世界に見出すもの

 陰陽師が扱う陰陽術には様々な系統があり、それらは世界を構成する自然物からその本質を見出すことで、自身に遭った系統を判別する。

 構成する自然物全ては、陰陽術の基本である陰陽五行に基づいて振り分けされていて、その中で更に細分化された陰陽術に、見出した本質を当てはめることで、術者の才に合った術を判別していくのだ。

 しかし当時、僕はどの系統にもその本質を見出すことができず、悩んでいた。

 周囲からは「才がない」「無能だ」と誹られ、馬鹿にされる毎日。

 そんな日々から次第に自信を無くし、周囲からも孤立していった僕に、見かねた恩師が声を掛けてくれたのだった。

「何をそんなに、俯いておるのだ?」

「僧正様……」

 "僧正"と呼んだ僕に優しく笑いかけると、彼は木陰に座る僕の横に静かに腰を下ろした。

 それと同時に吹き抜けたそよ風が、木の葉を揺らし、穏やかに音を立てていく。

「……うむ。良いところだな、ここは」

「僕の、お気に入りです」

「……そうか」

 木々のさえずり、泉のせせらぎ。この場所はそれらを全て、一度に感じることができる。

 加えてここは、皆が遊ぶ修練場からも死角になっている為、人がくることもない。この場所は今の僕にとって、唯一自分を慰めてくれる居場所なのだ。

 そんな場所に居る僕の所へ、彼はわざわざやって来た。

 となると、要件は一つしか浮かばない。

「……暇取り、ですか?」

「なぜ、そう思うのかね?」

「僧正様が直々に来る理由が、他に浮かばないから」

「……お主のことは、色々聞いておる。系統が見出せず、悩んでおることもな」

 そういうと、彼は笑みを浮かべながら、そっと僕の頭を撫でた。

「――よ。主は、何に世界を見出す?」

「えっ……?」

「この世界には森羅万象、あらゆるものが自然に宿り、巡っておる。そしてそれらは全て、ひとつの答えに辿り着くよう、設計されておるのだ。主には、その答えが分かるか?」

 その問いに対し、僕は首を振り否定する。

 すると彼は「ほっほっほっ!」と陽気に笑い、告げた。

「"生命"じゃよ」

「生命……?」

 僕の問いかけに、彼は頷く。

「火はあらゆるものを焼き払うが、同時に暖や調理に用いれば、生の糧を得られる。水はあらゆるものを押し流すが、同時に渇きを潤し、やがてそれは生の糧となる。……このように、自然は生命を奪うことも容易だが、同時に生命を与えることもできる。一見表裏一体のように見えて、実は全て、この"生命"という答えに往きつくよう定められておるのだ。不思議であろう?」

「……つまり、同じものでも、見方次第でどんな捉え方もできてしまう、ということですか?」

「そう。そして、それを己の中でどう捉えるのか。……それが世界を見出す、系統を見極めるということだ」

「自分の中で、どう捉えるのか……」

 その瞬間、僕の中で何かが掴めたような気がした。

 世界を巡る自然の中で、僕がそれをどう捉え、見出すのか。

 木々のさえずり、水のせせらぎ。揺らめく火、育む土。

 強固になる金。

 決して留まることなく、過ぎていくもの。

 生命を育み、積み重ねるもの。

 僕が世界に見出したもの、それは――。


 移ろい――。



『……なるほど。それが坊主の見出した、世界の答えだったというわけか』

「まさかそれが、後に流転術の事を示していたなんて、思いもしなかったけどね」

 そしてるいは、肩をすくめながら苦笑いを返す。

 流転術は霊脈を捉え、利用する。故に才あるものは、自然の中でも目に見えない、流れや移ろいを見出す傾向にある。

 実際のところ、るいはその前から漠然と自然の移ろいに見出されていたことがあったようだが、それが陰陽術の系統に繋がるとは思っていなかったらしい。

 ――今になって思い返せば、坊主のこの趣味もそこから来ておったのかもしれんな

 剛濫はるいと出会った頃のことを振り返りながら、ふとそう思う。

 彼は昔から、行き交う人の往来を、ただ眺めていることが好きだった。

 陰祷師になったばかりの頃、剛濫は彼に一度だけ『何が楽しいのか』と問うたことがあったのだが、その時るいはこう答えたのだ。

『"縁という結糸が生む時の移ろい、世が流転する様を、この眼で感じられる"、か……』

「ちょっと!? 剛濫それ、まだ覚えてたの!?」

 突然の不意打ちに、赤面しながら慌てあふためくるい。その反応を見て、剛濫は楽し気に笑う。

『なんだ、坊主が言ったのだぞ? 往来の眺める事の何が楽しいのか、と以前問うた時にな』

「それは、確かにそうだけど……。そんな昔の事、よく覚えてるよね」

『妖怪を侮るでないわ』

 したり顔でニヤリと笑う剛濫に、るいは思わず不機嫌な表情になる。

 だがその裏では、当時の彼とのやり取りが、脳裏を過っていた。



 あの日も僕は、今日のように往来を眺めながら、甘味を味わっていた。

 すると不意に剛濫が問いかけてきたのだ。

『ただ往来を眺める事の、何が楽しいのか』と。

 それに対し、僕はこう答えたのだ。


「……人の往来って、こうして改めてみると、面白いと思わない?」

『面白い? 往来がか?』

「だって、これだけ多くの人達が行き交っているのに、誰もすれ違う人に興味を示したりしない。それなのに、世界は何事もなく移ろっていくんだ。 誰かが意図的に、そうしているわけでもないのに」

『だがそれが、坊主のいう世の摂理、理というものであろう?』

 剛濫の問いかけに、小さく笑みを浮かべながら、るいは頷く。

「でもね、僕はこう思うんだ。この往来こそが、世を移ろわせるのかなって」

『……どういうことだ?』

「今、こうして目の前を、何気なく行き交うたくさんの人たち。そのひとりひとりに暮らしがあって、それぞれに誇りや感情、生き様がある。当然、彼らと縁のない僕がそれを知る事は出来ないし、そもそも人がそこに意識を向けない限り、それらは決して互いに干渉する事も、交わる事もないんだ」

 そしてるいは、まるで想いを馳せるかのように空を見上げながら、剛濫に告げるのだった。

「けれど、そうした知らない日々の営みが、流れを生み、流転させ、世を移ろわせていくんだ。縁という、見えない結糸(むすびいと)によってね。

 だから僕は、往来を眺めるのが好きなんだよ。縁という結糸が生む時の移ろい、世が流転する様をこの眼で感じられるからね――」



「……あまり人の過去を、棚に上げないで欲しいかな」

『何を言うか。坊主の言えた義理ではあるまい』

 必死の抵抗も速攻で打ち砕かれてしまい、るいはそれ以上反論できなくなる。

 正直、弁解はしたい。だが剛濫の指摘も図星であるため、返す余地もない。

 そもそも剛濫に口で勝てるなど、端から思っていないのだ。

 つまるところ――

「……いいよ、もう」

 るいが折れるしかないのである。

 無論、彼とてこのまま終わる気はないが。

「罰として、一か月酒盛り禁止ね」

『待て! それはあまりに横暴ではないか!』

「先に言い出したのは剛濫でしょ? 自業自得だよ」

『ぐぬぬぅ……』

 覚えていろと言わんばかりの悔しそうなうめき声に満足したのか、るいは楽しそうにおはぎを頬張って見せる。

 確かに言葉の応酬では、るいは剛濫に敵わない。

 だが、宿主と憑き者の関係である以上、物理的な支配権では、剛濫もるいには敵わないのである。

 ましてそれがお酒の事とあれば、尚更だ。

 ――これで少しは、懲りてくれると良いけど

 そんなことを考えながら、るいが引き続きおはぎを堪能していると、不意にスマホの着信音が鳴った。

 食べるのを中断し、スマホの画面を確認するるい。相手はなんと、協会の会長からだった。

「安倍会長から……?」

『坊主に直接とは、また珍しいな』

「うん」

 祈祷師や陰陽師、霊的案件などを総括、管理している互助組織、協会。

 その長である会長が、直々にるいへ連絡してくるとは、何かあったのだろうか。

 ひとまずるいは、電話に出ることにした。

「はい、秋葉です。……はい。ご無沙汰しています、安倍会長。……え、緊急の依頼、ですか?」

 電話越しに相槌を打ちながら、会長から詳細を尋ねるるい。

 ところが話が進むにつれて、その表情は先程までと異なり、徐々に険しいものへと変化していく。

「……わかりました。明日にでも伺いますと、伝えてください。……はい、それでは」

 そして依頼を承諾すると、神妙な面持ちのまま、るいは電話を切った。

『……なにかあったのか?』

「郊外の小さなお社で、御神体の盗難被害が遭ったみたいなんだ。その影響で、境内に穢れが充満しているらしくて、お清めをお願いできないかって」

『だが、それは祈祷師の領分であろう。何故(なにゆえ)坊主に直々……』

 協会の真意が読めず、首を傾げる剛濫。しかし次の瞬間、彼の脳裏にある可能性が過った。

『……! まさか――』

「そのまさか、みたいだよ」

 依頼の経緯はこうだ。

 数日前、社の祠に安置されていた御神体の神鏡が盗難に遭い、浄化が機能しなくなった結果、社には行き場を失った穢れで溢れてしまった。

 そこで、管理者から依頼を受けた協会は、祈祷師を派遣した。しかし境内には、予想を遥かに上回る量の穢れが発生していたため、祈祷師の手には負えなかった。

 このままでは、境内を彷徨う霊達が怨念化するのも、時間の問題だという。

『……なるほど。それで坊主に白羽の矢が立った、ということか』

「彼岸流艶なら、穢れを一度に彼岸へ送られる。だから今回は、祈祷師が対応できる範囲まで穢れを浄化するのが、僕の御役目かな」

 本来であれば、全ての穢れを彼岸に送り終わるまで、るいが対応するべきなのだろう。

 しかし無人寺の事件以降、怨念に対するるいの状況は正直良いとは言えず、強い穢れや怨念に当てられれば、前回の二の前になることをも容易に想定できた。

 そのため協会側も、今回はそれらを考慮した上で、色々と根回しをしてくれたのだろう。

『しかし今回の件、些か(いささか)不自然ではないか?』

「やっぱり、剛濫もそう思う?」

 るいの問いかけに、剛濫が頷く。

『そもそも、それだけ多くの穢れが発生する事自体、この現代においては極めて稀なことだ。ましてやそれが、僅か数日で起きたというなら、なおの事だ』

「なにか、裏があるってこと?」

『……恐らく、最悪のものがな』

 その言葉に、るいの表情が一段と険しくなる。

 剛濫のいう”最悪のもの”。それが意味するものとは即ち、妖怪の類。

 しかし今回は、協会から直々の依頼。しかも依頼を受けた祈祷師が、一度直接現地へ入っている。

 その時点で他に異常を確認していないところを見るに、今回は恐らく、無人寺の時のような直接的なものでなく、間接的な要因に妖怪が関わっている類だろう。

 どちらにせよ、万全を期して臨むべきだろう。

 るいは、残っていたおはぎを口に放り込むと、立ち上がった。

『……行くのか?』

「すぐに色々準備しないと。例のものもできてるか、確認しておきたいし」

 そしてるいは、俊彦に連絡を取るべく、スマホを取り出すのだった。

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