第5話 桜梅荘の蜥蜴人間 結



東の空が藤色に染まりだした頃、桜梅荘の屋上の扉がガチャリと開いた。


「やぁ、待ってたよ」


俺がそう声をかけると、蜥蜴人間リザードマンが慌ててこっちを見た。



「よっと」

俺は扉の上のフロアから飛び降り、干されている女物の洗濯物に目もくれずを見た。



「この建物の部屋って大きな窓とベランダがないんだね。チラッと森さんの部屋を覗いても、曇りガラスの小さい窓が天井付近にあるだけ。

 防犯的にベランダが無い女子寮とかもあるにはなるんだけど、こんな身近にあったとはね。

 それにしても、一階の人は大変だな、だってわざわざ屋上まで洗濯物干しに来なきゃいけないんだから…

 だから屋上は深夜も解放されているんだね。まぁそのお陰で俺や君が、今ここにいられる訳だけど」



俺は風に吹かれる洗濯物の中を突っ切り、そいつの目の前まで近付いた。




「大変だったぜ、俺はそもそも女子寮にいるのがおかしいからね。森さんからの着信履歴と彼女の説明がなかったらお縄だったよ…

 それに、深夜だからって一度帰されたけどこれからまた警察署に行ってまた説明しなきゃならない。なのにまだ肌寒い屋上で完徹しちゃったからね…」


俺は冗談めかしてそう言ったが、返事は無かった。





「桜梅荘に出る怪異 蜥蜴人間リザードマンの正体は…





 …小畑さん、君なんだろ?」





小畑さんは無表情のままだった。

しかし、彼女はやがて柔らかく微笑んで「おはよう南雲くん!で、蜥蜴人間リザードマンって一体何の話?」と言った。




「ちょっと失礼……」

俺はポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつけた。



「あ!ダメだよ南雲くん!ここ禁煙!」



「眼球破裂」

俺は煙を吐きながらそう呟いた。



「……え?」



「鼻骨骨折、眼底骨折、頬骨骨折、左下顎骨骨折、口角裂傷、左頬の筋肉断裂、顔面神経の損傷、左耳の軟骨欠損、そして夥しい数の顔全体の外傷と出血……あ、そういえば歯も何本も折れてたってさ」



「………一体なぁに?」



「高橋さんに付き添った森さんに電話で聞いたんだ。幸いな事に命に別状は無いみたいだよ」



「そう?それは何よりだわ…本当に痛ましい事件だったわね」



「満足かい?」



「なにが?」

そう言って彼女は首をかしげた。微笑みながら。



「犯行のほぼ直後に森さんが来たから、犯人は慌てて後処理をしたはず。

 ここ数時間、俺もくまなく屋上を調べたけど、本当に周到な犯人だ。

 でも、周到な犯人だからこそ処理ミスなどさしてないだろうけど明るくなったら確認に来るんじゃないかって思ったんだ」



「さっきから、南雲くんが何を言ってるのかさっぱりわからないわ?

 私は自分の洗濯物を取りに来ただけ、それなのに犯人扱いされるなんて…私とっても悲しい…」



「ま、小畑さんがそう言うんならきっとそうなんだろうね」



「もう行っていい?」



「もちろんダメだよ」



「大声出すわよ」



「構わないよ、でもこれは俺の優しさでもあるんだぜ?

 人の大勢いる所で自身の犯行をひけらかされるのは恥ずかしいだろ?」



「……」



「まぁ聞いてよ、大声出すのはそれからでも遅くないって」



「……そうね、いいわ聞いてあげる」



「犯行時刻は深夜0時、その時間に高橋さんを裏庭に匿名で呼び出して君は彼女を襲ったんだ。」



「どうやって?」



「野口さんと昨日9本だって確認した東棟と西棟を繋ぐロープが一本減ってる。犯行に使ったから回収されたんだ。

 具体的には西棟側のロープを手解ほどき、下から大体160㎝……高橋さんの身長から逆算した頭部付近に凶器兼重りを着け、重りの下の部分の縄を握ってスタンバイする。

 そして深夜0時になったら高橋さん目掛けて屋上から振り子の要領で振り下ろした」



「おかしいわ、昨日は星も月も出てなかった闇夜よ?

 高橋さんに当てるなんて不可能じゃない?」



「待ち合わせ時間に誰も来なかったら、君ならまず何をする?」



「……」



「俺ならまず時計を見て時刻を確認する。きっと高橋さんもそうなんだろう、横たわる彼女の隣に携帯が落ちてたからね

 つまり、犯人は深夜0時に光る携帯の画面を目掛けて振り子を落としたわけだ」



彼女は何も返さなかった。俺はタバコを携帯灰皿に捨て、ポケットにねじ込み、代わりに小石を一つ出した。



「凶器はこれ。正確には大量の小石を袋につめたもの。

 袋はきっと切れ込みを入れたビニール袋だろう、顔にぶつかった衝撃で破くと縄を回収する時に重くなくて楽だからね。

 その証拠に、高橋さんの周りに不自然な量の小石がゴロゴロ落ちてたよ」


彼女はニコニコと微笑みながら俺の話を聞いていた。


「ただ、アレはさすがに笑ったね。ロープを回収する時に紐に着いた血が壁面に蛇行した線を描いてた。まるで蜥蜴トカゲのしっぽみたいに…

そしてズルズルという音は、ロープと重りを回収する時に壁を擦る音だったんだね」



「でも、それって私じゃなくても出来るわよね?」



「まぁそれは間違いない。

 ただ、さっきも言ったように事件の直後に森さんが現場に来てるし、10分後には俺も現場を見てる。

 ロープを回収した後、低層階の人間が自分の部屋に持ち帰るのは不可能じゃないけどかなり厳しい

 あくまで確率と統計だけど、高層階の住人が犯人の可能性が高いんだ。それに、屋上に近い階の方が準備、回収、撤収に都合が良いってのもある。

 そして、森さんの101号室は高橋さんの112号室の丁度対角線だからワンフロア12部屋ってことになる。

つまり君の住む406号室は東棟。本来は回収と撤収こそ短い方が犯行に都合が良いから、君は西棟ではなく東棟のロープを起点にしたんだね。だから屋上に続く階段に一番近い東棟の柵、つまり401号室の直上にロープを張った」



「…ふふふ」

彼女は笑った。



「……証拠はあるの?南雲くん」



俺は再び取り出したタバコに火をつけ、深く息をついた。



「それが一番難しい問題だ…」



「あら?無いの?」



「ま、きっとロープも小石も手袋越しに触れたんだろ?きっと指紋は出ない。

 それに回収したロープの血の付いた部分だけ切り取って、縄をほぐして燃やしちゃえば隠滅は簡単だ」



「はぁ……ちょっとガッカリだよ南雲くん。

 確か南雲くんって、2回生の時にあの“夜行怪人”を捕まえたんだよね?

 野口さんがその時の南雲くんの事をとってもスゴかったんだってよく言ってたのに……」



「俺はなにも、証拠が無いとは言ってないぜ?」



「……え?」



「この石やロープからは君の指紋出ないだろうけど、きっと別のものは出るだろう」



「どういうこと?」




「手袋痕だよ」




「て…手袋痕……?」



「どんなに厚手の手袋を付けていても無意味さ。手袋の指の腹の部分は物を掴む時に独特の紋様を刻するんだ。照合すれば言い逃れは出来ないぜ」



「でも詰めきれない筈よ、その手袋痕?は流石に指紋ほど精度は良くないでしょ?証拠として不十分よ」



「そりゃ確かに指紋ほど正確じゃないけど、手袋で握った時、編み手袋なら繊維、革手袋なら皮脂、ゴム手袋なら粉などで同定出来る。

 つまりロープには手袋痕のほかに手袋の繊維なんかも付着してる筈だ、だから石やロープ、そして手袋の現物があれば証拠に成り得るんだ」



「……ッ」



「おっと、処分しようったって無駄だぜ。森さんに、7時までに俺から電話が無ければ警察に通報するよう頼んである。

 つまり、大体あと10分後には警察がここに来るって事よ」



小畑さんの顔から笑顔が消え、また無表情に戻った。

そして、小畑さんはいきなり俺に抱きついてきた。




「お願い、南雲くん……見逃して……」



「……実は、動機だけがわからなかったんだ。よかったら教えてくれ」



「…【星と月のワルツ】って知ってる?

 あの曲って私と……ハッシーで作ったの。私たちは小学生の頃からの親友…少なくとも私はそう思ってた」



「【星と月のワルツ】の事は知ってるよ、聞いたことは無いけどね。それで?」



「ハッシーは私を裏切った……ヤツは私の彼氏を奪い取った盗人なの」



「だから彼女を襲ったのかい?」



「ええ、だってそうでしょ?

 小学生の頃から私たちはずっと一緒。そして私はいつもハッシーの影……スポットライトはいつも彼女に当たってたわ。

 でもね、それは私の手柄を常に彼女が奪っていったから…16年間ずっと……【星と月のワルツ】だって、私のアイデアに彼女がズカズカと……!

 でも良かったの、私はハッシーのことを友達だと思ってたから……

 なのに…なのに……!」


小畑さんは涙を流していた。




「……そうか」



「私はね、何も彼女を殺そうとは思ってなかったの…!ちゃんと衝撃実験から適切な重さを計算して、ちょっとケガさせるくらいのつもりだったの…!それが…まさかこんな事になるなんて…」



俺は何も返さなかった。

すると、彼女は俺から離れて服を脱ぎ始めた。



「……何をしてるんだい?」



「南雲くんお願い……私の事、好きにしていいから……」


あっという間に、小畑さんは下着姿になっていた。

透き通る様な白い肌に健康的に浮き出る腹筋、2つの胸に走る血管、引き締まった足、魅力的な身体だった。


俺はタバコを携帯灰皿に捨て、ポケットにねじ込み、小石と携帯を出した。

そして手に持っていた小石を地面に落とし、携帯を開いた。




「南雲くん……ありがとう……」

小畑さんはニッコリと笑って俺に近付いてきた。



「手袋痕の事だけど……」



「?」





「あれ、嘘なんだ」





「……え?」



「嘘、ハッタリ、フェイク、ブラフ……

 手袋痕自体は本当に存在するけど、その後の説明は全部出任せ。適当にそれっぽい事を言っただけなんだよね」



「…どういうこと?」



俺は返事をせずに携帯を操作していた。



「南雲くん!どういうことか説明して!!」





『 「だから彼女を襲ったのかい?」



「ええ、だってそうでしょ?

 小学生の頃から私たちはずっと一緒で私はいつもハッシーの影。スポットライトはいつも彼女に当たってたわ……でもね、それは私の手柄を常に彼女が奪っていったから…16年間ずっと……

 【星と月のワルツ】だって、私のアイデアに彼女がズカズカと……!

 でも良かったの、私はハッシーのことを友達だと思ってたから……なのに…なのに……!」 』







「…俺の用意した証拠は手袋痕じゃなくコレ、会話は最初から今の今まで録音してたんだ」



「南雲くん…」



「騙したのは悪かったと思っ……いや、かな?とにかく、俺は行くよ」

俺は踵を返して歩き始めた。



「まっ!!待って!!!」

そう言って、小畑さんはまた抱きついてきた。



「私、ピル飲んでるの……生でしても大丈夫だから……ね…?」

彼女は艶かしい手付きで俺の身体を触った。

俺は小畑さんの手を払い退けて振り向いた。




「なかなか、つまらない嘘をつくんだな。小畑さん」




そう言って、俺は屋上を後にした。彼女はもう付いて来なかった。

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