素敵な彼氏で在るために

藤咲 沙久

全部知りたい、大好きだから。


ひかるさーんっ」

 私は待ち合わせに遅刻しました。という文章をそのまま表情に変換するなら、きっとあんな顔だ。ふわふわの癖毛をなびかせ駆けてくる華子はなこさんを見て、そう思った。たぶんそこの段差で少し躓いて、耐える。うん予想通り。

 僕はちょうど読み終えた文庫本を閉じて、愛しい恋人へ頬笑みかけた。華子さんは今日も本当に可愛い。新しく買った青いハイヒールもよく似合っている。

「おはよう華子さん。デート日和だね」

「そんな日和にお寝坊してしまうなんて……も、申し訳なく、おはようございますぅ……」

「お仕事忙しくて疲れてたんだよ。予定には響かない程度だし気にしないで」

「ありがとうございます……! そう、そうなのです、実は今プレゼンテーション資料を作るのが大変でして」

 歩きながら彼女の話に相槌を打つ。すでに知っている内容と明かされていなかった情報を頭で繋ぎ合わせ、そういうことかと納得した。改めて課長さんは要警戒対象だと認識。華子さんと距離が近すぎだ。

 華子さんは事務員だから、毎日たくさんの従業員対応をしている。朗らかで愛想のいい彼女のことだ、もしかしたら他にも視線を吸い寄せているかもしれない。そういう存在が隠れていないか、僕は注意深く耳を傾けていた。

「あっ輝さん! ここです、行きたかったカフェ!」

 早く早くと腕を引かれて中に入れば、フェミニンに飾られた店内は見事に女性客ばかりだった。だけど問題ない。大事なのは華子さんと食事が出来ること。それに僕も可愛い系は普通に好きだ。ほら、例えば華子さんとか。

「うふふ。どれも美味しそうで迷ってしまいますね」

「僕も選びきれないや」

 二人で一つのメニューを前に、僕はこっそり華子さんの方を窺う。揺れ動く瞳の軌道と真っ白なブラウスを見比べて、しばらく考えを巡らせる。そうして「華子さん」と、少し困ったような声音で呼び掛けた。

「僕さ、どうしてもガトーショコラとベイクドチーズケーキで決めあぐねているんだ。もし華子さんが良かったらなんだけど……二つを半分こしてもらえないかな」

 顔を上げた華子さんは、パッと目を輝かせた。ああ、眩しい。これが見たかった。驚きと喜びを表すように頬を両手で押さえて、彼女は首を大きく縦に振ってくれた。

「ちょうど私もその二つが最後の選択肢だったのです、嬉しい」

「そうなの? すごい偶然だね」

「本当。好みが合いますね! あ、ケーキが来たらお写真いいですか?」

「もちろん構わないよ」

 僕は快諾して、静かに腕時計を外した。少し華子さん寄りにテーブルへ置く。彼女は気にした様子もなかった。それでこそ華子さんだ。

 運ばれてくるまでも、食べている間も、紅茶を頂いてる時までも、華子さんは嬉しそうだった。にこにこ、にこにこ。どんな表情も可愛いけれど、やっぱり華子さんには笑顔が一番だと思う。これを維持できるなら、いくらでも頭を遣おう。

 そろそろ次の場所へ行こうかと話したところで、僕はカバンの中を探った。財布を掴みつつ、その角で一緒に入っていた箱を押し上げる。それは華子さんへ向けて飛び出していった。

「あ、あ、落としましたよ輝さん。……絆創膏?」

「ごめんね、ありがとう。よく指を切るから持ち歩いているんだ」

「そうでしたか。……輝さん、あの。それ、二枚ほど分けてもらえないでしょうか……?」

 膝をモジモジとさせる華子さん。ややフライング気味に二枚取り出していた僕は、一度不思議そうな顔をしてみせてから、躊躇いなく渡した。

「怪我でもしたの?」

「実は、このハイヒール新しくって。ちょっとヒリヒリし始めたから、靴擦れが心配になってきたんです。お家で貼ってくれば良かったのですけど、今朝は急いでいたから……」

「ならちょうど良かった」

 丁寧にお礼を言うと、フレアスカートの裾に気をつけて絆創膏を貼る。そんな姿も可愛い。眺めていたら、彼女がフフと小さく笑ったようだった。穏やかで優しい笑い声だった。

「輝さんは、なんだか不思議な人です。どんな時も動じませんし、驚くほど察しが良いですし、それに……いつも素敵な偶然を起こしてくれます。もしかしてエスパーさんなのでしょうか」

「まさか。驚かないのも察しがいいのも、なんとなくそんな気がするだけだよ」

「どうでしょう。本当は超能力をお使いなのでは?」

 華子さんの可愛らしい冗談だ。もちろん僕はエスパーなんかじゃない。


 ──だって。


 昨夜遅くに送られてきた「おやすみ」のLINEスタンプ。ゆるいタッチの絵だけれど、これまでの傾向からして、あれは仕事で相当まいっている時に使うやつだ。平日ならともかく、翌朝は起きられないなとこの時点で気づいた。


 それから“嬉しい”と“ツラい”を日々更新しているTwitter。次の日曜に初めて履く予定だとアップされていた靴の写真も、軽率な言葉を掛けてくる上司の存在も、ここを確認すれば大体わかる。個人や社名を特定出来ないよう配慮されていた内容は本人から直接聞く話で補填が可能。


 どれだけ目覚ましを踏み倒しても、華子さんには七時半に必ず一度目を覚ますという体内リズムがある。これまでの「おはよう」スタンプと、そこから交わす会話の覚醒具合から推察した。仕事で疲れた華子さんが七時半に飛び起きるとして、身支度と移動時間を考慮すると遅刻するのは三十分前後。ちょうどその間に読みきれる本を用意しておけば問題ない。


 メニュー選びだって簡単だ。目の動きは三角形。ガトーショコラ、ベイクドチーズケーキ、ベリータルトの三点をぐるぐる見つめていた。だけど今日の華子さんは白い服を着ていて、タルトにはたっぷりブルーベリーソースがかかっている。こぼさず食べる自信がない華子さんは、これを選択出来ないはずだ。残りは二つ。なら分け合えば、罪悪感なく両方食べさせてあげられる。


 ついでにそっと彼女の皿へ男物の腕時計を添えておくと、ケーキの写真を撮る際に見切れて写り込むだろう。そのままTwitterへあげてくれるだけでフォロワーへの牽制が完成する。華子さんは彼氏アピールをしない人だから、たまにはこうやって忍ばせておかないと。


 そうそう、靴だ。楽しみにとっておいてくれるのはいいけれど、慣らしておかないせいで、きっと靴擦れしてしまう。寝坊のショックでバタバタする華子さんの代わりに、きちんと絆創膏も持ってきた。新品だと気が引けるだろうから、ばっちり封だけ切った状態で。


 ゆえに、僕はエスパーじゃないのだ。

 だけど華子さんには夢を見ていてほしい。彼女にとって不思議で素敵な僕で在ろうと、にっこり笑ってこう伝えてあげた。

「まあ、しいて言うなら。第六感が働いたのさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

素敵な彼氏で在るために 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画