第32話【継母だけは清く正しく仕事して欲しい】

 朝からセレンさんの様子がおかしい。


 正確には前日の夜から、何かそわそわとして落ち着かず、その影響か洗い物中に食器を

落としてしまい割ってしまった。

 幸いセレンさんに怪我はなかったが、いつもの物腰の柔らかさはどこへやらといった感じ。


 今日は家で夕方までパソコンを使って仕事をするらしい。そこまではわかる。

 ただセレンさんは俺が家を出る直前、申し訳なさ全開の雰囲気でこう言った。


『絶対に夕方5時より前には帰ってこないでください』


 まるで恩返しに来た鶴でも言いそうな言葉が、授業中もずっと胸に引っかかり、セレンさんのあの懇願する表情が頭の中で何度も思い出される。


「......で、私を時間までの暇潰しの相手に誘ったと」

「そういうこと」


 不満げに眉を寄せて、紫音しおんは小さな四角い箱に入った、丸い粒状のグレープ味のガムを口に入れた。

 値段の割に香りが強く、俺の方まで漂ってくる。


「今時のJKを誘って行く場所が駄菓子屋って、いかにも晴人はるとらしいね」

「ここ中学の頃、よくみんなで来てただろ」

「そうだね」

「あれ? 紫音、なんか嫌なことでもあったか?」

「別に......」


 小さな子供たちで賑わっている昔ながらの駄菓子屋で、高校生の男女が二人、外に備え付けられたベンチに座って駄菓子を広げている。


 紫音は心配する俺に目を合わようとせず、横を向いて口の中のガムを膨らませ始めた。

 ふてくされたような表情とガムの組み合わせがベストマッチ過ぎて、近くにいるちびっ子がちょっと怖がっているのですが。


「セレンさん、晴人にもまだ何の仕事してるか言ってないんだ」

「ああ。紫音は知ってたりするのか? よくセレンさんとスマホでやり取りしてるみたいだけど」

「まさか。息子の晴人にも話してないのに、私に話すわけないじゃん」

「ですよね」


 そう言って俺はキンキンに冷えた瓶コーラを一口飲んだ。


 ひょっとしたら自身の職業について何か紫音に話しているんじゃないかと思っていたが、どうやら紫音も知らないらしい。


 当たり前か。いくら仲が良いといっても、息子にも言っていない大事なことを話すわけはないか。


 もしこれで紫音が知ってたら俺、いじけてその流れで反抗期に突入する自信あるわ。


「ここまで家族に秘密にするなんてセレンさん、芸能関係――例えばグラビアアイドルの仕事とかやってたりして」

「あのセレンさんが? いやいや、それはないだろ」

「わかんないよ。晴人も身をもって知っての通り、セレンさんスタイル良いし」

「確かに」


 実際プールに行った時も、エルフであることを隠せているにも関わらず、周囲にいる男たちからは好奇の視線を浴びていた。


 年齢不詳の黒船エルフ美少女が異世界からやってきた! とかキャッチコピー付けて売り出したら人気が出そうである――って、俺は継母相手に何といういかがわしい想像をしているんだ!


「時が来たら話すって言ってたし、ずっと隠しておくつもりはないみたい」

「おじさんは当然知ってるんだよね?」

「おそらくな。前に一回試しに訊いてみたけど「セレンがそう言うなら俺はセレンの意思を尊重する、だから言わん」だそうだ」

「両親揃って何の仕事してるかわからないなんて、変わった家庭だね」

「全くだよ」


 最近アニメ化された父・スパイ、母・殺し屋、娘・超能力者の大人気漫画じゃないんだから。


 父親ポジションの光一はもう諦めてるとして、母親ポジションのセレンさんだけはせめて健全な職業であってほしい。



***



 約束の夕方5時を過ぎた辺りで俺と紫音は駄菓子屋をあとにし、お互いの最寄り駅まで一緒に帰った。

 紫音の手にはビニール袋いっぱいに入った駄菓子。

 今日の愚痴を聞いてもらったお礼に買ってあげたのだが、量のわりに金額は千円もいかず、高校生になって改めて駄菓子のお財布に優しい偉大さを感じた。


 帰宅の途につく途中、そういえば家の冷蔵庫に牛乳がなかったのを思い出し、近所のスーパーに立ち寄った。

 この時間ともなると仕事帰りに主婦たちで店内は混み合い、たかが牛乳1パック買うのにレジで15分以上も待たされてしまった。

 

 コンビニで買った方がよかったなと後悔しながら家に着くと、時刻は夕方6時。

 お隣さん家はもう夕飯の準備を開始しているようで、和風ダシっぽい匂いから察するにおでんだろうか。


 そんなお隣の夕飯推理を脳内で簡潔に済ませ、玄関の鍵を開けて家に入った。


「ただいまー」


 返事がない。

 ただの留守のようだ、と思いきや、目線を少し下に下げればセレンさんの仕事用の靴。

 廊下の灯りは点いているので単純に気づいていないだけかな。


 ほっとして靴を脱ぎ、リビングに向かおうとした俺の耳に、うっすらと会話のようなものが聞こえる。


 しかもこの声と喋り方の持ち主......ひょっとしてフィーネさんか?


 セレンさんもフィーネの純愛のリスナーだと言っていたから、これはリビングで聴いていて俺の帰宅に気づかなかったパターンだろう。

 

 自分が常連リスナーとして参加している番組をセレンさんと聴くのはかなりこっずかしいが、かと言って帰宅を知らせずにそのまま自分の部屋に籠るわけにいかない。


 俺は羞恥心しゅうちしんと戦いながら、会話の発信源のリビングに向かい、扉を開けた。


「それではみなさん、また来週、この場所でお会いしましょうね。お相手はフィーネ・ロゼリアンネでした.........!!?」


 そこで俺が見たものは、イヤホンマイクを付けた状態でパソコンに向かってトークをしている――フィーネさん=セレンさんだった。


 

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