魔食者アジュリットのレシピ

神無月もなか

魔食者アジュリットのレシピ(1)

 お腹がすいた。

 アジュリット・アルカーナティアの一日には、どんな時間にもその一言がつきまとう。


 聞こえてくる賑やかな人々の声と明確に感じる空腹感が目覚ましになり、瞼がゆっくりと開いていく。

 まず視界に飛び込んできたのは、すっかり見慣れてしまった薄暗い路地の壁。声と光が差し込んでくる方向へと目を向ければ、笑い合いながら大通りを歩く冒険者らしき人々の姿が見えた。


 夜にも関わらず、大勢の人たちで賑わう大通りは、今滞在しているこの町がいかに活気に満ち溢れた場所であるのか、はっきり伝えている。これまでアジュリットが旅をする中で訪れた町の中にも活気に溢れたところはあったが、この町は特にそれが強いように感じた。

 繰り返される魔獣の出現とその被害にも負けず、魔獣から採取される素材を加工して発展してきた町――マギアブルク。冒険者と彼、彼女らを支える人々がたくましく生きるこの町では、飢える者も少ないだろう。


「……お腹、すいたな」


 けれど、外からこの町へ流れてきた旅人であるアジュリットは例外だ。

 空腹を訴え続ける腹をさすり、つい先ほども感じたことを小さな声で呟いた。

 やっとの思いでここ、魔法加工品と冒険者たちの町『マギアブルク』に到着したまではよかった。しかし、前に滞在していた町からマギアブルクまでの道のりは非常に険しく、資金はすっかり底をついてしまった。おかげで町に到着しても宿を取るのが難しく、こうして路地の目立たないところを選んで野宿をしなければならなくなってしまった。


(最後に魔獣を食べたとき、なんとか採取した素材はあるけど……昼間、お店に持っていっても状態が悪いからって買い取ってもらえなかったし……)


 最後に食べた魔獣の味が口内によみがえり、腹の虫が再び主張する。

 路地から切り取られた夜空を見上げ、アジュリットは深いため息を一つついた。


 一般的に、魔獣の肉は魔素と呼ばれる物質が多く含まれており、人間が口にすることはできないとされている。

 しかし、その魔素に対してどの種族よりも高い耐性を持ち、魔獣の肉も問題なく口にすることができる一族がいる――それが、アジュリットたち魔食者の一族だ。


 魔食者の血を引く者は皆身体のどこかに花を思わせる特徴的な痣を生まれつき持っており、そこで普通の人間か魔食者の血を引く者なのかを見分けることができる。

 かつては人間を始めとした他種族たちと共存していたが、次第に気味悪がられるようになっていき、現在ではほとんどが姿を隠して暮らしていくようになってしまった。

 アジュリットが生まれたアルカーナティア家も例外ではなく、アジュリットも両親からの言いつけを守り、一つの場所へあまりとどまらず流れるように旅を続けている。


(……魔食者の血を引いてなければ、もしくは痣がなければ、こんな苦労をせずに生きることもできたかもしれないのに)


 頬に浮かぶ花の痣に爪をたて、アジュリットは唇を真横に引き結んだ。

 正体を隠しながら旅をしている今でも、なんとか己を生かしてくれている血。

 しかし、アジュリットが正体や姿をできるだけ隠しながら旅をしなくてはならない最大の原因でもある血。

 己を生かすものであり、けれど苦しい旅を強いられる原因でもある魔食者の血は、アジュリットにとって祝福であり呪いでもある。

 自分の生まれを呪う言葉が何度も頭に浮かぶが、己の力ではどうすることもできない部分を呪っても腹が満たされるわけではない。

 もう一度腹の虫が控えめに主張し、アジュリットは深いため息をついた。


「コカトリスが食べたいなぁ……」


 声に出せば余計に空腹が増すとわかっているが、どうしても口に出さずにはいられない。

 身にまとった外套のフードを深くかぶり直してから立ち上がる。少しでも顔を隠そうとしながら、アジュリットは路地から大通りへと出て、持っている素材を少しでもいいから買い取ってくれる店を探すために歩き始めた。

 たくさんの店や施設が集まっているマギアブルクの町は、夜だというのに賑わいが消えることはない。特に宿屋や酒場はこの時間でも声が絶えず聞こえてきており、前を通りかかるだけで大勢の人の声がアジュリットの鼓膜を震わせた。

 そのうちの一つ。勇敢なる剣亭という看板が立てられた大きな宿屋からの声が気になり、アジュリットは思わず足を止めた。


「――……」


 窓から溢れてくる温かな光。

 絶えず聞こえてくる人々が笑い合う声。

 そして、かすかに感じる食欲を誘う料理の香り。

 安心して眠れる場所もなければ、資金がないばかりに食べるものにもありつけない今のアジュリットにとって、それらは非常に羨ましく映るものだった。


「……いいなぁ」


 思わずそんな言葉が唇からこぼれた、そのときだった。


 かたん。きぃ。


「……あれ?」

「!」


 ふいに、アジュリットの耳に届いた音と声。

 ぼんやりと宿の明かりを見つめていた意識が引き戻され、アジュリットは慌てて声と音が聞こえたほうへ視線を向けた。

 音の発生源は宿の扉。声の主は、ちょうどゴミ出しのために外へ出てきた青年だった。

 夜闇を溶かした色合いの髪に深い青の瞳。手にはおそらくゴミが入っていると思われる大きめの袋を持っており、ぽかんとした顔でアジュリットを見ている。

 互いの姿を見つめていたのはほんの数分。けれど、アジュリットにとっては長く感じられた時間。

 少しの空白のあと、先に動いたのは青年のほうだった。


「お客さん? そんなところでどうしたの、営業中だから別に入ってもいいよ」

「あ、いえ、その……お客さん、じゃ、なくて……」


 はっと我に返ったあと、アジュリットはもごもごと言葉につまりながらも返事をする。

 こちらを見つめる青年の目は純粋に不思議そうで、アジュリットのことを客の一人だと考えているのだろうと予想できる。

 しかし、当のアジュリットは資金が尽きた旅人。ほぼ無一文に近い状態だ。払うべき金を持たない状態では、客だという言葉に頷くことはできない。

 なんと答えれば怪しまれずに済むか考えているアジュリットだったが、言葉を発するよりも早く腹の虫が声をあげた。


 ぐうぅ。


 間が抜けたような、聞く者の気が抜けそうな音が夜の空気に混じる。

 とっさに腹を押さえるアジュリットだったが、すでに鳴り響いたあとではどうすることもできない。

 顔へ一気に熱が集まるのを感じ、アジュリットは急いで青年の前から立ち去るために駆け出した。


「あ、待って!」


 青年の手が伸び、アジュリットの腕を掴む。

 それに伴い、アジュリットの足が自然と止まり、ぐんと後ろへ軽く引っ張られるような感覚がした。

 恥ずかしい一心でとにかく逃げ出したくて、アジュリットは掴まれた腕を振りほどこうとするが、簡単には離れてくれそうにない。

 眉間にシワを寄せ、アジュリットが青年へと声をあげようとした、その瞬間だった。


「お腹すいてるのなら、うちで食べていかない!?」

「……へ?」


 発するはずだった言葉は飲み込まれ、アジュリットの顔がぽかんとした顔になる。

 全く予想していなかった展開を目の前にし、ただ目を丸くするしかなかった。

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