第17話

その後はもう授業どころではなかった。



先生は学校の隣に立つ診療所へ担ぎ込まれ、男子生徒2人は職員室に隔離された。



男子生徒たちはなにを質問されても「虫を殺そうとしたからやり返しただけだ」と、説明しているらしい。



大山君にしてもそうだ。



虫のこととなった瞬間に人が変わったかのように暴れ出した。



あたしは自習となった教室内で茫然と自分の席に座っていた。



形だけ配られたプリントには全く目を通していない。



後ろから聞こえて来るプリントに回答を記入して行く音が気になって仕方なかった。



さっき、男子たちが本気で先生を殺そうとしていたとき、大西さんは確かに笑っていた。



それに男子たちが強行に及ぶ前に彼女は『ダメ』と、口走っていた。



まるでそのひとことが引き金になり、行動に移したかのように見えた。



彼女ははやりどこかおかしい。



普通の人間ではないような気さえする。



人間の、それもとびきり美しい仮面をかぶった悪魔なのではないか?



あたしは手鏡を取り出して大西さんの様子を伺った。



大西さんはついさっきの出来事なんてなかったことみたいに、熱心に問題を解いている。



みんな集中できなくてぼんやりしていたり、まだすすり泣きの声が聞こえてきているというのに、ひとりだけ冷静なのも気になった。



でも……。



あたしは手鏡を胸ポケットにしまってため息を吐きだした。



大西さんはなにもしていないということは、ここにいる全員が知っている事実だった。



彼女はただ見ていただけ。



大半の生徒と同じで、呆然と立ち尽くしていただけなのだ。



ただとても小さな声で『ダメ』と言っただけ。



その声が男子たちに届いていたとも思えなかった。



どこをどう見ても、あれは男子たちが自発的に行動を起こしたものだった。



悶々とした気分で考えを巡らせていると、自習時間が終るチャイムが鳴り響いた。



結局出されたプリントは空白のままだ。



プリント用紙を机にしまっていた時、大西さんがドアから出ていくのが見えた。



「どこに行くの?」



教室を出る手前で、思わずそう声をかけた。



大西さんは突然声をかけられたことに驚き、目を見開く。



しかしすぐに柔らかくほほ笑んだ。



「先生の様子を見に行こうと思うの。隣の診療所にいるっていうから」



「ひとりで?」



「うん。あまり大勢で押しかけても悪いと思うから、誰も誘わずに行くつもり」



遠まわしについてくるなと言われている気分だった。



「そっか。先生の様子がわかったらあたしにも教えてね」



「もちろん」



大西さんはにこやかに頷くと、一人で教室を出て行ったのだった。



「大西さんと何話してたの?」



大西さんが教室を出ていくのを見送っていると、ヒナが声をかけてきた。



ヒナの後ろには柊真もいる。



「どこに行くのか聞いてたの。隣の診療所に先生の様子を見に行くって言ってた」



「なぁんか、怪しいよなぁ」



あたしの説明を聞き終えると同時に柊真が頭をかきながら言う。



「やっぱり、そうだよね?」



なにが怪しいのかよくわからない。



けれど大西さんという人間そのものがどこか妙なのだ。



「ついて行ってみる?」



そう提案したのはヒナだった。



ヒナも徐々に大西さんの怪しさに気が付いているみたいだ。



誰の言う事もきかないようなギャルたち3人を簡単に手玉に取ってしまったのだから、怪しく感じても不思議ではなかった。



「ちょっとだけ、ついて行ってみようか」



あたしはそう言い、立ち上がったのだった。


☆☆☆


早足で大西さんの背中を追い掛けて行くと、言っていた通り診療所へ向かう姿が見えた。



「本当に先生のことを気にしてるみたいだね」



診療所の中へ入って行く大西さんを見てヒナが呟く。



その声には安堵の色が見えていた。



「そうだね」



あたしはそう返事をしながらも、まだ胸のモヤモヤは晴れていなかった。



大西さんは大人数で押しかけるのは悪いからと言っていたが、一人で行くなら学級委員に頼めばいいことだった。



わざわざ転校生の大西さんが行く必要はない。



その場合は2人か3人くらいで行動する方が、あたしたちにとっては自然な流れだった。



もちろん、大西さんが一人でも気にしない性格なのかもしれないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る