第一章。ヘラクレスの難業

1-1 後悔、先に立たず

 まずは、俺たちの初めての『探偵活動』のことから話を始めよう。


 高校入学当初、俺は疲労感に襲われていた。

 そもそも最初からこの高校はおかしかった。晴れ晴れしい入学式が終わって帰路に着くため向かった昇降口のガラス扉の向こうに見えたのは、ジャージやユニフォーム、白衣を身にまとい、満面の笑みで一年生を待ち構える長蛇の列。

 その正体は、遥か彼方の正門まで続く、部活勧誘の花道である。

 一歩そこに足を踏み入れたなら、もう大変だ(ちなみに二つしかない門のうち一つは封鎖されており、逃げられもしなかった)。


「このボールは君のためにある!」

「入る部活決めてる?」

「君、よくイケメンって言われない?」

 とにかく先輩の群れから意味も分からない怒涛の言葉を投げかけられ、ビラを手の上に置くだけでは飽き足らず鞄やら制服のポケットに突っ込まれ、俺はそれだけでへとへとになったものだ。なるほど、この東和高校は確かに評判通り、公立高校トップクラスに部活や同好会活動が盛んな学校らしい。


 昼休みにさえ、部活勧誘が続くのだから。


 午前の授業が終わった途端上級生が入れ代わり立ち代わり教室に来る状況の中、俺は午前中に早弁をすませ、昼休みになると別棟三階の図書室へ退避するのがお決まりコースになった。


「……疲れた」

 新学期早々図書室に通う生徒は少ないのだろう、ぎっしりと本が詰まった棚が並べられている空間は閑散としていた。

 これは好都合。俺はふらふらと奥の方の長机に向かい、持ってきたB5サイズのノートとシャープペンシルを机の上に置いて椅子に座る。


 そのまま机の上に肘をつき、静かな図書室の風景をぼんやりと眺めていると、視界の隅に扉を開けて入ってくる人影が見えた。


 人影は本棚の列の中に消えた後、一冊の雑誌を手に、俺の座る長机から二つほど離れた長机に座って早速雑誌を読み出した。その生徒は机にひじを突き、雑誌を顔の前に持ってきて読んでいたから、ここから読んでいる奴の顔は見えないけれど雑誌名はばっちり見える。

 雑誌の名前は、『天体ガイド』。毎月一回発行される老舗の天文雑誌だ。この学校、そういう専門雑誌も置いてくれてるのかと俺は少し感心した。

 

 ――そういや、最近プラネタリウムにも行ってないな。

 真っ暗な闇の帳に包まれ、夜空を見上げるあの空間。居ると思考が整理される、どこか静謐さを感じさせる夜空の投影。

 昔は親父がよく科学館や地元のプラネタリウムへ連れ出してくれたもんだけれど、最近はその数も減り、この都会のど真ん中ではお洒落でスタイリッシュな演出が特徴のプラネタリウムがデートスポットとして人気になってしまった。一緒に行く相手もいない俺は、いつしかあの好きだった空間から足が遠のいてしまった――。


 そんなことを考えながらノートと睨めっこすること数十分ほど。予鈴はまだ鳴らないのかと腕時計を見てみると、昼休みの終わりまではもう少しだった。早めに戻るか、と立ち上がって図書室を出る。


 ちらりと後ろを見ると、あの天文雑誌を読んでいた奴はまだ図書室に残っていた。

 後から思えば、あの時そいつの顔くらい確認しておけばよかったんだ。後悔、先に立たず。


◇◇◇◇◇

「なあ、碓氷くんってさ」

「ん?」

「プラネタリウム、好きなわけ?」

「んん?」

 その日の放課後、隣の席の奴から投げかけられた唐突な質問に、俺は首を傾げていた。そして一拍おいてから納得する。こいつ、さては見たな。

「桐山……くんだっけ。さっきの紙見ただろ」

「見たんじゃない、『見えた』ってだけ。不可抗力ってやつ」

 口の減らない奴だな。桐山涼という名のクラスメイトへの第一印象は、それだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る