魔食者アジュリットのレシピ(2)

 日々、大勢の冒険者が集まってくるマギアブルクには、たくさんの施設がある。

 フィヌーユ・ブランシルが住み込みで働いている宿屋である『勇敢なる剣亭』も、マギアブルクで営業を続ける冒険者向けの施設の一つだ。


 マギアブルクの町を代表する宿泊施設の一つであり、そこそこの規模がある宿内にはさまざまな冒険者が泊まっている。また、この宿ができたきっかけが流れの冒険者が傷ついた仲間や疲れ切った人々を連れてきたということから、何らかの理由で行き場を失った子供や困っている旅人を迎え入れることも多い。

 日頃からそのような空気が出来上がっていたからだろう。ゴミ出しを終えたフィヌーユが店の前で出会った少女を連れて店内へ戻っても、嫌な顔をする人物は誰一人いなかった。


「お? なんだなんだフィヌーユ。ゴミ出しに行かせたら綺麗なお嬢さんを連れてきたりして。さては恋人か?」


 カウンターの向こう側で酒の準備をしていた店主が一瞬目を丸くし、けれどすぐにニヤニヤした笑みへ切り替えてフィヌーユへ声をかけてくる。

 一緒にいる少女は一瞬驚いたように目を丸くして、少しだけフィヌーユの後ろへと隠れるように身を縮こめた。

 居心地が悪そうな、なんだか落ち着かなさそうな彼女の様子を目にし、フィヌーユはすかさずマスターへ反論する。


「違いますよ! うちの前で困ってるみたいだから連れてきたんです! お客さんですよお客さん!」


 初対面の男に連れられて店内に足を踏み入れることになっただけでも居心地が悪いだろうに、恋人疑惑までかけられたらますます居心地が悪くなるに違いない。

 冗談だとはわかっているが、少し強めに疑惑を否定すると、マスターはからからと豪快に笑った。


「それくらいここにいる全員がわかってるっての! なあお前ら」


 そういいながら、マスターはカウンター席に座っている宿泊客の一人へジョッキに注いだビールを提供する。

 彼の言葉に反応し、酒場に集まっている冒険者や宿泊客たちの間でからから笑い声があがった。


「そうだなぁ。フィヌ坊は仕事と修行一筋すぎるし鈍いもんなぁ。女の子からのアプローチにも気づかなかったってこともあったし」

「過去の傷に塩を塗り込むのはやめてくれませんかね!? 飲みすぎですよお冷どうぞ!」


 素早い動きでカウンターへ駆け寄り、ピッチャーをひっつかんで水を注いだグラスを勢いよく常連客の一人の前に置いた。

 深く息を吐き出してから、フィヌーユは店の入り口付近で置いてけぼりになっている少女へと視線を向ける。


「ごめんね、騒がしくて。ほら、こっちにおいで。何か用意するからさ」

「あ……は、はい」


 少女へそう声をかけ、手招きも一緒にする。

 入り口付近で少々不安そうにしていた少女だったが、フィヌーユの手招きに誘われ、おずおずと一歩を踏み出した。そのまま二歩目も踏み出し、フィヌーユの傍へ向かう。

 周囲の冒険者や宿泊客から向けられる好奇の目線が落ち着かなかったのか、無事にフィヌーユの傍へ辿り着くとわずかに息を吐いた。

 よく考えれば、フィヌーユと出会ったときからずっと外套のフードをかぶっているのだ。人の視線にさらされるのが苦手なのだとしたら、少々酷なことをしてしまった。


(俺もまだまだだな)


 心の中で自分自身へ苦笑を浮かべつつ、フィヌーユはカウンター席の一つへ少女を誘導し、座らせる。

 そして、すかさずカウンターの向こう側へ移動して彼女の目の前に立った。


「さて、と。急に連れてきてごめんね。どうしても放っておけなくてさ」


 一言そう前置きをしてから、フィヌーユは自分の胸を軽く叩く。


「俺はフィヌーユ・ブランシル。ここで修行をしてる料理人なんだ」


 怪しい者ではないことを示すため、フィヌーユは自分の名前を名乗る。

 すると、少女は一回、二回と瞬きをしてまじまじとフィヌーユを見つめてきた。


「料理人……」

「そう。マスターに比べたらまだまだだけど、美味いものを作れるっていう自信はあるから。……さ、何が食べたい?」

「え」


 フィヌーユが問いかけた瞬間、少女がぽかんとした顔をする。


「なんでもいいよ、がっつりしたものでも甘いものでも。もちろんスープでもいい。君の食べたいものは何?」

「え……け、けど、でも、わたし、お金持ってないので……お支払いできません。すみません」

「いいのいいの。気にしないで。俺は君が飢えてるほうが嫌だし、マスターも気にしないからさ」


 ね? とフィヌーユはマスターを見る。

 ここ、勇敢なる剣亭を切り盛りするマスターは、飢えている子供を目の前にして首を横に振るような男ではない。フィヌーユが彼の傍で料理人としての修行をしている途中、今のように飢えた子供がここへ連れてこられることは何度かあった。

 だが、その中でマスターが一度も首を横に振ったことはない。無償で料理を提供し、飢えた子供の腹を満たす――勇敢なる剣亭のマスターはそういう男だ。

 フィヌーユの予想どおり、マスターはにかっと快活な笑みを少女へ向けて腕まくりをする。


「ああ、こいつの言うとおり。お嬢ちゃん、見たとこ旅人だろ」

「まあ……その……確かに、旅人ですけど……」


 小さく頷きながら言葉を返す少女の顔には、はっきりとした困惑の色が浮かんでいる。

 対するマスターは腕組みをし、軽くため息をついてから口を開いた。


「旅人はちゃんと食わねぇと身体が持たないぞ。町の外には魔獣がうようよしてるし、旅人も冒険者ほどじゃねぇが危険と隣合わせだ。食べれるときにきちんと食べる、これが長く旅を続ける一番のコツだ」


 ってことで、金のことは気にせずに食べたいもんを教えてくれや。

 最後にそう付け加え、マスターは再度にんまりと少女へ笑みを向ける。

 少女はぽかんとした顔をしていたが、フィヌーユとマスターが口にしたことが本当だと判断したのだろう。一瞬だけ泣きそうに表情を歪めたあと、フィヌーユとマスターへ深々と頭を下げた。


「すみません、ありがとうございます……本当に……」

「だから気にしないで。大丈夫だよ、大丈夫。……さて、と」


 片手をひらひらとさせて笑顔を浮かべたあと、フィヌーユは少女を見つめながら頬杖をつく。

 ボロボロのフードの下から見える白い髪に赤い目。頬に浮かぶ花のような形をした不思議な痣。神秘的な雰囲気をまとう彼女は、はたして何を食べたいと言うのだろうか。

 内心楽しみにしながらオーダーを待つフィヌーユの目の前で、少女がきょろきょろと周囲を見渡す。自分以外の利用客が何を注文しているのか確認していたが、ふと店の一角へ目を向けた。


(何があったっけ、そっち側)


 フィヌーユも少女の視線につられ、彼女が見つめる方向へ視線を向けた。

 だが、彼女が見つめる先にあったものが見えた瞬間、フィヌーユの表情がわずかに引きつった。

 少女の視線の先――カウンターの向こう側に設置された調理台。その上に乗せられた、数分前に失敗した新作料理。見た目だけは鶏肉のソテーだが、味が食べられないほどに悪かった失敗作。

 なんだか嫌な予感がし、フィヌーユは制止の声をあげるために口を開く。

 だが、フィヌーユが声を発するよりも早く、少女の声が空気を震わせた。

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