1-18 状況整理を始めよう
「お、中身も綺麗で可愛いね。クッキー、大好物なんだ。ありがとう」
箱をぱかりと開けて目を輝かせる怜さんに、俺は恐縮しながらもう一度礼をする。
「すみません、昨日ご馳走までしてもらってしまって……これで十分か分かりませんが」
「いやいや、十分すぎるよ? 心配になるくらい礼儀正しいね、君は」
「それが碓氷くんのいいところだよな。さっすが、僕の親友」
うんうんと頷きながら、桐山が満足げに胸をはる。親友になるほど、まだ交流はないと思うんだが。
「ああ、これ賞味期限短めだから、いいやつだね。こんな素敵なお菓子なら、とっておきの紅茶を淹れないと」
用済みになった紙袋と包装紙を手に持ち、鼻歌交じりに怜さんは席を立った。することのない俺たちは、そのままぽつんと取り残される。
「待ってる間、状況整理でもしよっか」
「え? ……ああ、検証するって言ってたな、そういえば」
目を瞬かせる俺の隣で、桐山は通学鞄の中からシャーペンと小さいB5判のノートを取り出した。そしてパラパラと数枚ページをめくり、早速『状況整理・その一』と書きつける。
「まず、前提として共通認識してる点を確かめたい。ここに齟齬があったら話がごっちゃになるし」
「……おう」
クッキー一つに凄い執念だな、とは思ったものの。他にすることもないし、まあいいか。
「共通認識か……そうだな、桐山が今回疑問に思った点は、『予備校の広告パンフセットの中にクッキーが入ってるのはおかしい』ってことで合ってるか?」
「合ってる。ちなみに、その理由については分かってる?」
シャーペンを走らせる同級生の横で、俺は浅く頷いた。
「お前が『明らかにおかしい点が一個ある』っていってたやつだな。多分だが、『クッキーだと壊れやすいから』か?」
「おっ、正解! やるねえ」
指をパチンと鳴らす桐山の動きに、俺はほっと息を吐く。答えを外さずに済んだ。外したら外したでからかわれそうだし面倒くさい。
最初はいきなり『明らかにおかしいことがある』なんて勿体ぶって言ってきたからビビったけれど、冷静になればすぐ分かる話だった。
予備校の配布物を配りに来る人たちは皆、中身がぎゅうぎゅうに詰められた鞄やスーツケースを引っ提げてくる。しかも当たり前のことだが、スタート地点であるそれぞれの予備校の拠点から、この住宅街のど真ん中にある高校まで電車やバスを乗り継ぎ、徒歩ではるばるやってくるわけだ。
そこに、壊れやすいクッキーを入れてくるのは『明らかにおかしい』。今まで予備校の配布物のおまけとして配られてきたものたちを思い返してみれば、消しゴムやシャーペンや蛍光ペンは砕けたりなんてしないし、お菓子にしたってチョコレートやガム、飴やタブレット菓子ばかりだった。つまり、全部『硬さがしっかりしていて、簡単に割れないもの』。
そりゃそうだろう。自分たちの広告と一緒にして配るのに、中身が壊れやすいと分かっているものを入れてくるのは不自然だ。しかもあのクッキーは、口当たりがサクサクしていてすぐ割れそうだった。
桐山はそういう意味で、『塾側としては配る気はなかった物だろうな』と言ったのだろう。
「あのクッキーが高校の近くで売ってるものなんじゃないかって推測したのも、クッキーが割れてなかったからだろ?」
「ま、そういうこと。最初からそんな壊れやすいものを詰め込んでくる奴は、そもそもいないはずなんだけどね。でも現にクッキーは配られたし、少しも割れていなかった。そう考えると一番可能性が高いのは、配った人が独断でこの近くでクッキーを買って、配る直前に袋に入れたって線だ。予備校側がわざわざ、割れやすいクッキーを入れろと指定したとも考えにくい」
桐山がシャープペンシルの頭で軽くノートのページをつつく。
「でも、何のためにだ」
「そこなんだよな」
俺の疑問に、桐山は腕組みをして天井を仰ぐ。
「何の話?」
涼やかな声が頭の斜め上から聞こえて顔を上げる。いつの間にやら俺たちの横には、黒いトレイにポットとティーカップ三つのセットを載せた月島が、首を傾げながら立っていた。
「ああ、月島さん。ちょっと学校で気になってることがあってさ」
桐山が先ほどの要点をまとめたノートを月島の前に広げて見せた。
「なに? このメモ」
疑問を口にしながら月島は俺の左隣に座り、悠々とカップを傾けた。その拍子に横にいる俺の鼻腔をくすぐる、紅茶の香り。
俺も黙って紅茶を啜ると、花や果物のような淡い甘さの香りと、すっと爽快感のある渋みとしっとりしたコクが口の中に広がった。
「ダージリンティー、お代わりあるからね。クッキーと合うと思うから、心ゆくまでどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
カウンターから怜さんの声が飛んできて、図らずも紅茶の種類を知る。俺が怜さんに向かってぺこりと頭を下げてテーブルへと顔を戻すと、桐山と月島はじっと無言で先程のノートを見つめていた。
それを横目に、俺は昼に買ったクッキーの箱の中からプレーンの丸いクッキーを取り出した。ビニールの包みを真っ二つに裂いて中身を頬張ると、軽い口溶けのほのかなバニラ味が口の中に広がる。すぐさまダージリンティーを口に含むと、これがまた確かに美味い。
「そうだよな、個包装されてるわけだから毒入りってこともないよな」
いつの間にやら顔を上げていた桐山が、クッキーを味わう俺をじっと見つめながら、物騒なことを言う。俺は思わずむせた。
「……んなわけ」
入ってたら大事件だろうが。
「分かってるっての。ありそうな推測を潰してるだけ」
「そうかい」
俺は咳払いをして、紅茶を流し込む。そんな俺たちの前で、月島が首を傾げた。
「ところでこの『クッキー入りの配布物を配ってた人』って、どんな人なの?」
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