笑いの難易度

日崎アユム/丹羽夏子

つまんねぇの、ばあちゃんならおもしろいこと言ってくれるのにな

 義祖母、というのだろうか。妻の祖母、妻のお父上のお母上が小さなお店を持っている。静岡茶を販売するお茶屋さんで、主力商品は緑茶の茶葉だ。ほかにほうじ茶、和紅茶、薄茶などのお茶製品や、急須、湯呑み、茶碗などの茶器も取り扱っている。そこまではわかるのだが、鶏卵や乾燥海苔、するめいかやおかきなども売っているのを見ると、だんだん冷蔵が必要なものでなければ何でもいいのではないかと思えてくる。


 僕は最近ここで店番を任されるようになった。基本的には子なし専業主夫の暇人なので即決で請け負った。一応バイト代として一時間につき千円もらえることになっている。一見さんの少ない茶屋で本を読みながらの店番は気楽だ。何より妻が自分の実家なら融通が利くので安心だと言ってくれている。我ながら甘えた人生だが、苦労しないで生きていけるならそれに越したことはない。


 そんな店でも、ひとつだけ大変な思うことがある。


 店先には子ども110番のステッカーが貼ってある。近所には住宅と田んぼしかない。茶屋には駄菓子コーナーがあり、お茶をたてるための畳のスペースがある。


 こういう条件がそろってしまうと、こどもの溜まり場ができあがるらしい。


 午後三時、今日も近所の小学生が現れた。年齢はばらばらで一年生から六年生までの男の子ばかり四人だ。一回自宅に帰ってランドセルを置いてから来るようだが、どうやら親に勉強を見てもらえと言われているらしく、宿題のドリルと筆箱の入ったナップザックを背負ってやってくる。店番自体はぬるいバイトだが、この三時から五時くらいの二時間程度だけは割に合わない。


 子供たちを畳のスペースにあげ、お茶をいれ、駄菓子代をツケてやる。子供が苦手な僕はこの時点ですでに疲労困憊だ。しかし子供たちは年上の人間に構ってもらいたくて仕方がない。やれここに座れ、やれ勉強を見ろ、やれ一緒に菓子を食え……。


「本ばっか読んでると目ぇ悪くなるぜ」

「コミュ障、コミュ障ー」

「そんなんでどうやって結婚したの? どこが好きって言われたの?」

「おっぱいもんだことある?」

「うるさい! 黙れ!」


 いけない、声を荒げるようでは立派なおとなとは言えない。辛抱だ。僕にはこの店を任された責任がある。それに僕が目を離してしまったらそれこそ何が起こるかわからないではないか。万が一のことがあったら親に何と説明すればいいのか。僕だけでなくこの一家全員の信用問題にかかわるのだ。


 義祖母はよくこのやんちゃな小学生四人の相手ができたものだ。二十代の僕でも息切れするのに、七十代の彼女が? いや、逆かもしれない。妻の父たち兄弟と妻含む孫たちを育て上げたからこそこどもの相手ができるのかもしれない。まだ若い僕の力不足かもしれないのだ。ここは経験を積んでおいたほうがいいのでは、とまで思ってから途中で考え直す。だまされてはだめだ。まるで僕が悪いかのように思ってはいけない。近所のこどもが毎日遊びに来ることを説明しなかった義祖母が悪い。


 とにかく、人間の生理現象だけはどうにもならない。僕はどうしてもお手洗いに行きたくて、こどもたちに「おトイレ行ってくるからおとなしくしててや」と言って立ち上がった。こどもたちが「ええ」「おれもついていきたい」と言い出す。僕はもう一回「おとなしくしとれや」と言いながらレジのあるカウンターに離席中の札を置き、店の奥に下がった。


 トイレにいてもこどもたちの笑い声が聞こえる。こうしていると少子化なんて嘘かのようだ。このへんの地域が近年の再開発でこどもが増えているのであって自治体単位で言うと高齢化が進んでいるらしいが、少なくとも僕の周辺ではこどもの声が絶えない。


 トイレから戻ると、菓子を食べてだらしなくしているこどもたちが、嬉しそうに問うてきた。


「おしっこ? うんち?」


 僕が溜息をつくと、こどもたちがげらげら笑い出した。


「聞くなや。下品やで。何がおもろいねん」

「やーいやーい、うんちマンー」

「そういうこと言うならもう僕の手には負えへん。お母さんにお電話して迎えに来てもらう」


 スマホを取り出すとこどもたちが慌てた顔をして「ごめんごめん」と言ってきた。


「もう一回聞くけど。ほんま何がおもろいの? 大とか小とかどうでもええやん。お前ら同じことばあちゃんにも聞くんか?」

「聞くけど」

「聞くんか」

「つまんねぇの。ばあちゃんならおもしろいこと言ってくれるのにな」

「おもしろいことって?」


 こどもたちが首を傾げる。質問されるとわからないらしい。


 しかし、確かに、わからない。世間様では何をおもしろいと言うのか。僕はテレビを見ない。ネット動画もニュースか歴史バラエティばかりでお笑い番組を見たことがない。どんな芸人がどんなネタをやっているのか知らなかった。


 僕が考え込んで黙ったのがおもしろくなかったのか、こどもたちが「ぺっぺっぺっぺー」と奇声をあげながら僕の周りをうろうろ歩き始めた。それも誰か芸人さんのネタなのだろうか。だが僕はあまりおもしろいとは思えず、真顔に無言で過ごしてしまった。


「つまんねぇの」

「申し訳ありませんね」

「関西人なんだからギャグのひとつでも言えよ」

「関西人がみんなおもろいと思ったら大間違いや。自分ら静岡県民だからみんなサッカーできると思われたらどう思うん?」

「え、好きだけどサッカー」

「なに、サッカーやる? やるならおれ家帰ってボール取ってくる」

「さよか。僕が悪かったわ」

「サッカーやる! サッカーしようぜ!」

「ボール取ってくる!」


 やってしまった。さらに大変なことになってしまった。スポーツなんかさせてけがをされたらどうしよう。まあ、小学校の体育で鍛えられている彼らより日がな一日ここでだらだらしている僕がけがをするのが先かもしれないが。


 四年生と三年生がボールを取りに家に戻ってしまったので、六年生と一年生と三人で残された。


「あのさあ」


 六年生が急に態度を改め、神妙な顔をして言う。


「本気で嫌ならちゃんと怒らなきゃだめだぜ。おとなだら? あいつらこどもだもんで何してもおもしろいんだからさ」


 お前もこどもやろ、と言おうとしてやめた。彼の言うことは的を射ている。


「いや、ほんま、僕は何ならおもろいんやろなあ……」


 自分の笑いのツボがわからない。自分はそんなに笑わない奴だっただろうか。もうちょっとフランクなつもりだったが、どこかお堅いところがあるのかもしれない。妻も実家の家族も僕に笑いなど求めたことがないので気づかなかった。

 そういえば、最後に腹から声を出して笑ったのはいつだろう。何かをおもしろいと思ったことはあるか。笑いとは喜怒哀楽の楽ではないのか。僕にはそういう感情が欠落しているのだろうか。

 ある国の大統領は元コメディアンで股間の逸物でピアノを弾いたことがあるという。僕はそれを見て笑える自信がない。


 六年生に腕を叩かれた。


「あんまり考え込むなよ、お悩みならおれが聞こうか?」

「よう言うわこどものくせに。僕はお前らに悩んでるんやお前らに」


 そう言うと彼はからっと笑った。ああ、笑った。また何かおもしろいことがあったらしい。しかしいったい何がだろう。どこが、いつが、どうして……。考えれば考えるほどわからなくなる。


「ただいまー!」


 四年生と三年生が本当にサッカーボールを持って帰ってきた。僕はぎょっとした。


「ほんまにサッカーするんか? どこで?」

「公民館行こうぜ」

「誰が行くか。僕ばあちゃんに店番頼まれてるて言うてるやろ」

「じゃあそこでやろ、そこで。道路で」

「あかん。車が危ないです」

「こんなとこ車なんか来ねぇよ」

「まあ……、まあ、そうなんやけど」

「ひよってんのかよ」

「ええ加減にせえ」


 こどもたちがまた笑い転げた。ひょっとして、こいつらは僕のリアクションがおもしろくて笑っているのではないか。いいおもちゃにされている。今度はこいつらにひとを笑うなと言い聞かせないといけない、と思ったが、さて、どうやってだろう。こどもの相手と笑いのツボは難しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑いの難易度 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ