第8話 協奏曲 やんごとなき異人街

 一番の重要参考人である絹子は、いったん白猫屋で保護することに決めた。

 屋敷に戻すなんて真似は出来ないし、永尾家に連れて行くにしてもまずは有匡たちに話を通した後だ。

 万一藤堂家の人間が探しに来ると困るので、引き続き絹子には奥の半個室で待機してもらい、伊吹は異人街に向かうことにする。


「じゃあ、美紅、絹子さんをお願いね。あたしは異人街に・・」

「だめよ!一緒に行くわ!本当はもうあの人たちと関わって欲しくないけれど・・こうなってはしょうがないもの」


 真剣な表情でクロシェットを被りながら、美紅が率先して通りへと向かう。


「来てくれるのは嬉しいけど、絹子さんの側にいてあげた方が」

「伊吹一人で行くなんて危険すぎるわ!あの【美しい人】がいるかもしれないでしょ!たぶらかされたらどうするのよ!」


 伊吹が美紅宛の手紙に書いた美しい人こと玉藻前は、基本的には倉橋邸に居る事が多いらしい。


 禍付きに耐性のない美紅なので、おそらく初対面の色香にやられてしまうだろう。

 だが、毎日鏡で自分の顔を見ている美紅なので、伊吹よりは美しさへの耐久性があるはずだ。


 マドンナ対玉藻前、すんごい美の共演だわ・・


「え?ああ、そうね、まあまずあの方はいらっしゃるわね!すっごい美人だから」


 玉藻前を前にした時の美紅の反応が楽しみだ。


「知ってるわ!」

「え・・・?知ってる?」

 

 徒歩でも十分向かえる距離だが、今は一刻を争うので通りで俥を拾う。

 ちょうど時計屋の前で客を下したばかりの一台を捕まえる事が出来た。

 美紅がクロシェットのつばとちょっと持ち上げて、急いで頂戴ね、と笑顔で俥夫に硬貨を握らせる。

 お任せください!と頷いた俥夫が、二人の乗った俥を引いて異人街へと走り出した。

 強い日差しに目を細めて、風になびく髪を抑えながら美紅が不機嫌な声で言った。


「会ったのよ!店の前で!伊吹が休みの日に白猫屋まで来たのよ!この度は友人がすみませんでしたって!」

「そうなの!?知らなかった!すっっごい美しさでしょう!」

「通りを歩くご婦人がみんな夢見心地になってたわよ!」

「殿方ならずご婦人までも!納得だわー」

「あの人が伊吹の服を選んだのね。随分とお目が高い事」

「着物と帯の組み合わせも斬新で、自分じゃ選ばない柄を沢山見繕って下さったの!洋装にも詳しくてね、あたしはぼーっと立ってるだけだったわ」

「顔に見惚れていたんでしょう、どうせ!」

「それもあるけど、いい匂いがして、柔らかくって・・全てが魅力的じゃない?」

「いい匂い?柔らかい・・?あなたなに、まさか・・・抱きしめられでもした!?」

「勿論全力で抱きしめ返したわ!」


 勝ち誇ったようにぐっと拳を握って報告すれば、この世の終わりのような眼差しが返って来た。


「破廉恥よ!!!!信じられないわ!!!許せないっっ!!!」

「美紅も抱きしめて貰えば良いのよ!癖になるわ!」

「なるわけないでしょ!何を言ってるのよ伊吹!」

「驚くのは最初だけよ、すぐに慣れるわ!美紅にもあの幸せを味わわせてあげたい」


 玉藻前にぎゅうぎゅう抱きしめられてじゃれあった夜、銭湯で見た自分の肌はいつもよりツヤツヤしていた。


 妖の色香の効果なのだろうか。

 気になる乾燥もなくなって、水仕事で傷みがちな指先までしっとりしていて驚いたのだ。


「わたしがいないうちに何があったのよ!?純粋だったわたしの大好きな伊吹に戻って頂戴!」

「やあねえ、大げさよ美紅。あたしは何も変わってないわよ。ちょっと知らない世界に足を突っ込んだだけよ」

「それが破廉恥だって言ってるのよおおお!!」

「だから破廉恥じゃないってば!」」

「お詫びの挨拶ももう結構って追い返してやったのに!こんなことになるなんて!」

「え、追い返したの!?何てことを!」

「当たり前でしょう!あんな人と付き合って良い影響なんてあるわけないじゃない!」

「絶対誤解してるわ、美紅。ちゃんと話せば良い方だってわかるはずよ、母性もあるし」

「母性!?そんなものあるわけないでしょう!むしろあったら困るわよ!」

「とにかく、今日会ったら一緒に謝って、あたしから改めて美紅の事を紹介させて頂戴、ね?ちゃんと素敵な方だって分かるから」

「・・いやよ。倉橋さんと芦屋さんに用があって来たのよ。それ以外の人とは口を利かないわ」

「美紅~・・」


 美しい友人がこうも頑なになるのは珍しい。

 白猫屋で二人の間にどんなやり取りがあったのかは分からないが、とにかく早急に仲を取り持たなくてはならない。

 快走を続けていた俥夫が、速度を落とした。

 洋館がずらりと並んだ通りに入る。


「お客さん!前町通りですよ!」

「あ、そこの角のお屋敷です!」


 見えてきた洋館を指さして、伊吹は美紅に倉橋邸を教えた。








 門から屋敷の玄関まで結構な距離がある。

 大声で叫ぶしかないなと息を吸ったところで、前回と同じように内側から使役式神が門を開けてくれた。

 伊吹の顔を見て笑顔になって、隣の美紅を見てきょとんする。


「こんにちは。こっちは友人の永尾美紅です。今日は有匡さんに用事があって来ました。いらっしゃいますか?」


 先日玉藻前に連れて来られた時のように、外出中だったらどうしようかと思ったが、使役式神はこくんと頷いた。

 どうやら在宅のようだ。


「いらっしゃるみたい。良かった・・・あ、式神さん、玉さまはいらっしゃいますか?美紅が先日失礼をしたようで・・」

「ちょっと、伊吹、今日の用事は倉橋さんと芦屋さんでしょう?」

「そうだけど、誤解は早く解いた方がいいわ。美紅とも仲良くしてほしいもの」

「わたしは望んでないわ・・・それにしても・・・大きなお屋敷ね・・」


 使役式神に先導されて、洋館に向かって歩きながら、目の前の建物を見上げて美紅が呟く。


「あたしが初めて永尾家にお邪魔した時の気分がまさにそれよ」

「うちよりも建屋は大きいと思うわ・・すごいわね」

「洋館だけど、靴を脱いで入るのよ、そこがちょっと変わってるの」

「あら、そうなのね・・お邪魔しま・・」


 ドアを開けてくれた使役式神に軽く会釈して、伊吹と美紅が屋敷に入る。


「伊吹や!妾に会いに来たのか!?」


 一階の奥から化身を解いた玉藻前が飛び出してきた。

 視界が一気に白銀で埋め尽くされる。


「ひぇ・・・っ」


 しまった、この歓迎は想定していなかった。

 隣で短い悲鳴を上げた美紅が、ふらりとよろめく。

 いきなり目の前に大きな白銀の狐が現れればそうなるだろう。


「美紅っ!」


 慌てて支えようと手を伸ばした伊吹より先に、傾いだ美紅の身体を背後から別の人物が抱きかかえた。


「こんなところでお会いできるとは・・紅薔薇の君。おや、あなたは・・?」


 有匡と同じくらいに背が高く、けれど纏う空気は完全に別物。

 美紅が持っている西洋の御伽噺に出て来る王子様は、おそらくこういう人物なのだろう。

 意識を失った美紅を軽々と抱き上げる腕は逞しく、けれど荒々しさとは完全に無縁。

 向けられる眼差しは玉藻前のそれとはまた違った色香に溢れている。

 美丈夫の代表のような男がそこにいた。



「おおお邪魔しております・・」

「あれ、伊吹ちゃん!?緋継も・・・え、美紅さんまで?」


 二階から降りて来た有匡が、玄関に集まっている面々を見て驚いた顔になる。


「伊吹や、それは誰じゃ?」

「え・・この前お会いしてるはずじゃ・・・?友人の美紅です・・」

 

 緋継が腕の中の美紅と、目の前の伊吹を交互に見やってなるほどと頷いた。


「どうやら、色々と誤解があったようですね・・」










「有匡さん、お願いです。力を貸してください!」


 上り口で頭を下げた伊吹に、有匡は二つ返事で分かった、と答えた。


 意識を失った美紅を応接に運んだ緋継は、自己紹介もそこそこにそのまま美紅に付き添うと申し出た。

 食堂に通された後、ぴったりと横にくっついていた玉藻前は、にやにやと笑って九本の尻尾で有匡の肩をパタパタ叩いた後部屋を出て行ってしまった。


 これはなんだが違う方向で誤解された気がするが、今はそれどころではない。


 使役式神がお茶を運んでくるのも待たずに、先ほど絹子から聞いた話を伝えた。

今は、有匡たち陰陽寮の警察官だけが頼りである。


「ええっと・・まず、その書生、冬也さんの意識は本当に戻ってないんだ。というか、戻すためにこれから俺たちが動かなきゃいけない」

「え・・有匡さんたちが動くってことは、禍付き関係ってことですよね?」

「うん、そうなるね・・面倒なことに。そして、伊吹ちゃんと美紅さんが睨んだ通り、警察には華族との繋がりがある者が多い。こっちに来て正解だったよ。芦屋さんは、元捜査課の刑事だから融通も効く。その女中さんも保護してもらおう」

「良かった・・・冬也さんの意識が戻って正しい証言が得られたら、罪は軽くなりますよね?」


 悪意を持って人を傷つけた場合と、偶発的事故によって相手を傷つけてしまった場合では、処罰が変わってくるはずだ。


「その女中さんの証言と、冬也さん本人の証言があれば恐らくね、このあたりの事は芦屋さん達に任せよう」

「はい・・」


 気がかりが一気になくなって、伊吹は少しだけ肩の力を抜くことができた。

 そして、ここに来る道中もう一つ決めた事を、思い切って口にする。

 これ以上隠し事はしたくない。


「あと、もう一つ・・ご報告・・があって・・これはお詫びするよりほかにないんですが・・」

「え・・なに、どうしたの?」

「あたし、有匡さんに話していないことがあるんです。初めて会ったあの夜・・有匡さんが立ち去った後で、割れた帯留めの中から・・赤い影が出て来たんです」

「赤い・・?」


「・・はい・・別の場所から黒い禍付きがやって来て、怖くて動けなくて、そうしたらその赤い影が、禍付きを飲み込んで、あたしを助けてくれました。赤い影から女の子の声がして、すぐに見えなくなって・・それっきり・・一瞬の出来事だったし、忘れかけてたんですけど・・・有匡さんから赤い禍付きの話を聞いて、もしかしてあの時の帯留めの禍付きなら・・あたしの・・」


 伊吹の話を黙って聞いていた有匡は、重たい息を吐いて天井を見上げた。


「全然俺に関係のある話だった・・・」

「・・え?」

「いや、こっちの話。教えてくれてありがとう。それと、この件も元凶が俺で申し訳ない・・」

「いえ!むしろあたしの帯留めがすみません!あの・・赤い禍付き・・誰かを傷つけたり・・殺したり・・して・・ませんよね・・?」


 長らく家にあった帯留めである。

 誰かを傷つけたり、あまつさえ殺したりしていたらご先祖様に顔向けできない。


 っていうか、おばあちゃん、なんか入ってる帯留めならそう言ってよ!!

 びくびくしながら問いかけた伊吹に、有匡がはっきりと頷いた。


「声を掛けられた男が何人かいるみたいだけど、それだけ、今はね」

「今は・・」


 これから先の確証は持てない、そういうことだ。

 禍付きの本分は呪ったり祟ったりすることである。

 実体を持てば人を襲うことだってあるのかもしれない。


「もうきみも当事者だから話すけど、実はあの帯留めの中に眠っていたのは、滝夜叉姫っていう大昔の妖怪らしいんだよ・・」

「滝夜叉姫・・?歌舞伎の・・あれですか?」

「うん・・そうだね・・」

「なんで・・うちに・・」


 祖母は禍付きが見える体質ではあったが、陰陽師のような強力な力は持っていなかったはずだ。


 黙り込む二人の沈黙を破ったのは、成伴の固い声だった。



「三浦は碓井の系譜にあたる」

「芦屋さん!」


 ドアを開けて入ってきた背広姿の成伴は、中折れ帽を脱ぐを有匡の隣にどかりと腰を下ろした。

 両腕を組んで伊吹を見下ろす。

 容疑者の取り調べだ、直感的にそう思った。


「三浦伊吹嬢、恐らくきみの祖先はその昔、卜部季武や渡辺綱と共に妖怪退治をしていた碓井貞光に当たるんだろう」

「妖怪退治・・・?そんな・・あたし戦えませんよ!?普通の人間です!」

「滝夜叉姫の持ち主は現時点では伊吹嬢きみになる。今回の一件の当事者であるきみの身柄は、事件解決までの間こちらで預からせて貰う」

「伊吹ちゃんじゃなくて俺に責任があるんだよ。この子一般市民だよ」

「滝夜叉姫を持っていた時点ですでに一般市民ではない」

「あの帯留めに滝夜叉姫が眠ってるなんて知りませんでした!ほんとにまったく!嘘じゃありません!!赤い禍付きの事・・すぐに・・報告しなかったことは謝ります・・こんな大事になるなんて思ってなくて・・すみませんでした」


 冷たい目線で刺されて、息が詰まりそうになる。

 まだ滝夜叉姫が、大きな事件を起こしていないのが幸いだ。

 もし、事が起こったら、多かれ少なかれ伊吹は責任を問われるだろう。


「滝夜叉姫は顕現した際にきみに何か話したか?その時きみの側には白い花があったか?」

「え・・あ、あたしを黒い禍付きから守ってくれた後、辺りをぐるぐる回って・・どこなの?って・・何かを探してるみたいでした。でも、見たのは一瞬で・・白い花・・?はありませんでした。どうしてですか?」

「滝夜叉姫と遭遇した人の近くで白い花が目撃されてるんだよ。何か関係があるのかもしれない」

「どちらにせよ、滝夜叉姫の持ち主が分かってまずは良かった。燈馬の濡れ衣は晴れるな」

「燈馬・・?」

「さっき紹介した渡辺緋継は、渡辺綱の子孫で、燈馬は卜部燈馬って言って季武の子孫なんだよ」


 後で紹介するねと言われて、曖昧に頷く。


「・・は・・・はあ・・そういう人たちが陰陽寮にいるんですね・・」

「陰陽寮は呪力持ちの集まりだ。禍付きと関わりのある血筋の者が殆どだ。行動を制限するつもりはないが、移動の際には護衛も兼ねてうちの部隊から一人付ける。異論はないな?」


 異論なんて言えるような雰囲気ではない。


「護衛は分かるけど、身柄を預かるったってどこで・・」

「うちに連れて帰る」

「えっ」


 この恐ろしい陰陽師の家にご厄介になれというのか。

 顔を強張らせた伊吹を見やって、成伴が言った。


「私は妻帯者だ。家には家内と女中がいる」


 余計な心配は不要だと言わんばかりの一言に、伊吹は涙目になった。

 そっちの心配じゃなくてあたしの心労の心配なんです!!!!


 自分が蒔いた種とはいえ、物凄く嫌だ。


「ちょっと待ってよ芦屋さん、もう一つ相談があるんだよ。通り魔事件の証言者の女中を保護することになったんだ、こっちは完全一般人!伊吹ちゃんはうちで引き受けるから、その女中さんを預かって欲しいんだよ。ほら、外出の付き添いに若い女中が欲しいって言ってたでしょ?」


 有匡さんんー!!

 伊吹の気持ちを察した芦屋の助け舟にここは全力で乗っかってしまいたい。

 この男の妻というからにはきっと同じくらい厳しい女性に違いない。身柄預かりの間に神経をすり減らすのはご免である。


 伊吹は神にもすがる思いで祈る。


「しかし・・ここは男所帯だろう・・きみはいいのか?」

「はいっ!」

「玉藻前もいるし、問題ないよね?」

「ないです!全くないです!」

「・・伊吹嬢」

「はいっ!」

「先に言っておくが、私は年中この顔だ。別段怒っているわけではない」

「ひえっ・・は、はい!承知しておりますっ」

「もう一つ言っておくが、私の妻は・・・美人で気も優しい」

「一応補足説明しておくと、嘘じゃないよ。翠子さん元気?」

「・・・最近は体調も良い・・」


 強面隊長は意外と愛妻家のようである。

 不貞腐れた声で言った成伴が、有匡を見てばつが悪そうに視線を揺らした。


「すごむから余計怖くなるんだよ、芦屋さん」


 愛妻家宣言を特に気にした様子もない有匡に伊吹は安堵する。


 有匡のお見合い相手を成伴が娶ったという複雑な事情はあるが、有匡のほうは至って平常運転だ。

 この一件を引きずっているのは成伴の方らしい。

 成伴はこほんと咳ばらいをして話を戻した。


「お前がいいなら好きにして構わん。屋敷と伊吹嬢の警備は怠るな。それより通り魔事件の話を聞かせろ、証言者の保護とはどういうことだ?」

「うん、それが・・・」



「ねえ、僕が置いてった甘納豆ってもう無いのー?なんでこの家には甘いものが・・」


 着流し姿のひょろりとした背の高い青年がドアを開けて食堂に入って来た。顔だけ見ると学生にも見える。


「誰、この子・・迷子・・?」


 無邪気な顔で全く見当違いの事を聞いてきた。


「違います!甘いもの・・あの、金平糖で良かったら・・!」


 袂から懐紙にくるまれた護身用兼おやつのそれを取り出して、男に渡す。

懐紙を広げた男がパッと嬉しそうに笑った。


「え、いいの?わーありがとー。あんたいい子だね!」


 純粋すぎて心配になる、大丈夫だろうかこの青年は。


「え、いえ・・そんな、あの、お邪魔しております。この度ご迷惑をおかけします三浦伊吹と申します」


「ご丁寧にどーもー。多田凪です。伊吹、金平糖のお礼に絵、描いてあげよっか?」


 次々と変わる話題に全くついていけない。


「絵・・・?」

 

 ぽかんとした伊吹を放置して、成伴が空いている席を顎で示した。


「凪、落書きは後だ、それより座れ、仕事の話だ」

「伊吹ちゃん、これも村雨隊の一人だから、こっちのご先祖様は源頼光」

「そ、それはうちのご先祖様が大変お世話に・・!!」

「え、なに、この子縁持ちなの?」

「碓井貞光の系譜で、滝夜叉姫の持ち主だう」

「ええー!すごいね!滝夜叉姫きみんとこにいたんだ!頼光四天王ほとんど揃ってるじゃん、あとは坂田さんだけだねー!あ、じゃあ、きみ自身が白い花と関係ある?」


坂田というのは、あの坂田金時だろうか・・本当に御伽噺が現実になって来た・・


「凪、金平糖食べながらでいいからこっち座って。伊吹ちゃんも分からないってさ」

「ふーん。茨の劇団の女優さんも、白い花束持ってたら、赤い禍付きが近づいてきたって言ってたんだけど・・ほんとに知らないの?」

「白い花・・?分からないです・・帯留めは、赤い珊瑚でしたし・・・滝夜叉姫って丑三つ参りの妖怪ですよね・・?白装束の繋がりで白い花・・とか・・?」

「ううーん・・なんだろ・・分かんないな。こういうの考えるのは隊長たちの仕事でしょー」

「滝夜叉姫に関しては、全面的にお前たちのご先祖様が関係者だ、少しは頭を使え」

「とりあえず、話を整理してみようよ。滝夜叉姫の最初の目撃情報が上がったのが・・・」


 異次元すぎる話にまったく頭が付いていかない。

 丑三つ時の貴船神社で、夜な夜なわら人形に五寸釘打ち込んで蝦蟇の妖術を得たど根性妖怪姫・・あれが我が家の帯留めで眠っていたなんて・・怖すぎる。


 警察として今後の対策について打ち合わせを始めた成伴達を前に、伊吹は完全部外者である。


「あの・・お仕事のお話なら、席外しますね。美紅の様子を見てきます」

「うん。敷地の中から出ければ構わないから、良かったら庭でも見て回って」


 有匡の許可を得て食堂を出る。

 玉藻前に頼光四天王に滝夜叉姫・・・


 さっき美紅に話した、ちょっと知らない世界に足を突っ込んだどころじゃないわ・・これはもう、全く知らない世界に飛び込んだ、が正しい。

 そのうち妖怪図鑑が作れてしまいそうだ。

 白い花と言われても、種類が多すぎて絞り切れない。


 仏様に備える白い菊、とか安直な事言ったら白い目で見られそうだし・・・考えれば考えるほど分からなくなる。



 食堂の向かいにある応接は、前回来訪した際に伊吹が通された部屋だ。

玉藻前をモフモフして眠ってしまった苦い思い出のある場所である。

 軽くノックすると、中から緋継の声がした。


「あの・・美紅の具合は・・・?」


 そっとドアを開けて中を覗けば、長椅子に腰かけた美人と一人掛けの椅子に腰かけた美丈夫が、一斉にこちらを振り向いた。


 夕陽の差す豪華な応接でティータイムを楽しむ貴婦人と紳士は、まるで一枚絵のようだ。

 が、すぐに美紅の顔がくしゃりと歪められた。


「伊吹!」

「良かった、気が付いたのね!渡辺さん、付き添っていただいてありがとうございました」

「どうして側にいてくれなかったのよ!」

「ごめんね!でも、安心して。絹子の事は有匡さんと芦屋さんが何とかしてくれるわ」

「・・それは良かったけど・・」

「美紅、あなた玉さまと会ってなかったのね?一体誰と白猫屋で・・」

「私ですよ。紅薔薇の君を、あなただと思ってご挨拶に伺ったんです」

「紅薔薇・・」


 美紅には相応しい呼び名だが、どうにもむずむずしてしまう。

 白猫屋にやってくる美紅の信者の中にはいなかった種類の人間だ。

 しかもその容貌と話し方、仕草すべてが様になりすぎる。

 伊吹は平然と緋継と向き合って対等に会話ができる美紅を誇らしい気持ちで見つめた。

 元町通のマドンナはとびきりの美丈夫にも負けていない。


「その呼び方やめてくださる!?今日は薔薇のお着物じゃありませんから!」

「ですが、あなたはもう私の中で紅薔薇の君なので。それが嫌ならベアトリーチェとお呼びしましょうか」


 聞きなれない異国の名前が出てきて、伊吹の頭は疑問符だらけになる。

 流暢な発音からして、海外にいた事があるのかもしれない。

 どれだけ辛辣な視線を向けられても、つんけんした態度を取られても全く気にしない緋継は、美紅をえらく気に入っているようだ。


「・・・さっきからずっとこの調子なのよこの人!伊吹の服を選んだのが渡辺さんじゃなかったって聞いてほっとしたわ!」

「ああ!だからあんなに怒ってたのね!破廉恥だとかなんだとか・・」


 誤解が解けたようで何よりである。

 いつもよりイライラした様子の美紅だが、顔色はさっきよりずっと良い。


「さっきの白い狐が・・玉藻前・・なんでしょう・・?何なのこのお屋敷・・禍付きってそんな伝説に出て来る妖怪ばっかりなの?」

「そうじゃないって言いたいんだけど・・ごめんね、美紅。実は、あたしからももう一つ報告があって・・」

「もういいわ。これ以上驚くことはないでしょう。言って頂戴、倒れないから」



とんと胸を叩いて顎を上げる美紅に、少し迷って、けれどありのままを伝えることにする。


滝夜叉姫の一件が解決しない限り、ただの白猫屋の女給には戻れそうにない。

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