報が働いて以前より筋肉が付きやすくなるらしい。

 まだ成果が出るには時間がかかるとしても、体育の授業はその小さな変化を確認するには持って来いの時間だった。


 たかが筋トレしただけでセレンさんを守れるかと言われると言葉に詰まる。

 下手をしなくても、魔力をセーブされた状態のセレンさんよりも俺は弱いだろう。


 ――だとしても、何か鍛えずにはいられなかった。


晴人はると


 男たちの喧噪の中に混じって、戸惑いの感情を含んだ、俺を呼ぶ女子の声が聞こえる。


「......紫音しおんか。どうした?」


 顔だけでなく後頭部の方にも水をかけつつ、俺は応えた。


「晴人、何か変な物でも食べた?」

「何で?」 

「だって、あの晴人が本気で体育の授業してたから」

「だとしたら、昨日紫音が昼食で作ってくれたオムライスが原因かもな」


 人の背中を無言で叩く紫音に思わず『いてっ』と声が盛れてしまう。


「食べ物屋の娘にそういうこと言わない」

「冗談に決まってるだろ。あんな美味いオムライス食べたら、むしろ調子良くなるわ」

「そっか......」


 首に引っ掛けたタオルで頭を拭きながら紫音の方に向くと、ほんのりと頬を赤くし顔を背ける。


 女子がバスケットボールの授業をおこなっていた体育館とグラウンドは繋がっており、換気のためか両開きになっている大きな扉を開けていた。

 ヒマを持て余した女子たち数名、俺たち男子のサッカーの様子を観戦していたのだが、その中に紫音もいた。

 

「まぁ、天使が観始めた途端に空気がピリついたから、怪我をしないように本気にならざるをえなかったのも一理あるが」

「......男子たち、わかりやすすぎ」


 『天使』というのは隣のクラスの『折木田美優おりきたみゆ』という、学校一の文武両道美少女のことである。

 金に近い亜麻色あまいろのストレートヘアーはいつもさらさらで、髪の毛の一本一本まで光沢が見え、童顔で常に笑顔を絶やさない神々しいまでの優しさを持つ彼女を、学校の男子たちはそう呼んでいた。


 折木田のいるクラスと合同でおこなう体育の授業では、今回のような事態が起きるとそれまでどんなに和気あいあいとした雰囲気だろうが、一瞬にして戦場のような緊張感へと変わる。


「晴人は折木田さんみたいなタイプ、好みじゃないもんね」

「好きか嫌いかでいったら当然好きだけど......あそこまでスペック高い完璧超人は

、逆に恋愛対象として見えないんだよな」


 ちょっと昔のことを思い出して、胸の奥にチクっとした感覚が蘇る。


 見えないのではなく、本当は見たくないのだ。

 

 折木田にも俺たちの知らない、意外な部分というのがあるのかもしれない。

 セレンさんみたいにもずくが土下座拒否するくらい苦手だったり、背中が敏感だったり等というギャップ萌えを持っていたら、さぞここにいる他の男子共は狂喜乱舞するだろう。


 残念ながら、そういった一面は必ずしも良い一面だけとは限らない。


 ――相手と深く関わるだけ、その事実を知った時のショックははかり知れない。


「安心して。多分、折木田さんも晴人のこと道端の雑草程度にしか見えてないから」

「だとしてもだ、せめて名前のある花にしてもらえない?」

「じゃあ......ぺんぺん草で」

「それ雑草の一種だろうが」

「いいじゃん。私は好きだよ、どんな場所でも力強く咲いて、何度踏まれても立ち上がる奴」


 鼻をすんと鳴らして紫音は俺を見据えた。


 そういえばこいつも最近、昔に比べて笑う機会が増えてきた気がするな。


 愛想ふりまけば折木田にも負けない美少女なのに、つくづくもったいない奴だ。


 そんな紫音と極日常的な会話をしている俺を、刺さるような視線で見てくる周りの男子たち。


 ......いや、このくらいの会話、仲の良い女友達とだったら普通にするだろ?

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