1-19 予備校のバイト
「大学生くらいの、美人で若い女の人だったってさ。んで、黒いスーツに黒いスーツケース。服装はあの洋菓子店の店員の言ってたことと合致してるな」
「桐山、なんでそんなこと知ってるんだ」
間髪入れずに答えた同級生に俺は驚く。昨日、俺たちは配布物を配っているところを見ていない。
「由利から聞いた。あんまり美人だったもんだから、何回か西門の方まで配布物もらいに往復したらしいぞ」
「何やってんだ、あいつ」
道理で、クッキーを複数枚持っていた訳だ。
「ああでも、なるほど。俺らは昨日の放課後正門から出たから……」
「西門前で配ってる配布物にはお目にかからなかった、と」
俺の言葉を継いで、桐山がそうまとめる。
「さて、クッキー入りの予備校パンフセットを配ってた本人の容姿、いた場所、クッキーを買った場所は分かったわけ。ここから何を推測する?」
コツコツと机の片隅を人差し指で叩く桐山。俺らはうなりながら苦しい推理を挙げていった。
以下、こんな感じだ。
推理その1、『初めから配るつもりで大量買いした』。提唱者は俺だ。
「菓子を入れたほうが、早く配布物が捌けるんじゃないかって思ったとか」
「一番あり得そうではあるけど」
桐山が腕組みをして天井を見上げる。
「でもなんであの店のクッキーなわけ? あの店、学校からでも若干遠いし、お菓子なんて近くのコンビニで買えばいいし。ましてや何でわざわざ壊れやすいクッキーを買うのかが分からない」
「ああ……そうだな」
確かにあのシュクル・リエールという洋菓子店は高校からでも若干遠く、歩いて10分くらいかかった。道も住宅街のど真ん中だから俺らも地図と首っぴきで来たし、結構分かりづらい場所にあった。かかる労力がデカすぎる。
俺らの高校の近くには、徒歩2分くらいという恐るべき至近距離でコンビニが建っている。確かにおまけのお菓子を現地で思い付きで買うなら、そこで買えばいい話だ。
「パンフレットとかティッシュ配りのアルバイトって、配布数にノルマがあるわけじゃないからね。指定された時間にその場にいて、ある程度配ればオッケー。全部配り終わるまで帰れない、なんて条件ならあの手の仕事はいつまで経っても帰れないよ」
俺たちのティーカップに紅茶を注ぎ足してくれながら、怜さんがそう言った。
「叔父さん、詳しいね」
桐山の言葉に、怜さんが遠慮がちにそっと微笑む。
「昔、アルバイトは色々やってきたからね。予備校のパンフレット配りも」
なるほど。その経験談を基に考えるとすると、さらに俺の案はボツだ。配布物が早く捌ける必要はそもそもあまりないし、それに菓子を入れていたからといって配布物が早くなくなるとは限らない。買うだけ労力の無駄である。
問題は、必要ないそんな労力を要してまで買ったクッキーをなぜ『配ったのか』、そもそもなぜ買ったのか、だ。
「じゃあ次、私が」
月島にすっと手をあげる。
というわけで、推理その2。『買ってはみたものの、急に食べる気をなくして、とりあえず配布物に混ぜてみた』。
「ボツ!」
「なぜかしら」
にこやかな顔で即却下した従兄弟相手に、月島はむっと口をへの字に曲げる。
「さっきも桐山くんの案で言ったけどさー、そもそもあんな分かりづらい場所かつ駅から距離がある場所までわざわざ行ったのに、そんな180度いきなり気分が変わるわけないっしょ」
「……ちっ」
左横から微かな舌打ちが聞こえてきて、俺はぐるりとそちらを向く。月島はしれっと涼しい顔で紅茶を飲んだ。
「ん、反論なし? じゃあ次、僕」
自分で勝手に納得した桐山が右手で頬杖をつき、左手を軽く上げた。
「推理その3。『クッキーそのものは要らなかったけど、どうしても一度、手に入れる必要だけはあった』ってのでどう?」
「どういうこと?」
月島がクッキーの袋の綴じ目部分を綺麗にハサミで切り、取り出したクッキーを頬張りながら眉をひそめる。
「そうだな……例えば、クッキーと一緒に箱に何かが入ってたとか」
「ふうん?」
桐山の言葉に、月島と俺は無言で頷き合い、一度箱に詰められたクッキーたちを全部机の上へ出した。クッキーたちの小袋と、ただの乾燥剤の袋が数個転がり出る。
「何もないな」
「はい、桐山くんの案も却下」
「……」
桐山が何も言わずに真顔のままカップを傾けた。ずずっ、と紅茶を啜る音がする。どうやら無言の不服の意表明のようだ。
ダメだ。全然建設的な意見が出ていないのに、すでに煮詰まってしまっている。
腕を組んで天井を見上げ、所在なく足をずらすと、俺の右足の下でクシャっという微かな音がこすれた。何かを踏んだらしい。
咄嗟にしゃがみ込んで、俺は音の元だった、ぐしゃぐしゃになったクッキーのビニール袋を拾い上げた。
「おや。それは捨てとくね」
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