アクヘン

 九尾に言われるがままスマホでニュースサイトを開いた幕田間は、トップに上がっている『ハラスメント行為 厳罰化へ』という動画を再生した。投稿されたのは三十分ほど前だが、再生数はすでに五百万を超えている。


「昨今、職場や学校などで横行するハラスメント、いわゆる嫌がらせ行為の激化にともない、政府は昨夜開かれた臨時閣議において、ハラスメントによる刑事罰の厳罰化を決定しました。これにより、政府からの要請を受けた警察は、本日未明から万単位の捜査員を動員して捜査にあたっており、すでに全国各地で多くの逮捕者が出ている模様です。なお、処罰の対象となるハラスメントについては判断が難しく、現状では被害者の証言に頼る部分が大きいとのことです。一方、政府の性急な決定に対しては反対派の声も多数上がっており、現場では加害者の家族らによる暴動も起きているとのことで、政府および警察関係者らによる早急さっきゅうな対応が望まれています」


 動画の再生が終わって画面が暗転し、幕田間は顔を上げて九尾を見た。「何だよ……これ」


「知るかよ」九尾はまだスマホを見つめている。


「なんで、こんな急に……てか、この動画が言ってることが事実なら、被害者の証言だけで逮捕されるってことだよな? そんな理不尽なことってあるかよ」


「だから知らねぇって」


「これ、誰かが作ったフェイクニュースってことは……」言いながら動画の提供元のクレジットを確認すると、全国紙で有名な大手新聞社の名が記載されていた。いたずらや冗談ではないらしい。さっきの園楚崎の異常な怯えようは、これが原因だったのだろう。


「マジかよ……なぁ九尾、さっきから何見てるんだ?」


 九尾はスマホをいじりながら「SNSでの反応」と答え、「友だちが逮捕されたとか、家に警察が来て父親が連れてかれたとか。とんでもねぇことになってる」と続けた。


 幕田間がSNSを開いたところで、オフィスのドアが開いて「遅くなった。すまない」と式遊が入ってきた。業務開始時間のギリギリに来た幕田間は、後ろめたさから式遊のデスクを見ておらず、それまで彼がいないことに気づいていなかった。


「課長。例のニュースは……」男性社員の一人が声をかける。


「ああ、もちろん知ってる」式遊はオフィスを横切って自分のデスクへと向かいつつ、「遅れたのはそれ関連のせいだ」と全員に聞こえるように言った。


「あの、それってもしかして……」女性社員が何事かを言いかけたのを、「今から話す」と式遊が手を挙げて制した。


 式遊は自分のデスクの前に立つと全員のほうへと向き直り、大きな溜め息をひとつ吐いてから口を開いた。


「蟹流と嶋々が逮捕された」


 オフィスのあちこちからさざなみのようなざわめきが起きる。それらには、案の定という響きと意外であるという両極のものが混ざっていた。見れば二人のデスクにはどちらの姿もない。


「課長。蟹流はまだしも、どうして嶋々さんまで?」先ほどの男性社員が疑念を口にする。オフィスの全員が同じ疑問を抱いているに違いない。


 式遊は頷くと、「警察から連絡があってな。それで署まで話を聞きに行っていたんだが」と言葉を切り、社員たちの顔を見回し「嶋々にも軽犯罪の容疑がかけられているという」と続けた。


 再びオフィスがざわつく。


「厳密には、嶋々の場合はまだ重要参考人の段階なんだが、嫌疑が固まり次第、逮捕される可能性が高いそうだ」


「嶋々さんには何の容疑が?」幕田間の席からは離れた場所で声が上がった。


「それがな……」式遊は顔を歪めて言い淀んだ。「彼女には、コスメティック・バイオレンスの疑いがあるらしい」


「課長。それは嶋々さんのメイクに難癖をつけた、蟹流さんのほうの容疑じゃないんですか?」若い女性社員が発言した。


「いや、蟹流の容疑はコスメティック・ハラスメントだそうだ。コスメティック・バイオレンスというのは、化粧品や香水のつけすぎで周囲が不快に感じるほどの香りを撒き散らすことらしい。警察はスメル・ハラスメントのひとつだとも言っていた」


「ちょっと待ってください」幕田間が思わず声を上げる。「あまりにもタイミングが良すぎませんか? 昨日の件があるし、おそらく蟹流のことは嶋々さんが被害届を出したんでしょうけど、嶋々さんの化粧に関しては今まで誰も指摘なんて……」


 幕田間は自分で言っているうちにあることに気づいて言葉を止めた。


「蟹流が被害届を出したそうだ。それよりも前に嶋々から被害届が出されていたらしくてな。蟹流は被害届を出しに警察署へおもむいたところを逮捕されたようだ」


「蟹流の刑罰の重さはどうなんですか?」九尾が質問した。


「まだ裁判前だから確定ではないらしいが、おそらく執行猶予なしの懲役刑になるだろうという話だった。罰金も科せられるという」


「それじゃあ蟹流の処遇は……」


「すぐに解雇はできないからな。上層部とも話してきたんだが、社の意向としては自主的に退職を促すことになる」


 知りたいことがなくなったのか、それともこれ以上何かを知ろうとする気力ががれたのか、急に誰からも声が上がらなくなった。ひょっとすると皆、これまでの自分の言動を振り返り、誰かから被害届を出されるような行為がなかったかと、必死に記憶を辿っているのかもしれない。


「話は以上だ。皆、業務に戻ってくれ」


 式遊が話を終えて席に腰を下ろすなり、数人の女性社員が彼のもとへと集まった。彼女たちが何を話しているのか、幕田間のところまでは聞こえてこなかった。

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