第6話

 水上三佐が応接室を出た瞬間、ユリンはテーブルの上に手を着いた。


「……何をしている?」

「魔法です。日本には自分の耳が届かない場所で行われた会話を訊く術があるのは知っています。その対策ですよ」


 直後、ユリンの手にはめられた木製の指輪。

 それがヒカリゴケのような鈍い光を放った。


「……これで、会話が聞かれることはありません」


 ……会話が聞かれることはないということは、音やあるいは電波の遮断が行われているのか?

 あるいは、もっと反則的な方法だろうか?


「……そうか」


 白衣の袖に忍ばせたボイスレコーダーのスイッチをどうするべきか迷う。

 だが――、


「ええ、ご安心ください。その袖に忍ばせている道具ももはや役に立ちませんから」


 ――どうするべきか、などと心を砕く必要はなかったようだ。


「恐れ入ったな、魔法とは……それが、全て植物の力によるものなどと、我々の世界からすれば想像もできんことだ」

「いえ、全てが植物の力と言う訳ではありませんよ」

「ところで、君が知っているかは知らんがこの機械……これは周囲の音を記録し、再生できるものだ。つまり、本来ここで行われる筈だった君との会話を録音し、後程三佐をはじめとした自衛隊の皆様に聞かせることになっていた」


 袖から取り出したボイスレコーダーをテーブルへ放り投げ、口元に笑みを貼り付ける。


「記録が出来なくなったとなれば、彼らは当然こう思うだろう。聞かれてはまずい話をしていたのではないのかね、とな」

「ならばこう考えて頂きたい。聞かれてはまずい話をしている……そう思われても取り繕う必要がないまでに、こちらは段階を進めているのだと」

「……ほう?」


 露見さえしなければ、何かを企んでいるということがバレてもいいということか。


「やれやれ」


 ソファに体を預け、肩の力を抜いた。


「わかった。腹の探り合いはもうよそう。私は政治屋ではなく植物学者だ。そして、今は従弟を探しに行かせてさえもらえるのなら文句はない。君は……いや、君達は私に何をさせたいのだ? リゼウス王国は何を企んでいる。侵略戦争でも始めたいのか?」


軽口を叩いてみせると、ユリンは「まさか」と言って笑った。


「我々の目的はただ一つ。日本の切除です」

「切除だと?」

「はい。リゼウス王国と日本……二つの世界を繋ぐこの異空間。庭園からあなた方の国を切り離し、秩序を取り戻します」

「……秩序?」


 ユリンの言い回しが引っ掛かった。

 国内に侵入されているのならばともかく、庭園という空間は別次元に切り離された出島だ。

 別世界と繋がりができ、行き来できるとなれば論争も産まれようが……一体、彼らは何の秩序が乱れているというのだ?

 しかも、彼らは日本の切除……つまり、広大な世界との繋がりの排除を求めている。

 日本にとってリゼウス王国の存在する世界が未開拓のフロンティアであるように、あちらの世界にとっても貿易を行うことでなんらかの利益は得られる筈だが……。


「まあ、いい。枕詞は十分だ。何が望みだ?」

「そうですね。まずは情報です。あなたが知りうる限りの」

「……言っておくが、私は軍人でもなければ軍関係者でもない。世話になった学者から共同調査員への推薦を受けてここへ入り込めた。民間組織の一研究者だ。できないことはできない。魚に空を飛べと言っても無意味だ」


 私はあくまで植物の研究者だ。

 知識と能力には偏りがあり、できることは限られている。

 開き直って『私にできることをやらせてみろ』という態度で臨むと……、


「ならば、植物学者としてのあなたに出来ることを望みましょう」


 ……思ったよりも、潔くというか、最初からそういうつもりであったかのように答えた。


「共同調査団にいたのなら、あなたも知っているだろう。今、わが国ではあなた方の国の植物がこちらの世界にまで生存権を広げようとしている。その駆除と対策のため、お力を貸していただきたい」


 思わず、首を捻ってしまった。


「それだけか?」

「……言葉が足りなかったようですね。向坂博士、我が国はあなたを引き抜きたいと言ってるんですよ。優秀な植物学者をね」


 ……引き抜きだと?

 頭に疑問が浮かぶのは一瞬――何故私を? と考えた直後に、一つの予想を立てる。


「……一つ、質問だ」

「なんでしょう? 君は……いや、君達は、このようにして科学者や研究者、あるいはそうだな自衛隊の参謀、技術者等を――引き抜こうとしたのは初めてではないね?」


 ユリンは口元に笑みを浮かべるなり、「なぜそのように思われたのです?」とさえずった。


「別に、大して頭は使っていないよ。ただ、君はリゼウス王国と日本の切除を望むという。秩序とやらのために。だが、目の前に広大な土地が現れて欲しがらない国家はないだろう。誰かのお手付きになっていたとしても、ほしがるのが自然だ。仮に君達が日本の侵略を恐れていたとして自衛隊の侵入を防ぐために世界を閉ざしたいと言うのなら別だが……ずいぶん魔法技術に自信を持っているようだしな。私自身、それで痛い目を見た。科学技術だけで君達を圧倒するのは難しいだろう。ならば、対応な同名を結び交易をし、君達の世界の他国に対して優位を保ちたいと考える筈だ。魔法技術と科学技術……どちらも保有できればそれは強みになる。それくらい誰だって考えそうなことだ。だが、その優位性を捨てねばならないことが君達の世界で起きている。それが何なのかはわからないが、よほど深刻なことなのだろう」


 ユリンの表情は崩れない。

 彼は信憑性のない噂話を聞き流すように私の予想に耳を傾けている。


「……君達は、我々の世界との関りを絶ち切る前にせめて情報だけは集めようとしているのではないか? 自分達の知らない地下資源。発見されていない植物や動物の活用方法。そして、未開拓の科学技術。それらを知る技術者や知識人を収集するだけ収集してから、世界との関りを絶つ気なのだろう?」


 ユリンは涼しい顔をしたまま、「だとして、どうしますか?」とのたまった。


「……ふんっ」


 私は一介の植物学者だ。

 彼らの目的を知った所で何もできない。

 それに、この両国共同の調査団。

 これが、リゼウス王国が知識人や技術者を見定めるための場として利用し、他の研究者や技術者に声を掛けているのだとしたら……思惑に気付いているのは、私が初めてではないだろう。

 ならば、いちいち私が気にすることではない。


「別に、どうもしないさ。私は植物の研究が出来て、今はこの足で従弟を探しに行けるのならば何でもいい。ただし、桐青の捜索にはきっちりと全力を出してもらうぞ!」


 不敵な笑みを浮かべながら、ユリンは「無論です」と声を紡いだ。


「ようこそ、向坂博士。我々リゼウス王国はあなたのような優秀な研究者を歓迎いたします」

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