♯9:シミ出すモノ。


     †


紙魚シミ虫』になぞらえて、僕らは〝アレ〟のことを『蠧魚シミ』と呼んでいる。


『紙魚虫』とは——


 体長十ミリ程度の昆虫で、紙や衣類や穀物などを喰べて穴を空けたりする害虫。

 この国では古来から知られている。

 ヤマトシミ。しみむし。または雲母虫きららむしという。


 書物や古書といったモノや、特に糊づけされた紙を好む。

 表面を舐めるように食害する。


〝アレ〟は本来、こちらの世界には存在しない。


 此方こっち側と彼方あっち側を隔てる見えざる壁のようなモノに、まれにヒビが現れる。


〝アレ〟はそのヒビ割れから、こっち側に——み出てくるのである。


 蠧魚が欲して、求めて、引き寄せられ、好んで喰らうのは、


人間ひとの想い、気持ち、喜怒哀楽の感情や記憶など、


 目には見えないけれど、其処に在るモノだ。


 この世界には存在しないはずの〝アレ〟は、人間の感情や記憶などを依代よりしろにして、〝蠧魚〟はこの世界に存在するようになる。


 それは『都市伝説』のようだ。


 存在しなかったはずのモノが人によって語られ、認知され、やがてはあるはずのない存在が確認される。


     †


 雲が多い夜のほうが、なんだか外が明るい。


 そのことに気づいたのは田舎から上京してきて、しばらく経ったあとである。


 僕が暮らしていたところとは違い、当然こっちは圧倒的に人口が多い。

 桁がふたつほど違ってる。

 満員電車で余裕で人酔いできる。


 もちろん。

 家やビル、コンビニなどの商店、街灯の数も段違い。


 そんな人口と人工物に比例するひとつひとつの明かりが、分厚い雲に反射して明るくなっているのだそう。


 かつて、なにもなさすぎて、

「◯◯の名産。ラララ、星キレイ」

 と某お笑いのひとに歌われし田舎出身としては、そのスケールのデカさに度肝を抜かれた。


 星が照らすのではなく、逆に街が夜空を照らすなんてことがあるとは……。



 そんな〝雲〟が照らし出す空の下——


 午前二時。


 ふたりがやってきた。


 今回、不可思議なレファレンスに相談してきた依頼者、㐂嵜きさき沙香さやかさん。

 そしてその友人、平埜ひらの藍那あいなさんである。


 㐂嵜さんは《魔法陣》のことを知っていた。

 ヒバナが言い出したその場にいた。

 それでも、目の前に広がるあまりにも大袈裟で大そうな雰囲気の光景に、㐂嵜さんは呆然としていた。


 懸命な雰囲気作りがさっそく効果を発揮しはじめたらしい。



 午前二時。

 図書館裏の空き地。

 足元には、謎の白線。

 自分たちを取り囲むように円には、複数の線や模様がさらに描かれている。


 おびただしい数のキャンドルに火が灯されて、空間全域にアロマなニオイが入り乱れる。


 ときどき香ってくるカメムシ、もといパクチー。


 ところどころにある山盛りのコーヒーシュガー。


 そして、ふたりを満面の笑みで出迎える——


 真夜中に薄紫色のサングラス(スマートグラス)にチャイナ服っぽいスタイルのヒバナ。

 そのとなりに立つもうひとりは、全身泥だらけ、謎の白い粉を頭からまぶされている童顔のヒップホッパーのなりぞこない男、僕だ。


 いちじるしくあやしくあやしくあやしい。


 ほんとだったら一度シャワーに入って着がえたかったけど、余裕がなかった。

 すこしでも汚れを誤魔化すために、図書館で使ってるエプロンを着用した。

 これは、カフェ用の黒いエプロンじゃなくて、図書館で働くとき用のオレンジ色のエプロンだった。


 僕はいまカフェ店員ではなく、不可思議なレファレンス担当だという想いもこめてる。


「コレって、なんなんです?」


 まず訊ねてきたのは、平埜さんだった。

 初見のときとはまるで違う、人懐っこい笑みで。


「ちょっとした雰囲気づくりです」


 僕はカフェ経験で培った営業スマイルで答えた。


「へぇ〜」


 平埜さんはすんなり納得して、興味津々に周囲を見渡す。


 これが魔法陣だとか、そうじゃないとか。

 平埜さんにはあまり意味がないかもしれない。


 僕はもうひとりに目を向けた。


 㐂嵜さんは緊張気味の表情で、平埜さんのうしろで腕を組んでいた。

 カフェに乗りこんできたような怒りでも、大学で見かけた感情が複雑に入り乱れた『無』でもない。

 やや緊張気味で眉間に皺を寄せる。


 煌々と焚かれたキャンドルの数々、謎の山盛りシュガーの儀式的雰囲気。

 㐂嵜さんは少々驚いて面食らって、飲まれそうになっているのは見てとれる。


「幻想的ですっごいキレイだね!」


 平埜さんがはしゃぎながら、背後うしろの㐂嵜さんに振り返る。

 派手な雰囲気に釣られアッパーな平埜さん。

 彼女のほうが一見すると過剰に演出した剥き出しの雰囲気が効果を発揮している。


 夥度かどな雰囲気作りがどう㐂嵜さんに作用するか、まだ僕には読めてないけど。


 つかみは悪くないと思う。


「沙香ちゃん、私に見せたいモノがあるって言ってたけど、このこと?」

「……まあ、うん」


 無邪気な平埜さんの問いかけに、㐂嵜さんは気まずそうにうなずいた。


 やっぱりこのふたり、テンションが駅で逢ったときと同一人物なのだろうかと思ってしまう。


 たった一週間しか経過してないのに。


 㐂嵜さんは出逢ったときよりも情緒不安定で。

 目も合わせられなかった平埜さんは、明るくて元気で、ひと懐っこい笑みを浮かべて自分から他人ひとと視線を合わせようとする。

 と——


「あれ?」


 平埜さんがヒバナと僕の顔を交互にまじまじ見つめる。


「もしかして、この前駅で?」


 ようやく、僕らと逢ってることを思い出したようだ。

 あのときとは彼女も僕らも雰囲気が違ってるのは、たしか。

 しかし、われながら簡単に忘れてしまえるような初対面でもなかった気がするのだけれど。


「はい、あのときのカフェ店員です。その節はどうもすみませんでした」


 僕はお詫びをして腰を折った。


 いまの平埜さんとあのときの彼女では、別人のようではある。


「んーっ、なんでしたっけ? まあ、覚えてないくらいのことだと思うんで、気にしないでください」


 平埜さんは軽く流して笑う。

 まるで本当に覚えていないといったふうに。

 この軽い感じは、大学でゼミ生たちといっしょにいるときに見られた彼女である。


 いま平埜さんはなにを考えて、なにを思ってここに立っているのだろうか。


 別人すぎて、平埜さんというひとのパーソナルがまるで見えてこない。

 上辺だけで笑って、しゃべっている。


 その平埜さんのうしろで㐂嵜さんは真逆の、張り詰めた緊張した面持ちだった。



《魔法陣》という不安になる謎ワードだけでも緊張感を高めさせるには十分なのに、㐂嵜さんには、


「平埜さんを連れてきてください」


 とだけ、お願いしてあった。

 具体的な情報はあまり渡していなかったのだ。


 これから起こること。

 僕らがやろうとしてること。


 嘘をつきたくなったから、あえて触れていなかった。


 㐂嵜さんの僕らへの不信感をこれ以上あおりたくないというのもある。


 きっと拭えないいきどおりを感じてたはず。

 それでも㐂嵜さんは親友を助けたい一心で、ここへやってきた。


 その想いは信じたい。


 その想いに応えたい。


 たとえ、僕らが出す『回答』が、ふたりの望む〝答え〟ではなかったとしても。


 イヤな熱気と湿気をふくんだ風が吹く。

 周囲の草木をざわざわと騒がせる。

 こんなにも蒸し暑いのに、首筋に薄ら寒いものが滑っていくようで一瞬身の毛がよだった。


 いや。

 これは生ぬるい風のせいじゃない。

 僕の弱さが惑わせているのだ。


 心のなかで何度も頭を振った。


 それを感じ取ったヒバナが、


「さあ、おっぱじめよう、ミサキっ!」


 傍らでにっこり微笑んで、僕にそっと耳打ちした。


「うんっ!」


 僕はうなずいた。


     †


「あらためまして——図書館で不可思議なレファレンスの担当をしている『御前ごぜん』と書いて、ミサキです。よろしくお願いします」


 㐂嵜さんと平埜さんに向き直ると、僕はぺこり頭を下げた。

 顔を上げて、首から下げた『名札パス』を手に取ってふたりに見せる。


『御前』と名前が書いてある。


「こっちは、」


 僕のとなりで、にこにこ穏やかに頰笑んでるヒバナを紹介しようとしたが、


「どもー、ミサキレファレンスの助手ですぅ」


 ヒバナは勝手に不可思議なレファレンスに僕の名前をプラスして、みずからは『助手』と名乗った。


「レファレンス?」


 平埜さんが耳慣れない単語に引っかかる。


「簡単にいうと、図書館におけるコンシェルジュサービスだと思ってもらえれば」


 僕は説明を口にする。

 口に出してみて、横文字レファレンスをおなじく横文字コンシェルジュに言い換えただけのカシコぶったバカ説明だった。


「コンシェルジュだと思って」とかドヤってしまった。

 ずかしいったらない。


「なるほどー。図書館っていろいろやってるんですね」


 としかし平埜さんは簡単に納得した。


「分かりにくくてすみません」


 いまの状態の平埜さんに詳しい説明をしてもあまり響かないだろうと以後の、


 おなじ図書館なんでレファレンスとカフェ兼任してるんです。

 ふだんはほぼほぼカフェの店員なんですけど。

 たまにこうして、こんなふうにレファレンスやってます。

 ただし、僕は不可思議な現象や事象の専任なんですけれども。


 なんて、早口でまくし立てようとしてた情報をばっさりとセルフカットした。


「ふーっ」


 意識せず息を吐く。


 どうにも浮き足立ってる。

 気持ちが落ち着かない。

 ずっとうしろ目痛めたい気持ちが、心のどっかで爪を立ててるみたいだ。


「たいへんですねー」


 平埜さんはまるで関心のない感じで感心したふうに微笑む。


「ほんと、こんな時間にすみません。大丈夫でしたか?」


 心のなかで気合を入れ直して、負けじと社交辞令的なアイドリングトークをくり出す。

 これも雰囲気作りの一環だと思おう。


「はい。親には沙香さやかちゃんのトコに泊まるって言ってあるんで」

「あー、そうだったんですね。週末ですもんね」


 僕はよく分からない週末論で納得したフリをする。


 その実、


「平埜さんをあらかじめ自宅に招いた上で、図書館裏の広場に連れてきてもらうのはどうか」


 と㐂嵜さんに提案とお願いしたのは僕だった。


 安易だけど、

 この案なら実家暮らしの平埜さんが深夜に家を抜け出して、親を心配させなくてすむ。


「図書館で真夜中のイベントがある」


 というプランだったが、㐂嵜さんは、


「見せたいものがある」


 とだけ伝えて、平埜さんをここへ誘ったようだ。


 それだけで、こんな時間こんなところまでついてきたのは、㐂嵜さんと平埜さんの関係性か——


 いまの平埜さんは物分かりがよすぎる。

 相手に合わせすぎている。


 まるで自分がない。


〝糸〟の影響——確実に『症状』が侵行しんこうしているのだ。


 そして、その干渉は平埜さんだけではなく、㐂嵜さんにもおよんでいる。


「——で、これからどうするんですか?」


 㐂嵜さんが訊いてきた。

 丁寧な口調だったが、言葉尻からもイライラが伝わってきた。


 僕のアイドリングトーク、ちょっと長すぎた?


「沙香ちゃんもなにか知らないの?」


 平埜さんが不思議そうな顔をして振り返る。

 急に不安な表情をする。


「あ、いや、ちょっと、段取りがアレだなって、思っただけで」


 口籠くちごもってもごもごする㐂嵜さん。

「まあ大丈夫だよ」

「そうだよね、なんか怖い雰囲気なのかと思っちゃって」


 㐂嵜さんは、子供をあやすような表情で返した。

 平埜さんは、ちょっとだけ表情をくもらせただけだった。


 ふたりともなんとも感情がいそがしい。

 くるくると瞬間瞬間で入れかわるようだ。


 互いに影響、干渉しあってるのだ。


 ふたりの様子に目を光らせつつも、㐂嵜さんに指摘された段取りの悪さは「ほんとそれ!」と自分でも反省すべき点である。

 申し訳ない……!


 ふたりの感情がいそがしく入れかわるように上下動するのは、こちらの意図するところではあった。


 そのためのこのバカげた大袈裟な雰囲気を醸し出しすぎているのだから。


「——じゃあ、はじめちゃおう。見ての通り雰囲気にすっかり当てられてるみたいだし」


 ヒバナが言った。

 きっと、ここが攻めどきだと感じたのだろう。


「説明の部分ははぶこう」


 と僕にしか聞こえないように囁いて付け加える。


「うん、そうだね」


 僕はそっとうなずいた。


 計画だとこのあと、魔法陣のことや〝アレ〟のこと、そして今回のレファレンスの意図を説明する段取りだった。


 そうして雰囲気をさらに盛り上げて行って、ふたりの感情がたかぶったところで、


蠧魚シミ〟が食いついてくるはずなのだ。


 いわば、これは人間の感情や想いなどに反応し、食いついてくる蠧魚誘き出し作戦なのである。


 ふたりの感情が高まれば高まるだけ、蠧魚が干渉してくるはずなのだ。


 巨大な魔法陣も大袈裟すぎるこの雰囲気作りも、ひとつの役割。


 計画を早める。

 段取りをすっとばす。


「なんです、なんですか?」


 僕らがこそこそ話しているのが、気になったらしい。

 㐂嵜さんが怪訝な、不安そうな表情でこちらを見てくる。


 いっぽうで平埜さんは、テーマパークのアトラクションにきたみたいな、期待の表情に変わっていた。


 しかし、いまの彼女はこれから起こることを想像してはしゃいでるんじゃない。


 単純に、僕らが作り出した他人の雰囲気に、表面上の感情を合わせてるだけだ。


 それでも時折まだ、本来の平埜さんの感情や性格、性質といったものが顔をのぞかせることがある。


「ミサキ」


 ヒバナが僕の左腕の肘あたりを、ぽむっとつかんできた。


 ヒバナの細い指が、感触が、体温が、ぜんぶが僕に言葉もなく伝えてくる。


「うん。わかった」


 僕は、そのときがきたのだと、意を決する覚悟をしなくてはならない。


 しかし、ちょっと躊躇する。


 だって……。


 つぎに僕が行う言動をどうか僕が望んでやってると思わないでほしい。


 どうか、あとで忘れてほしい。


 そう願わずにはいられなかった。


「ミサキ、はじめようってば」


 またヒバナの指が僕の二の腕あたりをつついてくる。


「分かってるって……! よし、いくよ。おっぱじめるよ」


「うんっ」


 一歩下がってとなりに立ってるヒバナの表情は見られなかったが、


 たぶん、ニヤケてたんだろう。


 分かってる。

 分かってるさ。


 ああ、やるよ。


 やってやろうじゃない。



 さあ、おっぱじめよう!


 意を決する意を決して、覚悟する覚悟を決めた。


 僕は、ありったけの営業スマイルを全開にした。



「——はぁい、ではっ。不可思議なレファレンスをはじめさせていただきますっ!」



 某テーマパークのキャストな口調になりきり言い放った。



 レファレンス最終段階における最終作戦の開始である。

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