瑠璃色玉の縁 陸

 少年霊は、掲げた手に集まっていた縁の束を、るいに向けて放った。

 放たれた縁の束は、まるで砂鉄が磁石に引き寄せられるように、るいの元へと引き寄せられていく。

 そして――

 厄の縁が彼の縁に結びつこうとした瞬間、るいの瞳が紅に変わった。

 縁が迫る直前、瞬時にるいと入れ替わった剛濫が、凄まじい妖気の圧で縁の束を吹き飛ばしてみせたのだ。

 その衝撃で、厄の縁は散り散りに吹き飛ばされ、るいから放たれる禍々しい怨念に圧倒された少年は、その余りの圧に思わず身を震わせた。

「やれやれ、この程度の怨念で臆するとは。今時の霊は、鍛え方がなっておらんな」

 ――……ねえ剛濫。今わざと強く妖気を放ったでしょ

「さて、どうだろうな」

 剛濫はそう告げるや否や、我関さずといわんばかりに目をそらし、そそくさとるいのなかへと戻っていった。

 本来、子ども霊を更生させるには、「それが悪い事」だと理解させる必要がある。

 悪い事をした子を、親が叱る。親に叱られる事で、子はやがて「それがいけない事」だと理解し、善悪の良し悪しを学んでいくのだ。

 今回るいが立てた策は、まさにこれと同義。

 つまり、早い話が少年霊に説教をする、いうものだった。

 ただ、相手は遊び間隔で今回の事件を引き起こしているため、普通に説教をするだけでは、反発され理解してもらえなくなるのは眼に見えている。

 そこで今回は、霊体が穢れや怨念の影響を受けやすい事を利用して、害が出ない程度の怨念で相手を威圧。

 怨念を直に受けることでその危険性を身をもって理解してもらい、認識を改めてさせよう、というのがるいの作戦だった。

 ただこの策を講じるには、妖怪である剛濫の協力が必要となる。

 そのためるいは、事前に彼とも放つ怨念の加減について打合せをし、剛濫もそれを了承していた。

 しかしさっきはどう考えても、事前に打ち合わせていた量よりも、強い怨念を放っていた気がする。しかも意図的に。

 結果的に少年霊を畏縮させることには成功したが、それでも限度というものがある。

 普段の剛濫であれば、るいの了解もなく、このような真似をすることはまずない。少年霊の態度に、何か気に障るような事でもあったのだろうか。

 ――それについては、後で言及する必要があるかな。……まあ、答えてくれないとは思うけど。

 そんなことを考えながら、表に戻ってきたるいがやれやれとため息をつく。

 瞳の色も黒に戻り、先程までの禍々しさもない、いつも通りの彼がそこに在った。

 一方で一連の様子を見ていた少年霊は、恐怖のあまり完全に怯えきっていた。

 そして、るいに隙ができたと見るや否や、一目散にその場から逃げ出そうとしたのである。

 当然、るいは気づいていた。彼は咄嗟に陰陽札を取り出すと、霊を拘束すべく印を結び言霊を紡ぐ。

ばく!」

 その瞬間、逃げようとしていた少年の動きが止まった。

 まるで金縛りにあったかのように、どれ程足掻いても、彼の身体は腕どころか指一本すら動かせない。

 己の身に起きた異変と恐怖に、少年はただ怯えるしかなかった。

「逃げようとしても無駄だよ。この符術には、相手の動きを縛る効果があってね。僕の力ではそんなに強い効力はないけれど、君のような霊が相手なら、これくらい造作もないよ」

 そういって、術を維持したまま、少年に近づくるい。

 途中、己に向けられた少年の恐怖の気配に、るいの歩みが一瞬止まりそうになるも、彼はすぐに歩みを再開させる。

 この少年が今自分に向けている恐怖は、初めて浴びた怨念と豹変したるいの態度に対してのものだ。決して、鬼化に対するものではない。何も知らない人間が同じ目に合えば、皆同じ反応をする。

 込み上げる何かを押し殺すように、そう自分に言い聞かせた。

「君がさっき、僕に恐怖を抱いた力。あれは怨念といってね、人の強い負の感情から生まれた力――穢れが寄り集まることで生まれる、負の想念だ。穢れや怨念は自然発生するものだけど、君のような霊体は特にその影響を受けやすいんだよ」

 そういうと、るいは符術を解除した。拘束が解かれたことで緊張が解けたのか、宙を飛んでいた少年霊が、風に乗れなくなった凧のようにゆらゆらと地上へ降りてくる。

 そして、ようやく地面に脚をつけた少年は、まるで糸が切れたように、その場へと座り込んだ気がした。

「手荒な真似をしてごめんね。でも、僕の話を聞いてもらうには、こうして体験してもらった方が早いと思ったんだ」

『……どういう、こと?』

「僕がさっき、君のような霊体は、穢れや怨念の影響を受けやすいっていったこと、覚えてる?」

 その問いに、少年霊が頷く。

「その影響を強く受け続けるとね、影響を受けた霊は怨念になってしまうんだよ」

 強い驚愕と動揺が、少年霊から伝わってくるのがわかった。

 るいはなるべく恐怖を与えないよう、優しく語りかけるように言葉を続ける。

「さっきはちゃんと手加減をしていたから、精々恐怖を感じた程度で、特にこれといった影響も受けなかった。だから、君が怨念になることもなかった。けれど、もしあのまま遊びを続けていたら、いずれはそうなっていただろうね」

『……どう、して?』

「理由は簡単。君が厄の縁を、遊びと称して振り撒いていたからだよ」

 言葉の意図が分からないのか、困惑した様子を見せる少年霊。

「君はこれまで、この場所を通る人たちに厄の縁を結んでは、災厄に見舞われる人たちの反応を楽しんでいた。今回はまだ大事になっていなかったからよかったけれど、もし今回の遊びが原因で誰かが生命を落としていたらーー。どうなっていたと思う?」

『……どうなっていたの?』

「死んだその人の怨みの矛先は、君に向けられる」

『……』

「さっきも話した通り、霊体は穢れや怨念の影響を受けやすい。やがてその怨みは、確実に君に影響を及ぼす。そしいずれはーー」

『……僕が、怨念にになる?』

 その言葉に、るいは頷いた。

「だからこそ、手遅れとなる前に、君には知って貰いたかった。厄の縁がもたらす悲劇と、その果てに待つ永劫の苦しみを。実体験に勝るものはないとはいえ、手荒な真似をしたことについては、正直心苦しかったけどね」

 そういうと、るいは印を解き、術を解除した。

 ようやく呪縛から解放された少年霊は、るいの話を聞いたことで少し事の重大さがわかったのか、特に逃げる素振りもなく、静かにこちらを見ていた。

 どうやら、少しは落ち着きも取り戻してくれたようだ。

「君の行いは、決して許されることではない。けれどその行為に悪意がなかったことも、僕は知っている。……本当は、君が何を求めていたのかも」

 するとるいは、少年霊の気配がする位置を真っ直ぐに見つめ、優しく笑いかけた。

「本当はずっと、誰かに気づいて欲しかったんだよね? 自分が、ここにいるということを」


 それから、しばらくの沈黙が流れた。

 少年霊はるいの言葉にただ俯き、るいもまた、なにか行動を強制するようなことはせず、ただ彼の次の行動を静かに待った。

 そして――

 ずっと俯いていた少年霊が、ゆっくりと自分の下へ近づいてくるのを、るいは感じた。

 まだどこか遠慮気味なところはあったものの、それでも少年霊は彼の傍まで行く決心をしてくれたのだ。

 そんな彼の行動に心の中で感謝しつつ、るいは霊が話やすいように、彼と同じ目線と思われる高さまでかがむと、それに続く言葉を待った。

『……あの日の夕食、僕の大好きなカレーだったんだ。遊びに行こうとしたときに、ママが教えてくれて。それを聞いて、僕も今日は早く帰るねっていったら、ママはすごく嬉しそうに『だったらママも、張り切って美味しいカレーを作っちゃうからね』って。なのに……』

「……君は事故に遭い、命を落としてしまった」

 その問いに、少年霊が頷く。

『……あれからママ、笑わなくなっちゃったんだ。時々ここにお供えに来てくれるから、僕、ママに何度も『泣かないで、笑って』って伝えようとしたんだけど、ママは全然気づいてくれなくて……。僕はずっと、ママの前にいたのに――』

 やがて堪えきれなくなった涙を瞳いっぱい浮かべ、少年霊は声を上げて泣いた。

 その姿は最初に会った生意気な面影もない、何処にでもいる年相応の子どもそのままだ。

 目の前で泣く母に、『笑って欲しい』と伝えたい。少年の願いは、ただそれだけだった。それなのに――

 近くにいるのに、伝わらない。触れたいのに、触れない。

 できると思っていたことが、ある日突然できなくなる。

 自分は確かにここにいる。それなのに、伝えたい、大切な人達からは、もう気づいてもらうこともできない。

 その現実を悟った時、幼い少年は自分の失ったものに気づいてしまったのだ。

 恐らく厄の縁を結ぶ遊びも、最初はその喪失感からくる寂しさを紛らわせるために、始めたことだったのかもしれない。

 しかしその遊びに楽しさを覚えてしまった少年は、もっと寂しさを埋めたいと思うあまり、次第に行動がエスカレートしていってしまった――ということだったのだろう。

 ただすすり泣く少年に、るいは気がつくと彼の頭を優しく撫でていた。

 無論、陰祷師といえど、霊体に触れることができないのは、るいにもわかっている。それでも、泣きじゃくる彼の姿を見ていると、そうせずには居られなかった。

 最期の願い、未練を果たすことができず、結果現世に留まってしまう霊は多い。

 それをどう果たさせてあげるのか。たとえ術者であろうと、その答えを明確に示してあげることは難しい課題だ。

 仮に伝えたい想いをこちらが代弁したとしても、受け取る側からすれば、それが真実なのかがわからない。

 証明してあげたくても、証明することができない。

 それが霊と、彼らに寄り添う者たちが生きている世界だから。

「理不尽な死を与えられて、君は怒り、哀しみ、寂しさによる孤独を埋めようとした。それは人として当然の感情で、君の行いを咎めることは、誰にもできない。……でも、だからこそ。その苦しみを知っている君は、同じ目に遭った人たちの気持ちを、わかってあげられるはずだ」

 そしてるいは、少年に問うた。

「……それでも君は、誰かにその苦しみを味合わせたいかい?」

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