オシマイ

「まったく、とんでもないことになっちまったなぁ」


 幕田間が帰宅の支度をしていると、近づいてきた式遊に声をかけられた。片手には鞄をげている。


「課長もあがりですか?」


「いや、これからまた警察署だ。蟹流のやつ、身寄りがないらしくてな。調べれば遠縁の親戚くらいは見つかるだろうが、たとえ見つかったとしても事情が事情だ。よく知らない人間のために足を運んでくれるとも思えん。まぁ、身元引受人ってわけでもないし、話を聞くだけなら上司の俺でも充分なんだろ」


「大変ですね」


 幕田間も鞄を持つと式遊と連れ立ってオフィスを出た。




 帰宅ラッシュの時間帯にも関わらず、駅へと向かう人々の姿はまばらだった。そのせいか、普段から見慣れている景色のはずなのに、まるで知らない町に来てしまったかのようにも思える。


「まさか本当に『知りませんでした』じゃ済まされない世の中になっちまうとはな」


「そうですね……」二日前は他人事と思って適当に打った相槌だったが、今の幕田間にはそんな余裕がないとわかる。いつ降りかかるとも知れない厄災に、常に付け狙われているのではないかといった不安さえ滲んでいる。


「なんだか奇妙じゃないか?」


「何がですか?」


「警察の対応の速さがだよ。半日ですでに十万人近くが逮捕されてるんだぞ? それもハラスメントの容疑者だけでだ。被害者からの通報や被害届だけじゃあ、いくらなんでもそこまで迅速に対応するのは不可能だろう?」


「でも、ニュースでは確か、万単位の捜査員を動員したとか言っていたような。それなら、仮に一万人の捜査員がいたとして、一人当たり十人も逮捕すれば事は足りますよ」


「数字だけ見ればな。実際の動きに置き換えてみろ。警察に通報が入る。現場に移動する。容疑者を逮捕する。これだけで何分かかると思ってるんだ? 逮捕だってすんなりいくとは限らない。抵抗するやつもいれば、逃げるやつだっているはずだ」


 式遊の言うことはもっともだ。一ヶ所に集まっている数百人からを一斉に逮捕、などという簡単な話ではない。考えられるのは、ハラスメントが発生しそうな場所やその付近にあらかじめ複数の警官を配置しておき、事件発生と見るや即座に飛び出して現行犯逮捕といった方法くらいか。


 幕田間は周囲を見回してから、「アレ、じゃないですかね」とあちこちに設置されている防犯カメラを指差した。「最近のは音声も拾えるようですし」


「そうは言っても、おまえ、犯行の予測でもできなきゃ結局は同じことじゃないか。カメラで犯行の現場を押さえたところで、警官が到着する前に逃げられたら終わりだ。スマホに発信機や盗聴器でもついてりゃ別だろうがな」


「え?」


「だから、発信機や盗聴器だよ。よく探偵モノのドラマや映画でやってるだろ?」


 現在普及しているスマホのほとんどにはGPS機能が搭載されている。その位置情報からスマホの持ち主の居場所は特定可能だ。たとえGPS機能をオフにしていたとしても、他の特定のアプリからでもスマホを追跡できると聞いたことがある。


 式遊の言うように、一般に公開されていないだけで、ひょっとしたら犯行予測が可能な技術が開発されており、すでに警察のうちで秘密裏に用いられている可能性も捨てきれない。あらゆる新技術は軍事利用から生まれ、現代の生活のなかに生かされていると何かで読んだ。


 犯行予測とGPS、それから町中にある防犯カメラを使えば、捜査員の数に物を言わせて半日で十万人近い容疑者を捕まえることも可能なのではないか。


「課長。盗聴器はまだしも、発信機の代わりになる技術はもう一般に浸透し……」


「ちょっとよろしいですか?」


 背後から声をかけられ、幕田間と式遊が足を止めて振り返ると、制服姿の警官二人が近づいてくるところだった。


「何でしょう?」


「あなたがた二人に、国家権力不信ハラスメントの容疑がかけられています」


 幕田間と式遊は互いの顔を見合わせた。


「あの……失礼ですが、何かの間違いでは? 我々は何も……」


「お話は署で伺います。ご同行願います」


 困惑気味に口を開いた式遊の言葉を警官の一人が遮り、もう一人が幕田間の腕を取って押さえた。


「ちょ、何するんですか! 放してください」


「抵抗すると公務執行妨害とみなしますよ」腕を振りほどこうとする幕田間に警官が告げる。


「待ってください。まずは私たちの話を」努めて冷静に説明しようとする式遊を無視し、「話は署で聞きます」と警官が腕を回す。


「一体何だと言うんだ! 証拠もなしに、一般市民にこんな横暴を働いて許されるわけがない! あんたらこそ職権濫用じゃないか!」


 式遊が激昂して大声を上げると、警官二人は目配せを交わして頷き合うや、「午後五時四十四分、四十代前後の会社員らしき男を大声ハラスメントおよびエモーショナル・ハラスメントの現行犯で逮捕」と宣言して手錠を取り出した。


「な……そんなバカな……」両手首にかけられた手錠を見下ろし、式遊が力なく呟いた。


「ちょっと待ってくださいよ! エモーショナル・ハラスメントって何ですか⁉︎」感情に任せて声を張り上げてしまった幕田間は、瞬時に己のあやまちに気づくなり声を落として先を続けた。「だいたい、ハラスメントってのは職場や学校での嫌がらせ行為のことでしょう? こんな公共の場で適用されるようなものじゃ……」


「あのねぇ、いいですか。公共の場というのはね、我々警官の職場でもあるんですよ」


 幕田間は警官のセリフに言葉を失くし、茫然と彼の顔を見つめた。


「午後五時四十六分、二十代後半から三十代前半の会社員らしき男を大声ハラスメントおよびエモーショナル・ハラスメントの現行犯で逮捕」




 裁判所の廊下に法廷から退出した幕田間の声が響く。


「俺は何もやっていない! 俺は無実なんだ! もっとちゃんと調べてくれ!」


「それは無罪主張ハラスメントにあたる。充分な証拠があるにも関わらず、裁判官の判決に反して過剰に無罪を主張する逸脱行為だ。むやみに罪を重ねるな、幕田間」


 付き添いの刑務官の言葉を聞き、幕田間は怯えたような顔を彼に向けた。


「ちが、違うんです! 今のはそういうのじゃなくて……俺はただ」


「今度は前言撤回ハラスメントか。おまえ、拘置所に戻るまでに一体どれだけ罪を増やすつもりだ?」


 幕田間は下顎を震わせるだけで、それ以上はもう口を開こうとはしなかった。




                                 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハラスメント 混沌加速装置 @Chaos-Accelerator

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説