第20話

〈姉〉

 今宵も私達は外へ出掛けていた。

 一ヶ月振りの電車に揺られる間、縁は緊張しているのか落ち着き払っているのか少しでも他人のインプットを減らそうという試みなのか、目を閉じて私に寄り掛かっていた。家の中でこの体勢に誘うのは難しいのでこの時間だけで交通費の元は取れた。時間帯と下り方面に起因して全車両通して乗車する輩は疎ら、私達は抱き締め合った所で野次の飛ばない公共空間に特別感を覚えた。私も同調して瞼の裏を思い返した後、このまま終点を目指して一日を終える魅力に心は揺らいだが、襟を正して元ある目的を叶えようと光を取り込み、「着いたよ」縁の肩に触れてホームドアの隙間を越えた。

 改札を跨ぐとそこにはあんな姉妹の風上にも置けない奴らが、居るはずないような人気無い開けた通り。正しくは以前出会ってしまった訳だけど、この時季に出会うとしたら盗聴器仕込みの犯罪姉妹と見なして良かろう。

 兎に角盆暗には発想出来ない世界の真理へと足を進める。昼間から明度を落としたルートを回想するように辿る。秋風に祝福されるようなベクトルで徒歩十五分費やした先、立ち入り禁止の看板のだらしなく立つ姿が目下に入った。

 描写を避けていた綺麗な海が、十五夜を反射して一層の輝きを増す。靴を擦りながら人影の無い砂浜へ着地する。私達も清廉潔白とは言えなかったね。そんなものになるつもりは無かったけど。

 縁と出会ってから五年が過ぎた。辛苦ある長丁場と解釈するなら、二人きりになった三年前から家事と縁のケアが全て多忙な私の担当となり、縁の不幸まで訪れたことが理由と考えられる。濃密であっという間な時間と振り返るなら、その苦難を縁と心を治癒し合いながら耐え抜いてきたからだと捉えられる。

「お姉ちゃん寒いね」波に踏み入ると夜風が相まって左腕を穏やかに震えさせる縁。繋いだ私には正直な感情が伝わってきて、そりゃそうだよねと力は込めず見守る。その絶望を紛らわすように、この五年間、十七年間を総括するようにはっきり口にした。

「縁のことが好き」

 少し経って示し合わせたように三度目のキスをした。垂れてきた涙がアクセントとなった。

「行こう」

 近付いてしまえば重く冷たい暗黒世界の奥を目指す。制服を被ってシュシュを付けたまま無機質な質感だけが私達を媒介する。これで私達の間に入る奴は居ない。青春を洗い流すように、刻まれた傷を溶かすように。表面に混ざり合う二人の血が答えの一致を象徴する。

 私達は正解を見つけた。この世界は私達にとって生きにくいのだね。だから今までの全てを捨てて、誰にも見られない場所に向かって救われてみよう。誰より先行するのは私達こそ正しいという証明だ。

 あの世なんて無くて良い。誰かと再会なんてしたくない。今この固い絆が結ばれているだけで十分だ。

 縁と一緒なら何処だって大丈夫。私達は何処までも進む。


〈妹〉

 電車の中では視界をシャットアウトして、何だか興奮するような怖いような拍動でリズムを打っていた。適度なお姉ちゃんの体温を堪能出来るのはこれがラストチャンスかと思うと傾ける体重に加速度を付ける。

 新しい中学には結局一度も行っていない。連絡もしていない。だからそろそろ固定電話や携帯電話が不満を上げる頃だろうけど、両方置き去りにすれば問題無い話だ。早めに戦線離脱が勝ちだね。

 嘗て人混みの中わたし達の娯楽を演出した高台に立つ。まさか今年中にまた海に来られるとは思わなかったし、あの時は不吉な前兆がこうも具現化するとは思わなかった。物静かな母なる海では嫌な思い出が吹っ飛ぶ程価値ある感傷に浸ることが出来るね。母親知らないけど。

 水着を持って来なかったのはお姉ちゃんの濡れた制服を拝みたいから、というよりは心願成就を祈願してのこと。二度とこの世界に帰って来ませんようにって。

 覚悟していた現実が足元に迫ると格好悪くも血の気が引いた。他人への攻撃と違って遠慮無しにはいられないのが自己の身体だ。声を掛けた序でにお姉ちゃんを見るとキスをしようと唇を差し出した。わたしから提案しようと予定立てていたその行為を遂げると、急に悲しくなってきた。おかしいな、悲しいことなんかではないはずなのに。

「わたしも」好き、応えようとして言い続けてきた音が出てこない。軽々しく浮かべてきたフレーズが頼りなく思えて消沈した。本当はもっと早く出会いたかった。けれど出会ってしまったことさえ罪ならどうすれば良かったんだ。過去を幾ら後悔した所で無駄だった。

「お姉ちゃん」それだけ言って波に飲まれる。もう止まることは許されない。重たい服が子供の自由を否定する。しかし人間はどうして愚かなもので酸素が欲しくて堪らない。わたし達はがばがばと泡を立てる。

 沈んでいく。ここから先は誰も追って来ない。悪夢さえ終わりにする海底から手を振った。

 さよなら、紅居あかいきずなさん。


〈姉妹〉

 はい、おしまい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしたちは仲良し姉妹! 沈黙静寂 @cookingmama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ