陰祷師の戦

 漆黒に染まる暗闇に、冷たい風が吹き抜ける。

 季節はまだ冬ではない。それなのに、こんなにも冷たい空気が満ちるのは、ここが墓地だからだろうか。それともーー


 午前零時過ぎ。灯りの途絶えた墓地に、るいは立っていた。その先に立つ、異形の者を見据えて。

 そこにあったのは、人間程の大きさを持った白蝮と戯れる、一人の美女。こちらの存在に気づいたのか、妖艶な笑みをるいへと向けてくる。

 もしあれが、白蝮と戯れるただの妖艶な美女だといわれたら、一般人は何も疑わないだろう。

 だがーー。白衣から覗かせる蛇のような鱗と、長い舌。そして、光の消えたその瞳が、彼女が人ならざる存在であることを示していた。

『蛇女か』

「……だね。呪詛からして、大方予想はしていたけど」

『しかしあの気配、相当できるぞ』

「三週間で五人、って話だったもんね。その人達の怨念を、力に変えているってところかな」

 妖怪に殺された人々は、その怨みを妖怪に向ける。そうした彼らの怨念が、妖怪達の力の糧となるのだ。

 るいは、静かに蛇女を見た。

 彼女にまとわりつく、数多の怨念。もし、自分がもっと早く事態に気付いていれば、彼らが死して怨念

 に成り果てることもなかったかもしれない。

 でも、時を巻いて戻す術はない。時は留まることも、遡ることもできない。世は流れ、移ろう。それが摂理だ。

 ならば、今の自分にできるのは、彷徨う彼らを流し、導くことだけだ。

 るいは彼岸流艶を構え、不適に笑う蛇女ただ一点を見つめる。彼の目つきが、変わった。


 最初に仕掛けたのは蛇女だった。

 自身の周囲に無数の呪詛を生み出すと、それらをるいに向けて放った。

 まるで数多の弾丸のように、るいへと襲い来る呪詛達。しかし、るいはその光景に臆することなく、手にしていた彼岸流艶を振るい、自身に迫る呪詛達を斬り伏せていった。

 一体、また一体と、流れるような刀捌きで呪詛達を葬るるい。その手つきは、優雅そのもの。まるで、戦場で刀の舞を舞っているような、そんな光景だった。

 全ての呪詛を斬り伏せ、再び蛇女を見つめるるい。

 使い魔たる呪詛では、彼を殺せない。そう判断した蛇女は、次に従えていた白蝮をるいに向けて放った。

 通常の蛇の数倍はあろう巨大な白蝮が、凄まじい勢いでるいへと向かっていく。

 これが普通の人間だったならば、その巨体に恐れをなし、身動きも取れぬまま奴の餌食となっていただろう。

 だがーー

「鬼術“焔大蛇ほむらのおろち”」

 るいがそう唱えた瞬間、突然地面から炎が渦巻き白蝮へと襲い掛かった。

 白蝮を呑み込んだ炎は、次第に蛇の形を成し、呑み込んだ白蝮を文字通り焼き尽くしていく。

 そして白蝮は、文字通り焔の蛇に焼き尽くされ、塵となって消えた。


 一方、仕掛ける攻撃を次々と破られ、蛇女は動揺を隠せなかった。

 数百年振りの封印から解き放たれ、以前より力が弱まっていたことは認める。

 しかし、五人の人間を殺しその怨念を力に変えたことで、力はそれなりに戻っていたはず。なのになぜ、目の前のこの者には通用しないのだ。

 いいや、そんなことはない。我は妖怪蛇女。転じたこの身が、人間如きに屈することなどない!


 途端、蛇女の気配が変わった。

 気配の変化を察したるいがすかさず流艶を構えると、それと同時に蛇女は奇声を放ちながらるいへと襲いかかった。

 間合いに入った蛇女は、両袖に纏わせていた蛇をるい目掛けて振るう。

 しかしるいはそれに動じず、流艶で一撃を受け止めると、そのまま彼女の攻撃を弾き返した。

 攻撃を弾かれ、宙を舞う蛇女。

 だが、この程度は想定内。

 すると彼女はそのまま体勢を立て直すと、その勢いを利用して再びるいに蛇を振るった。

 るいは、その一撃を流艶で受け止める。

 だが、一撃目と違い、二撃目には勢いがあった。そのため攻撃を弾くことが出来ず、るいはその衝撃で数歩押し戻されてしまった。

 この蛇。一見ただの蛇に見えたが、どうやら彼女の意思で硬化させることができるらしい。

 加えて勢いをつけたこの一撃だ。勢いの乗った一撃は、威力が違う。それ程腕力が強くないるいにとっては、今この一撃を受けきることで精一杯だった。

 どうにかして、反撃に転じたい。だが今、下手に力を緩めれば、こちらの隙を必ずついてくる。

 るいは動くに動けず、しばしの鍔迫り合いが続く。

 ところが、そんな状況を打破したのは、いつものあの声だった。

『全く、世話の焼ける坊主だ』

 ため息とともに内側から響いた剛濫の声。その瞬間、突如腕に力が入り、るいは受け止めていた一撃を押し返し始めた。

 これには流石の蛇女も想定外だったのか、咄嗟に込める力を強めたが、そのままるいに押し返されると、体勢を立て直すため、るいから距離を取った。

「ありがとう。助かったよ、剛濫」

『いつもながら世話の焼ける。この貸しは高いからな、坊主』

 そういって呆れる剛濫に、思わず笑みが漏れる。

 剛濫は、るいを宿主として宿る鬼だ。そのためるいは、自分の意思で彼の力をある程度扱うことができる。

 しかしその一方で、るいと剛濫は一種の共生関係にあった。その為、るいの意思とは関係なく、剛濫の意思でるいに力を与えることができるのだ。

 先程、るいが蛇女の一撃を押し返すことができたのも、痺れを切らした剛濫が彼に力を貸してくれたおかげだった。

 この仕事が終わったら、久々に酒盛りに付き合ってあげることにしよう。るいは、そう思った。



 その時だった。


『ーー!!』


 突然ただならぬ衝動に襲われ、るいは思わず口元を押さえた。

 脈打つ鼓動とともに、内側から湧き上がる衝動感。その激しさに、るいの顔が苦痛に歪む。

 だが、変化はそれだけではなかった。

 短かったはずの髪は首筋まで伸び、刀を握る指先は、爪が僅かに尖っている。

 きたか……。

 鬼化。妖怪を内に宿した、陰祷師の宿命。

 妖怪はいわば怨念の化身。強い怨念を浴びれば、当然力は増していく。

 そしてそれは、妖怪を内に宿す陰祷師も例外ではない。

 るい達陰祷師は確かに人間だが、妖怪を内に宿す故、その体質は半妖に近いものに変化している。

 そのため彼らは強い怨念に当てられ過ぎると、身体が徐々に異形の姿へと変じてしまうのだ。

 恐らく、先程の鍔迫り合いで、蛇女の怨念を至近距離で受けてしまったせいだろう。

 だが、今回の仕事をするにあたって、るい自身も鬼化のリスクは承知済みだった。

 鬼化するといっても、変化の度合いには段階がある。その為、ある程度の変化は許容の範囲内なのだ。

 しかし、早すぎる。

 るいの予想では、鬼化が始まるまでにまだ幾分かの猶予があったはずだ。にも関わらず、この短時間で鬼化が始まった。

 昔と比べて、鬼化が起こりやすくなっているという自覚はある。しかし、今はまだ軽微な変化でも、このまま戦いが長期化し、鬼化の進行が進んでしまったらーー

 本当は、もう少し相手の力を削いでから行いたかった。けれど、こうなってしまっては仕方がない。

『……あれをやる気か?』

「うん。それまでの間、頼める? 剛濫」

『言われるまでもない。任せておけ』

 いつもながらの頼もしい一言に、思わず笑みが溢れる。

 このような状況にも関わらず、こうして安心できるのも、その存在故かもしれない。

 とはいえ、それを本人に告げることは、恐らくないだろうけれど。

 そうしてるいは、目を閉じると、内なる存在(もの)にその身を委ねたーー



 その瞬間、るいの纏っていた気配が変わった。

 息苦しくはないが、重々しい。重苦しいのに、猛々しい。

 先程までのるいとは、まるで異なる気配。

 その変化に何かを感じ取ったのか、蛇女はすぐさま腕に纏った蛇達を、るいに向けてけしかけた。

 微動だにしないるいに、蛇達は容赦なく襲い掛かろうとする。

 だが次の瞬間、唐突にるいの目が開かれた。同時に、黒かった彼の瞳が、紅へと染まる。

 そして、彼のものとは思えない程の雄叫びを上げると、腕の一振りで容易く蛇達を葬ってしまった。

 これには、流石の蛇女も、動揺を隠せない様子だ。

「……なんだ、どうした? 随分と手応えがないじゃないか」

 もの足りないと言わんばかりの表情を浮かべるるい。しかしそこから発せられる声は、内なる鬼、剛濫のものだ。

『ちょっと剛濫! いくらなんでも、無用心すぎるよ』

「やれやれ、相変わらず心配性だな。坊主は」

 内から聞こえる慌てた様子のるいに、剛濫は呆れたと言わんばかりの態度を見せる。

『剛濫が、なんでも力任せにしようとするからだよ。蛇女の毒に当てられたらどうするのさ』

「なに、そんな心配なぞいらん!この程度、我が皮膚を裂くことすらできんわ」

 そういってニヤリと笑う剛濫。よく見ると、先程の一撃で裂けた袖からは、人のものではない、灰色の鱗に覆われた皮膚が見え隠れしていた。

「そんなことより坊主。小言を言う暇があったら、少しは集中しろ。こちらも、そう長くは持たんぞ」

『わかってる』

 戦いを剛濫に任せ、るいは再び意識を集中させる。

 そして、それを見届けた剛濫は、迫りくる蛇女に刀を構え、叫んだ。

「久方振りの俗世だ。存分に楽しもうぞ!」

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