魔食者アジュリットのレシピ(3)

「あれが食べたいです」


 カウンターの奥に見えた調理台と思わしき台の上に置かれていた、鶏肉のソテーを思わせる料理。

 アジュリットが指差してその料理が食べたいと言った瞬間、目の前に立つフィヌーユと名乗った青年の表情がわずかに引きつった。

 何かまずいことを言ってしまったのかと不安になるが、アジュリットが強く食べたいと思ったのはあの料理だ。焼かれた鶏肉と非常に似た香りを漂わせる――けれど、鶏肉とはほんの少し違った香りがある料理。


 どうして冒険者向けの施設にあるのかわからないが、あの料理はアジュリットが食べたいと呟いていたコカトリスの――魔獣の肉を使った料理だ。

 他の料理を注文したほうがいいのだろうが、食べたいと思っていたものが目の前にある。食べられないだろうと諦めていたものを口にできるかもしれないと思ったら、もうそれしか見えなくなった。


「あー……あれは……その……」


 フィヌーユがなんともいえない顔をして、視線をあちらこちらへとさまよわせる。

 ちらりとマスターにも視線を向けてみたが、彼もまた、なんともいえない顔で頭をがしがしとかいている。

 二人の反応から、あれは客に出すものではないと予想ができた。

 だが、今アジュリットが欲しているのはあの料理だ。どうしてもあれが食べたくて仕方がないのだ。あれしか食べたくないといっても過言ではないほどに。

 なんともいえない顔で言葉を濁すフィヌーユとマスターのかわりに、近寄ってきた宿泊客の一人がアジュリットへ声をかける。


「なんだ嬢ちゃん、あそこにある料理が食いたいのか? やめとけやめとけ、あれぁまともに食える味じゃねぇぞ」


 こちらに声をかけられるとは思わず、アジュリットの肩がはねた。

 ぱっとそちらへ振り向くと、テーブル席に座っている男の宿泊客がビールの入ったジョッキを手に、アジュリットたちを見ていた。

 小さく深呼吸をしてから、アジュリットは宿泊客へ言葉を返す。


「口にしたことがあるんですか?」

「ああ。マスターとフィヌ坊が取り組んでいる新メニューの試作品なんだけどな、見た目は鶏肉なのに妙に苦くて食えたもんじゃねぇ。あれを食うのはオススメしねぇ」


 そういって、宿泊客は顔をしかめて手をひらひら振った。

 きっと思い出すだけでも苦い顔になるくらい、ひどい味だったのだろう――そう予想できる反応と表情だ。

 しかし、そういわれて大人しく引き下がるほど今のアジュリットは大人しくない。


「でも、わたし、あの料理がどうしても食べたいんです?」

「他にももっと美味いもんを作ってもらえるのにか?」

「はい」


 アジュリットの返事を聞き、宿泊客が目を丸くした。

 店主と料理人が渋い反応をしている。宿泊客からもまずいという話を聞いているにも関わらず、食べたいと主張するとは予想外だったのかもしれない。

 アジュリットからすれば、ずっと食べたいと思っていたものを口にできるチャンスのため、絶対に逃したくないという思いがあるからなのだが。

 宿泊客が顎をさすり、何やら思考を巡らせる。やがてフィヌーユとマスターへ視線を向けて口を開く。


「いいんじゃねぇか? マスター、フィヌ坊。嬢ちゃんもこういってるし出してやったら」

「ええ……。でも、エリヤさんも食べたからわかるでしょ? あの味。さすがに食べさせるわけには……」

「一度食ってもらったほうがわかるだろ、あれは。そりゃあマスターとフィヌ坊からしたら複雑かもしれないけど、あれは食べないとわかんねぇまずさだって」


 一度食ってもらって、納得してもらったほうがいいだろ。そういって、宿泊客は片手をひらひらと動かした。

 普通の人間ならそれほどまでにひどい味がするのかと考えそうだが、アジュリットをひるませる要素にはならない。


(多分、魔素の除去が十分にできてないんだろうな)


 魔獣の肉を食べるときは、魔素の除去が必須になる。しかし、魔獣の肉は食べられないとされている今では魔素の取り除き方を知っている人間はほとんどいない。そのせいで、見た目はきちんとした料理になっているのに食べられないほどの味になってしまっているのだろう。

 考えるアジュリットの目の前で、フィヌーユとマスターが顔を見合わせている。

 やがて宿泊客の言葉に納得したのか、フィヌーユがため息をついてから調理台に置かれていた一皿を手にとった。


「……無理して食べなくてもいいからな、本当に」


 一言そういってから、フィヌーユが箱型の魔法道具に鶏肉のソテーを入れ、魔力を注ぐ。赤い魔法石が薄く発光してから数分後、魔法道具がチンと音をたてた。

 フィヌーユがもう一度鶏肉のソテーを取り出すときには冷めていたはずの料理から再び湯気が立ち上っており、食欲を誘う香ばしい香りも漂わせていた。

 ごくり。自然とアジュリットの食欲も自然と刺激され、生唾を飲んだ。


「はい。新メニューの試作品……の失敗作だ」

「新メニューの試作品なんですか?」


 魔獣の肉を新メニューに組み込もうとするとは。それも、魔食者の一族ではない普通の人が。

 驚きのあまりアジュリットが問いかければ、フィヌーユが小さく頷く。


「この辺り、最近コカトリスの目撃情報が増えてるんだ。冒険者に向けた討伐依頼も結構出てるんだけど、魔法道具に加工できる部位だけ採取して残りを捨てる……っていう状態になってるからさ。なんかもったいないと感じて」

「で、俺とフィヌーユでコカトリスの肉を有効活用できないかと思ったところまではよかったんだけどなぁ」

「なるほど……それで、このソテーを……」


 現在、魔獣を討伐したあとに必要とされる素材は一部分だけだ。肝心の肉部分は廃棄されてしまうため、アジュリットたち魔食者の一族からすると非常にもったいないことをしている。

 魔獣の一部分だけでなく肉も食べられるようになれば、魔獣一匹をほとんど無駄にせずに済む。町の外に廃棄された魔獣の肉に誘われ、別の場所に生息している魔獣が人里付近まで移動してくる事態も防ぐことができる。

 実際、異なる場所に生息しているはずの魔獣が人里付近まで下りてくるのは最近問題になっており、不安に思う旅人や行商人も多い。原因が廃棄された魔獣の肉であれば、魔獣の生息域を変えてしまう原因を取り除けるため、メリットが多い。


「まあ、本当にひどい味だからさ。無理って思ったら食べなくていいからね」

「はい。わがままを言ってしまってすみません。ありがとうございます」


 フィヌーユへ感謝の言葉を口にし、アジュリットはナイフとフォークを手にとった。


「わたしたちの心と身体を支える糧となってくれた命と恵みに深い感謝を捧げます。――いただきます」


 魔食者の一族の間で伝えられている祈りの言葉を口にしてから、アジュリットは鶏肉のソテーへナイフを入れた。

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