其は来たりて

 その時だった。

鬼術きじゅつ焔玉ほむらだま"!」

 不意に聞こえた掛け声と同時に、いくつもの火の玉がお堂の影から放たれた。

 突然の襲撃対し、既に私へと狙いを定めていた蛇達は、その全てが為す術もなく火の球に焼かれ、霧散していく。

 ーー助かった……?

 目の前で立て続けに事が動いたせいで、私は完全に混乱していた。先程の火の玉も、誰によって放たれたのかわからない。

 けれど。

 その第三者のお陰で助かった、それだけはすぐに理解することができた。

「それにしても、これだけの呪詛が徘徊していたなんて……」

 すると、お堂の方から、火の玉を放った人物と思し声が聞こえてきた。

 この声の感じ、どうやら男の人らしい。

「……みたいだね。目覚めたばかりで力を求めた、といったところかな。……わかってる、哀れんだりはしないし、手を抜くつもりもないよ。これ以上、犠牲者を出すわけにはいかないしね」

 まるで誰かと話しているかのように、一人で何かを呟いている声の主。よく聞いてみると、その声には少し幼さが残っているように思えた。

 この人は、一体誰なのだろう。やはり、お礼をいうべきだろうか。

 そう思いながら彼の話に聞き入っていると、今度は墓地の方角から先程の蛇達が数匹こちらへ向かってくるのが見えた。

 まずい。このままここにいては、また襲われる。

 そう思い思わず身構えてしまったのだが、蛇達が視線を向けたのは、声の主がいると思われるお堂の方向。

 どうやら、こちらからは死角になっているが、あちらからでは彼の姿が見えているらしい。

 案の定、蛇達は私の時と同じように奇声を発すると、今度は声の主がいる場所へと襲い掛かっていった。しかしーー

 お堂の影に隠れた瞬間、蛇は靄となって消えた。その後も二匹、三匹と蛇達は立て続けに襲い掛かるが、その全てが何かに阻まれ霧散していく。

 一体、あの先で何が起きているのか。

 最後の蛇が霧散する光景を見ながら、私はお堂を注視した。

 そしてーー

 最後の蛇が消え去った後、お堂から姿を現したのは、肩なしの狩衣を纏い、手に刀を携えた、小柄な人物だった。



 最後に襲ってきた呪詛を斬り伏せ、るいはようやく一息ついた。

 ここに妖怪がいるかもしれない。その疑念が過った時、こうなることはわかっていた。

 寺の境内に徘徊していたたくさんの黒い蛇達。あれは、妖怪が怨念から生み出した式、呪詛の一種だ。

 呪詛は強い呪殺の力を持っており、その力で祟り殺した者の怨念を、主人の元へと運ぶ。

 呪殺はいわば、死の呪い。その為妖怪は、効率よく力を得る為に、呪詛を従えている場合が多い。

 それを見越していたこともあり、彼岸流艶を予め装備しておいたおかげで、巡回中に襲われた際も、問題なく対処することができた。

 しかし、妖怪があれ程多くの呪詛を生み出していたとなると、相手もかなり力を付けていると見るべきだろう。

 今回は、思ったよりも苦戦するかもしれない。

 様々な憶測を巡らせながら、るいは思考に没頭していく。そのため、剛濫に言われるまで彼女の存在に気づかなかった。

『おい、坊主。ありゃあ……』

「ん? 剛濫、どうかした……の……?」

 そこでるいは、ようやくその場に立っていた美空の存在に気がついた。

 思いもよらなかった人の存在に、るいの思考は一瞬停止する。が、それはすぐ困惑へと変わった。

「ど、どうして人がここに……?」

 妖怪退治の依頼を受ける時は、周囲に被害を出さない為に、結界を張って空間を遮断している。

 それ以前に人がいた場合は仕方がないけれど、今はもう午後十一時を過ぎた頃だ。そんな時間に、人がお寺にいるはずーー

 すると、何か思い出したのか、剛濫がばつの悪そうな声で訊ねてきた。

『なぁ、坊主。おまえさん、ここに来た時ちゃんと結界を張ったか?』

「それはーーあ」

 言い返そうとして思い出す。お寺に脚を踏み入れた時、妖怪への警戒に意識が回り過ぎて、入り口に結界を張り忘れていた。

 つまり、今目の前にいる彼女は、自分が結界を張り忘れた為に、何らかの理由でここへ迷い込んでしまったということになる。

 やってしまった。

 そこでようやく、自分の起こした失態を自覚したるい。その途端とてつもない罪悪感に襲われた気がして、思わず項垂れた。

「あ、あの……」

 すると、項垂れるるいに、美空が恐る恐る声を掛けてきた。そこでるいは、ようやく我に返る。

「あ、ごめんなさい。色々考えて混んでたから、つい」

 そういって彼女に近寄ろうとしたるいだったが、美空はつい反射的に後退りしてしまった。

 その反応を見て、思い出す。るいは今、フードとマスクで素顔を隠している。顔も見えない相手なら、警戒されるのは当然だ。

 それに、恐らく彼女は一度、呪詛に襲われている。鬼術で呪詛を祓った際、彼らが向かっていた方向に彼女がいたのだ。

 幸い怪我などはしていないようだが、あのような得体の知れないものに襲われ死にかけたのだ。相手が同じ人とはいえ、覆面をした見知らぬ者が近付いたら、警戒されてしまうのは当然だろう。

「あ、ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったんだ」

 るいは脚を止めると、フードとマスクを外し、美空に笑みを向けた。

 幼さの残る顔立ちに、澄んだ黒い眼。闇夜に浮かぶ黒髪が、彼の幼さを引き立てているようにも見える。

 背丈や雰囲気からして、おそらく中学生くらいだろうか、と美空は思った。

「それで……、お姉さんはどうしてここに?」

「え!? あ、その……。バイト帰りにここの前を歩いていたら、変な鳴き声が聞こえて」

「鳴き声?」

 るいの問い掛けに、美空が頷く。

「うん。なんかこう、蛇みたいな声がまるで呼んでいるみたいに聞こえたから、つい気になっちゃって」

「そっか……」

 蛇の呪詛と言い、血を奪うことと言い予測はしていたけれど、彼女の話が本当なら、恐らくこの先にいるのはーー

 どちらにせよ、一般人である彼女をこのままここに留めておくわけにはいかない。

 やはり、事が起きてしまう前に、帰した方がいいだろう。

「ひとまず、事情はわかったよ。だけどもう夜も遅いし、ここも危ない。入り口まで送っていくから、お姉さんは帰った方が良いよ」

「でも……」

 美空は言葉を濁した。

 この人が、自分の為を思ってそういってくれているのは理解できる。本当なら、すぐにそうするべきだということも。

 けれど、彼には聞きたいことがたくさんあった。

 あの蛇は何なのか、吸血鬼殺人の噂と関係があるのか。そして、彼が何者であるのか。

 次々と疑問湧き上がる。

 ーーそれに、君はどうするつもりなの……?

 そう、美空が問いかけようとした時だった。



 突如、なにかの気配を感じたるいは、美空を突き放していた。

 その瞬間。とてつもない勢いで、何かの影がるいに襲いかかってきたのだ。

 るいは咄嗟に刀を構えるも、襲撃者の勢いに押され、そのまま後ろへ押し戻される。

 その正体は、先程とは違う、白い蛇だった。

 ーーこの蛇……!

 るいはすぐに、この蛇の正体を察した。

 形ある気配、放たれる威圧。この蛇は、呪詛ではない。妖怪そのものから放たれた、実体を持った蛇だ。

 それが、このタイミングで襲ってきた。

 どうやら相手側も、早急にこちらを排除すべきと判断したようだ。

 るいは、刀に込める力を強め、そのまま受け止めた蛇を斬り裂いた。刀から伝わる僅かな感触と飛び散る臭いに、一瞬顔をしかめるも、すぐに何事もなかったかのように刀で血を振り払う。

 そして、文字通り一刀両断にされた蛇の死体は、灰のように崩れ落ち、その場から消えた。

「ふう……」

 危なかった。警戒を解いていたつもりはなかったのだが、流艶を抜いたままでなければ、怪我のひとつはしていたかもしれない。最近はこのような大仕事がなかったので、勘が鈍ったのだろうか。

 もし恩師にバレたら、笑われてしまいそうだ。そう思うと、思わず笑みが溢れた。

「お姉さんは、大丈夫? いきなり突き飛ばしちゃったけど、怪我とかはしてない?」

「う、うん。大丈夫」

「そっか、よかった」

 そういうと、るいは美空に笑みを浮かべた。

 先程までの真剣な表情が嘘のような、まだどこかあどけなさが残る笑み。その微笑みに、美空は思わず見惚れてしまった。

「そうだ。これを渡しておくね」

 るいは懐から一枚の札を取り出すと、それを美空に渡した。

「これは……?」

「守護結界の護符かな。それを持っていれば、襲われないはずだから」

「わ、わかった」

 そういうと、美空は手渡された護符を受け取る。それを確認すると、るいは再びマスクとフードを身につけ、彼女に背を向けた。

「良い? 僕が行ったら、それを持ってすぐにここを出て、そのまま家に帰ってね。そうすれば、もう安全だから」

「えっ……?」

「……それから、巻き込んじゃって、本当にごめんなさい。お姉さんに怪我がなくて、本当によかったよ。それじゃ」

 そういって、るいは墓地の方へと歩き出す。

「ねえ!君はどうするの!?」

 去り際、彼女の問いかけが、後方から木霊する。その問いに、るいはただ笑みを向けるのだった。


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