♯10:魔法陣あるある。


     †


「——はぁい、ではっ。不可思議なレファレンスをはじめさせていただきますっ。担当のミサキです。よろしくお願いしまーすっ」


 元気よくいってみましょう。


「なんかはじまったぁ」


 急な僕のテンションの可変っぷりに少々驚きを見せたが、すぐに平埜さんは僕のテンションにツラれた。

 たのしそうに拍手をしてくる。


「そう、だね……」


 平埜さんと反対に、㐂嵜さんはグッと身構え表情を険しくした。


 ふたりの感情に違いはあれど、僕はこのままハイテンションで押し進めさせてもらおうと思う。


 客観俯瞰したらこのノリをやってらんないよ!


「ここからは、こちらの方にもお手伝いしてもらっちゃいましょうっ。どうぞ!」


「はいどもー、助手のワトスンでっす!」


 僕のとなりのヒバナが笑顔を弾けさせた。

 手に持った白杖をブン回しする。


 いきなりのハイテンション、申し訳なく思う。


 この僕らのはっちゃけたハイテンションなキャラは、ヒバナ発案である。


 こんな案など僕からは言い出さない。

 僕のなかにこんなかるいキャラクターは存在してないんだもの


 ヒバナだって、しゃべられければクールビューティーなミステリアスなひとなのに。


 弾ける雰囲気のない僕らがいきなり弾け飛んだことで、㐂嵜さんと平埜さんの感情に積極的に干渉し、介入していく作戦だった。


 他人の感情や雰囲気に、ふたりの感情が左右されるのなら、


「揺さぶっていこう」

「雰囲気盛り上げていこうゼ」


 ってことらしい。

 盛り上げて盛り上げて、そのあとに——


 しかしこれをやる僕のテンション……。

 ずっと浮き足立って仕方なかった。

 どこまでもつのだろうか、僕の精神力。

 たのむ!

 もってくれ、僕の精神MPよ!!


「では、ご案内いたしちゃいましょう! みなさんの目の前にある、アレなんだか分かりますかー?」

「キャンドルのイルミネーション?」


 僕の問いかけに平埜さんが答える。


「近いですが、残念! あれは——《魔法陣》でっす!」


 イルミネーションに近い魔法陣っていったいどんなだ。

 あ、この魔法陣のことか?


 自分で自分に心でツッコミを入れる。

 いやしかし、俯瞰も客観も危険だ。

 もはや僕は台本上の役割を演じてるにすぎないのだと自分に再度言い聞かす。


 俯瞰じゃなく、

 客観じゃなく、

 達観しろ……!


「魔法陣って知っていますか?」


 僕はふたりに訊ねる。


「あー。魔法使いが使うヤツです?」


 平埜さんが答えた。

 㐂嵜さんの唇は緊張からか固く結ばれたままだった。


「そうですそうです。魔法を使ったり、魔物を召喚するときに用いられます。詳しくはこちらの本『まんがで読む魔法の世界 〜ほんとはたのしいエンチャント学〜』の第二巻に掲載されてます。もちろん図書館に蔵書がありますので、ぜひご利用ください」


 しゃべっているときにヒバナがそっと参考本を手渡してきた。

 参考本をふたりに向け、パラパラとページをめくったりっと自分でも実にそれっぽく台本を演じている。


 つもりだったが。

 ヒバナが僕の演技に必死で笑いをこらえてるのが、ビシビシ伝わってくる。


「ふふふ、さすが図書館のひとですね。宣伝ですか?」


 平埜さんが笑いを浮かべる。


「はいっ、失礼いたしましたっ。ではでは、おふたり、こちらへどうぞ」


 僕はヒバナに本を返し、魔法陣の白線の内側に歩いていく。


 平埜さんと㐂嵜さんは、顔を見合わせ、それから僕のあとにつづく。


 ヒバナは一旦、白線の外で待つ。


 白線の内側に足を踏み入れると、キャンドルの火がもうもうと揺れて、アロマ入り乱れる匂いが立ちのぼった。

 割れる海のように、湿度と重たい空気がゆっくりと流されていく。


「足もと、ぬかるんでるところや、キャンドルの火にも気をつけてください」


 注意喚起しつつ、ふたりを白線の内側——魔法陣のなかへ。


 ふたりが僕作のイビツな魔法陣に入ってくるのを眺めながら、ふと、


 キャンドルがこれだけあるとたいへん幻想的で美しくすらあるが、シンプルに「熱いな……」とべつのことが頭に浮かんできた。


 ただでさえ雨上がりのこんな熱帯夜に。


 よくよく考えたら、どうせ百均で同じ値段ならLEDのキャンドル風ライトでもよかったのでは……?

 いやいや。

 いやいや。


「あ、そこでいったんストップで!」


 俯瞰も客観もいけません!

 考えるのをやめて、ふたりに向かって両手のひらを前に広げた。


 魔法陣の直径は約二十メートルなので、その半分の十メートルほど歩いたところだった。


 ふたりを魔法陣の中心よりすこし前で止めた。


「ではまず、おふたりにはそれぞれ立ち位置についてもらいます」


 そう説明すると、㐂嵜さんは硬い表情のままだったが、


「べつべつ?」


 つぶやいて平埜さんが瞬間的に目を見開いた。


「㐂嵜さんはあちらへ」


 僕は先に㐂嵜さんを魔法陣のなかの『所定の位置』まで案内する。

 ふたりの進行方向から見て、右側だ。


「——安心してくださいって言われても、むずかしいですよね」


 魔法陣のちょうど右端まで㐂嵜さんを連れてきて、僕は小声で言った。

 㐂嵜さんは平埜さんから離れると途端、表情に不安の色がおおきくなり隠せなくなっていた。


「それは……、まあ、」

「信頼してほしいとは言いません。でも、なにがあっても最後までお付き合いしますし、全力でサポートします。それだけは約束しますから」


 僕はちいさく頭を下げた。

 平埜さんから見たとき不自然にならないようにと、会釈程度に見るよう。


 小走りに、平埜さんのところへ向かう。


「では、平埜さんはこちらへ!」


 㐂嵜さんとは逆の位置、中心から左側へ平埜さんを連れていく。


「こういうのはじめてなんで、ワクワクするっていうか、ドキドキするっていうか。沙香ちゃんのうちに泊まるのって前にもあったんですけど。こんなふうに夜中に出歩くのはなくて。新鮮な気分。なんかこんな雰囲気もすごい場所だから。自分が自分じゃないみたいな感覚、分かります」


 歩いていると㐂嵜さんが喋りかけてきた。

 忙しがないというか取りとめのない、ひとりごとみたいに。


 㐂嵜さんと離れてすぐ、落ち着きをなくした。


 元は人見知りで引っこみ思案のひとだけど、それは感じさせず。

 ただ、無言の時間を嫌ったふうに感じた。


 しくも『自分が自分じゃない』なんて口にしたから、自分に起こっている〝糸〟の影響について話しているのかと思った。


 きっと平埜さんも自分のなかの急激な変化に無意識に気づいているのかもしれない。


 この二時間かけた、できそこないの《魔法陣》が繰り出す雰囲気も彼女の心情に多少、影響しているのだろうか。


 それだといいんだけど。


「あの、」

「はい?」

「おふたりって、どういう関係?」


 平埜さんを『位置』に導いたころあいで、彼女が僕に訊ねてきた。


「㐂嵜さんですか? ええっと、カフェのお客さんで、」

「違う違う、沙香ちゃんじゃなくて。あっちの、ワトスンさん」


 言いつつ平埜さんが、軽く振り返る。


「ワトスンって、あー、ヒバナのことですか?」

「そうそう。ヒバナさん。ふたりはどういう? 付き合ってるとか?」


 どうしてそんなことを訊くのだろうか。

 と思わなくもないが、たぶん、平埜さん自身もたいして訊きたいと思っていない。


 いまの彼女は「こういうときはそういう質問をすればいい」という固定概念みたいなモノを参考に、シミュレーションを実行してるだけなのだ。


 興味があるフリをしている。

 コミュニケーションとはそういうものだというインプットをアウトプットしているにすぎない。


 ゼミ生たちとオートマチックにその場の雰囲気に合わせて、自分を見せてたように。


「ヒバナと僕は、ともだちというか、仲間というか、うーん。戦友?」


 僕もテキトーに答えておけばいいものを何故かマジに答えてしまう。

 そして自分で言って「僕はヒバナのことをそう思っていたのか」と納得してしまった。


「せんゆうって? 戦うに友人って書く? 占有じゃなく?」

「専有でもなく。そうですね、こういう不可思議なことに関わる者同士っていう意味で」


 言い訳みたいに僕は付け加える。

 誰になにを弁明する必要もないのに。


「へー。いいですね、そういうのって」


 平埜さんが言う。

 ちょっと棒読みで。


「平埜さんだって、㐂嵜さんみたいな親友がいるじゃないですか」


 僕は返した。

 棒読みにならないよう」


「そうなんです。沙香ちゃんは私にはもったいないくらいで。やさしくて、いつも引っ張ってくれて。私優柔不断で、決断力もないから、ランチとかもいつも沙香ちゃんに決めてもらったりするんです」


 オートマチックに吐き出される科白セリフだった。

 でも、これは彼女の気持ちなのだろうと僕は受け止めた。


 これは悪い兆候ではない。

 レファレンスに前向きな希望が見えてくる。

 とはいってもまだ導入にすぎなず、逸りも焦りも禁物。


「足もとを見てください。ちいさな円がありますよね?」


 つとめて明るくにこやかに、僕は平埜さんに言う。


「ここ?」


 言われるがまま平埜さんは、フラフープより一回りくらいちいさい白線の円のなかに、おとなしく収まった。


「ありがとうございます。この円からは出ないようにお気をつけください。もし仮に出てしまうようなことがあれば……おっと、これ以上は!」


 客観したら自分の姿に、苦悶するだろう。

 僕はめいっぱいテンションのギアを上げて、テーマパークのひと役を演じ切ろうとする。


「はははっ。はいはい。出ません出ません」


 平埜さんは僕のテンションにつられてにこやかに返す。


 だけど。


 㐂嵜さんと距離ができてからというもの、どんどんと平埜さんの瞳が虚構を見るような空洞になっていくのを僕は感じていた。


 でも、まだまだここからなんだ。


「では! まもなく、はじまります——!」


 僕は平埜さんにもちいさく頭を下げ、振り向くと一目散に駆け出した。


 ヒバナが待っている魔法陣の外に出ていく。


「ヒバナ、位置に着いた」


 軽く息を切らせながら、ヒバナに駆け寄る。


「ご苦労さま。つぎはあたしの番かな」

「よろしくお願いします」

「でも、まだ気を抜いちゃダメだよ。ミサキ」

「あ、うん」

「自分の番が終わったと思って、テンション下げる気だったでしょ」

「……はい」

「まだダーメ。うひっひっひっひっひ!」


 赤ちゃんみたいに顔をくしゃくしゃに笑うヒバナは、僕のほうに手を伸ばした。


 僕は、いつものよう腕を伸ばした。

 ヒバナが僕の左腕の肘あたりをつかむ。


「さあ行こうぜ。ミサキ!」


「うん、よろしく」


     †


 ヒバナをガイドしながら、再び魔法陣のなかへ踏みこむ。


 さっきふたりを連れて歩いたときよりも、さらに足もとに注意して魔法陣のなかを進んでく。

 ぬかるんでる箇所や山盛りのザラメ、異彩を放つパクチーに燃え盛るアロマキャンドル。


 ヒバナを連れているとすべてが罠のように思えてくる。

 だとしたら仕かけたのは僕だけど。


 足もとに注意を向けると、ことさらに見直すまでもなく、不恰好に白線で描かれた円を魔法陣と呼んでいいものかと自戒する。


 そして、この魔法陣、無駄に巨大だと思う。


 バスケットコートの横幅よりも広く、縦幅よりも狭い直径約二十メートル。


 本にあったのを参考にして円のなかには、それっぽいなにかをそれっぽく描いてある。

 模様にも見えるし、文字にも見えるようになっている仕様だ。

 けど、意味は特にない。


「文字に意味なんかなくても想いはきちんとこめて」


 そうヒバナに言われたので、自分のなかで想いは付与してはある。


 不可思議なレファレンスを頼ってきてくれた㐂嵜さんのこと。

 そして平埜さんのことを想って。


 僕は、そんな様々な想いでできた魔法陣の中心までヒバナを連れきた。


「五十センチ前くらいにキャンドルあるから」

「わかった」


 ヒバナがうなずく。

 僕の腕から手を離す。


 魔法陣の中心に、特別なキャンドルを設置した。


 これは、ほかのただ雰囲気作りのためのアロマキャンドルとは一線を隠す。

 大きさは五百ミリペットボトルよりも大きいく幅もある。

 一見すると蝋燭キャンドルというより、さまざまな原石が結合してできた『結晶』にも見えるかもしれない。

 ちなみにこれは僕ではなく、ヒバナと僕——共通の知人お手製。


「んじゃ、これ。よろ、」


 左手の白杖をワンタッチで折り畳んで、僕に渡してくる。

 肩からななめがけしてた水筒も僕に渡す。

 そして、いつもかけてるスマートグラスを外すと、


「あと、これも」


 僕のほうに放り投げた。


「っと、あぶなっ」


 お手玉して落っことしそうになるが、なんとキャッチに成功した。

 サングラス型なだけでこの中身は高性能な精密機械だ。


「ヒバナ、もうちょっと丁寧にあつかったほうが……。お高いんでしょ?」

「そらーもうね、たっかいよ」


 ヒバナはニヤリ笑った。


 僕はスマートグラスと白杖を後生大事に抱えながら、魔法陣の外に向かって歩き出した。


「気ぃ抜くなよ、ミサキ。こっからだぞ」


 もう一度、背中越しにヒバナから釘を刺された。


「はい」


 振り返って、返事をする。

 ヒバナは軽く手を振って、僕に背を向けた。


 「あっちに置いておくね」


 ヒバナには聞こえないが、口に出して一応断りを入れる。

 持ってるとなにかあったときに、壊しちゃいそうだったので、荷物といっしょに置いておこう。


 僕は魔法陣の円の外へと出た。


 駆け足で、ヒバナと僕の荷物(作業道具など)を置いてあるところまで行く。

 慌ただしく自分のリュックのなかに水筒とヒバナの白杖とスマートグラスを押しこんだ。

 急ぎながらも、お高いスマートグラスはちゃんとメガネケースにしまった。


 ヒバナのメガネケースの絵柄がシュールな猫のキャラだったので、笑いそうになったが。


「気を引き締めろ、ミサキ」


 とヒバナのゲキが聞こえた気がしたので、くっとこらえる。


 そこからダッシュで魔法陣のなかに舞い戻った。


 僕は魔法陣の円の極際キワキワのところにポジションを取る。


 ヒバナは中心に。


 平埜さん㐂嵜さんが、それぞれ左右の端に立っている。


 直線状に三人は並んでいる状態。


「そんじゃー、いまからちょっとした《儀式》をはじめるからね。おおいに——ビビるように!」


 ヒバナがふたりに言った。

 そこまで大声ではなかったが、ヒバナの声はよく通る。


「待ってましたー」


 平埜さんがパチパチ手を叩く。


 㐂嵜さんは、この茶番が自分と友人のためだと知ってはいるが、なにをやろうとしてるかまでは知らない。

 自分の肩を抱くように身を固くしていた。


「なにが起こるか分からないって、ふつう不安だよね」


 僕はつぶやく。


 これから起こることの予想、予測がいちおうある僕ですら、手のひらにびっちり汗をかいている。

 手のひらにかく汗は、蒸し暑い気候のせいじゃない。

 緊張や漠然とした恐怖に近い感情のあらわれだ。


 魔法陣の大袈裟な雰囲気と分厚い湿度の空気。

 雨上がりとキャンドルなど様々に混じり合った匂い。


 いやおうなしに緊張感が高まっていくのを感じる。


「こんな真夜中だし、丑三つどきってゆうんだっけ? あ、もしかして、お化け屋敷とか、怪談みたいな? どうしよう、そんなの怖い」


 緊張感と比例するように、平埜さんはひとり沸き立っていく。

 口から出る言葉が止まらなくなる。


 それぞれの緊張感の高まり待つように、


「——はーい、ちゅうもーく!」


 たっぷり間を取ったヒバナが声を上げる。

 手を高々と、天を仰ぐ。


 スチールウールみたいな雲が千切れて、隙間から中途半端に丸い月が顔を出していた。


 平埜さんと㐂嵜さんの目が、ヒバナに集まる。


「じゃあまず、あなたたちのお名前をプリーズ。そっちから!」


 ヒバナは自分の左側に手のひらを向ける。

 そっちには、平埜さんがいる。


「あ、私? 私は、平埜藍那あいなですっ」


 平埜さんが戸惑いの表情を見せつつ、素直に自己紹介をする


「じゃあつぎ、こっち、」


 ヒバナが言う。

 そっちには、


「なんなの、これ?」


 眉間に皺を寄せる㐂嵜さん。


「おなまえプリーズ」


 もう一度、ヒバナがうながした。


「㐂嵜沙香さやか。で、いい?」


 吐息のように言った。

 困惑と不安が表情に浮かぶ。


「じゃあ、ふたりの関係は?」


「私たち? 沙香ちゃんと私は、もちろん——親友っ!」


 こともなげに平埜さんがはしゃいだ。


 しかし、㐂嵜さんは無言だった。


『親友』


 というシンプルな言葉に複雑な感情が入り乱れすぎて『無』になったのだろうか。


「親友……だよね?」


 㐂嵜さんが無表情で無言だったから、平埜さんがいきなりトーンダウンした。


「親友、だよね?」


 もう一度、問いかける。

 声がか細く、奈落に落ちる前のような不安げな顔になる。


「……も、もちろん、そう」


 ようやく、㐂嵜さんが声出した。

 振り絞った声だった。


「はい。どうもありがとう」


 ふたりを一瞬にして不安におとしいれることに成功したヒバナは、今度は、


「いま、不安になったあなた。だいじょぶだよ。ふたりは——繋がってるから」


 にんまりと悪戯な笑顔で言った。


「どういう意味?」


 㐂嵜さんもワケが分からずに、ヒバナに視線を向けている。


 ふたりの感情がジェットコースターなみに目まぐるしい。


「それはおたがいにつながっているせいだ」と言われたとして、すぐに理解できるはずもなく。


「あるひとが友人から〝糸〟が出ていると言ってきた」


 ヒバナは、平埜さんのほうに身体を向ける。


 その背後で、㐂嵜さんがぎょっとした。


「糸?」


 平埜さんが首をかしげる。


「そう。たとえば、そこのあなた、」


 ヒバナの瞳が平埜さんに向けられている。


「私……?」


「——なんだか、あなたから〝糸〟が出てるらしいじゃない」


 ヒバナがいきなりブッこんだ。


「え?」


 平埜さんは、ほうけた顔で虚空を見る。


 ヒバナの言った〝糸〟の意味を理解できないというよりもべつの感情だった。


 むしろ、


「ちょっと、なにを言って!?」


 㐂嵜さんのほうが過剰に反応をしめす。


 しかしヒバナは、あえてそれを無視した。


「あなたから誰の目にも見えない〝糸〟が出てるらしいのよ。それをあなたのお友達トモダチが見つけたんだよ。あれ? おっかしいわよね。だって、誰にも見えないはずのに?」


 ヒバナはいやらしい意地悪キャラみたく、よどみなく言う。


「やめて! それなこと言う必要ない!」


 顔を青ざめさせ、㐂嵜さんがヒステリックに騒ぎ立てる。


『親友』を想って、本人にも話せずにいた〝糸〟のことを、関係のないヒバナがサラッと伝えてしまったのだ。


「沙香ちゃん、どうしたの? なんでそんなに怒ってるの? どういうこと? なんかコワイ」


 平埜さんは空虚な目を虚空に向ける。


「やめてよ! なんでこんなときに!」


 声を荒げる㐂嵜さん。


「こんなとき? なんで、どうして? いまだからこそでしょ。」


 ヒバナは㐂嵜さんに背を向けたまま。


「あなたがレファレンスに相談してきた。だからミサキはあなたのために、こんな時間まで無償で一生懸命に動いて、こうしてこうやってこの場を用意したの。なに? ぜんぶ必要ないとでもいうの?」


 早口で一気にまくしたてる。


 ちなみに無償ではないけど、有償無償の話は置いといて。


「——だったら、もういいよ!」


 㐂嵜さんが言い放った。

 もういいワケないのに、逆ギレして㐂嵜さんは、立ち位置から離れようとする。


「ストぉぉぉぉップ!」


 としかし、ヒバナの声がとんでもない音量で響く。


 これには僕すら驚いて、息が止まりかけた。


「ヒバナ、あんなおっきい声でるんだ……」


 びっくりがすごくて月並みな小並感。


 片手を上げ、㐂嵜さんが動くのを制止した。


 大声の迫力と、あまりに自然にやるから忘れがちだけど。

 ヒバナには、㐂嵜さんの動きが見えてたワケじゃない。

 声の感じや足音、空気感や気配などさまざまな要因からその動きを予測したのだ。


 そして、ヒバナの瞳が見射みいられ、㐂嵜さんは身動きが取れなくなった。


「もういい? いいワケないでしょ」


 僕が思ったことをヒバナも口に出して言った。


「もしかして、いろいろあらわにされるからってビビってる? いやいや、まだまだビビるには早いんだよ。だからさ、ちょっとだけ黙って其処そこで待っててよ。これから——視せてあげるから。ぜんぶっ」


 表情には笑顔を浮かべていたヒバナだが、声はいつもの軽い陽気なトーンよりも一段低く、鋭く尖っていた。


 パンチの効いたヒバナの声色に聞いてる僕のほうがひやひやしてしまった。

 でも他人の感情の影響を受けやすいいまの㐂嵜さん相手には効果的面。


 㐂嵜さんが棒立ちになってる。

 生唾を飲みこむ音が僕のいるところまで聞こえてきそうだった。


 ついに——いまのやりとりで完全に、寸前までのユルい空気感吹っ飛んだ。


 ガラリと雰囲気が変わる。


 全力で道化師を演じた僕の苦労も、この一瞬で吹っ飛ぶんだけど、べつにかまわない。


 ここまで、想定内に進んでいるのだ。


「ねえ、みんな、どうしたの? どうなってるの、これ?


 平埜さんはつとめて笑顔だったが、もう目が笑ってない。

 表情筋がカクついて、非対称な笑顔だ。


 空気感が緊張感となって、ヒシヒシと彼女に伝わっているはずだ。


「ふーっ。やっぱ、骨が折れるなー」


 普段大声など出さないし、ヒバナもまたこの瞬間、快楽的道化師を演じていた。

 首をコキコキ鳴らして、ヒバナはつぶやいた。

 それから、


「よっしゃ、いこう」


 ふたたび、気合を入れ直す。


 㐂嵜さんと平埜さんの注目のなか、ヒバナは気合を入れるとその場にしゃがみこんだ。


 シャツの広い袖口をまくり上げる。

 無数のキャンドルの灯が揺れ、ヒバナの不健康なくらい真っ白で花車きゃしゃな腕を夜に浮かび上がらせる。


「いよいよ、はじまるんだ……」


 僕は無意識につぶやいていた。

 息苦しさを感じるのは蒸し暑さのせいだけじゃない。

 ここからほんとうになにが起こるのか、実際にそれが起こってみないと分からなくなっていく。


 ここからのフェイズは——僕も見たことがないヒバナのあらたなる〝能力〟が解放される。


 あんなに生ぬるかった湿度の空気に、ひんやりとした鉄のように冷たいモノを肌が感じる。



 ヒバナが両手のひらを地面に触れさせた。



「——出力全開っ! ……でも十秒だけ!」


 ヒバナの瞳が淡い薄紫色の光を宿す。


 その両手が触れた——僕が描いたイビツな魔法陣の中心。


 さまざまな結晶の原石を集めたような蝋燭ろうそくが置いてある。

 ほかのアロマなキャンドルとはあきらかに違うソレには、まだ火がともってなかった。


 が——


「……なんなの、いった……い?」


 喉を嗄らして㐂嵜さんがちいさくこぼした。


 平埜さんは言葉を発さず、まばたきもせず虚空を注視したままだった。


 五秒が経過。


 まだ何も起こらない。


 十秒が経過。


 そのとき。


 ヒバナが触れた魔法陣の中心部分が、


 ——淡く薄紫色に発光しはじめた。


「よっし。やっぱ、やればできるね、あたし……ッ!」


 僕にしか分からない程度に、ヒバナがちっちゃくガッツポーズした。


 僕の、魔法陣の完成が時間ぎりぎりすぎて、そのあらたな〝性能チカラ〟を試してみることができなかったのだ。


 まさしく、ぶっつけ本番だった。


 紫の光は、魔法陣の中心に置いた蝋燭に——ヒバナの瞳とおなじような薄紫色の淡いともした。


 その刹那——


 魔法陣を描いた白線が薄紫色の淡い光を放ち、


 そして、一気に目の前が見えなくなるほどの光に包みこまれた。



 空が染まった。

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