第6話

「王妃様が休まれるとおっしゃったので、急いで抜けてまいりました。これは王妃様のご命令ではなく、わたくしの独断のことです」

 

 曇り空で人影のない庭園は、内緒話にうってつけである。

 散策と見せかけて立ち止まらずに話すことができるので、聞き耳をたてられる心配がないからだ。

 どこまでも続きそうな庭園を歩きながら、ダニエラは重い口を開いた。


「この数か月、王妃様とわたくしはこの王宮で味方もおらず、まるで離れ小島に浮かんでいるようでした。ですから、社交の噂を知る術もありません。恥ずかしながら、魔術師殿。陛下のお相手がどなたか、もしやご存知ではありませんか」


 存じてはいるが、話すべきかしばし迷う。

 最悪な相手なのでぶっちゃけてしまいたいところなのだが、陛下としては舞踏会まで内緒にしておきたいとのことであった。知らんふりをしていたほうが賢明な気がする。

 それにどのみち、舞踏会で知ることになるのだ。けれど、いま知るのとそのとき知るのと、果たしてどちらが傷つかずにすむのだろう。

 いや、どちらにしても――王妃の心の傷に変わりはないか。


「……残念ながら、存じています」


 ダニエラが息をのむ。


「どなたなのですか?」


 ブランカと陛下の仲をどうにかしたいのは山々だ。しかし、心を操る魔術は存在しないし、あったとしても使うつもりなどない。

 頼みの綱として王妃に期待をかけたかったが、故郷に戻る腹づもりなのであれば、いまさらこの件に首を突っ込むのも酷だろう。知らずに去ったほうが幸せかもしれない。

 イオニアスはとっさに提案した。


「私の別邸が湖畔にあります。景色は美しく環境も静かで、駐留の騎士団もおります。飲食の不自由もありません。自国に戻られるまで、よろしければそこでお過ごしください。陛下には私からお伝えします。ご検討を」


 イオニアスの真意を察したらしく、ダニエラは困ったように微笑んだ。


「……ご提案、感謝いたします」


 あきらめたように息をつき、しばし押し黙る。無理に訊ねようとしてこないダニエラに対して、やはり頭のよい方だとイオニアスは密かに感心した。

 まあ、まだ苦手ではあるのだが。

 無言で散策するうち、やがて離れが見えてきた。会釈してそちらに向かおうとした矢先、ダニエラが静かに言った。


「王妃様は、自国に戻られたら修道院に入られます」


 ――え。

 驚き、ダニエラを見る。歩みを止めたダニエラは、視線を落としてうつむいた。


「宰相閣下は全財産をなげうつ覚悟で、こちらに何度もおもむき、陛下との謁見を叶えました。すべては弱小な自国を、この国に庇護してもらうためにおこなったことです」


 ぽつりぽつりとダニエラは語った。

 国を背負って嫁いだ王妃が出戻ったとなれば、宰相の労力は水泡に帰し、すべてが白紙に戻される。ふたたび他国の脅威に怯えなくてはならない人々の鬱憤は、貴族や王族――そして〝元〟王妃に向かう事態になるだろうと話す。


「自国に戻った王妃様は、王族である立場を剥奪され、生涯を修道院で暮らします。静寂を好む王妃様にとっては、ある意味では幸せかもしれません。けれど――」


 顔をあげたダニエラは、涙目でイオニアスを見た。


「――こちらの国とわたくしたちの国とでは、きっと美しさの基準が違うのでしょう。王妃様はわたくしたちの国では誰よりも美しく、〝王宮の宝石〟と謳われた方なのです。誰もが、美しく優しい王妃様を……フローラ様を慕っておりました。もちろん、お父上である国王様も、目に入れても痛くないほどにかわいがっておられました」


 まさしく、ブランカのような立場にあったのだ。

 ブランカとは真逆の人柄で。


「宰相閣下の提案に、お父上の国王様は断固として反対しておりました。けれど、フローラ様が国王様を説得し、国のために自ら手を挙げられたのです」


 連れていける侍女は七人。だが、他国で心もとない思いをするのは自分だけでいいと覚悟し、侍女を一人に絞ったのである。それが、いまここにいるダニエラであった。

 悔しさを押し殺すかのように、ダニエラは両手を握りしめた。

 

「……魔術師殿。フローラ様は……王妃様は、修道院で一生を過ごすようなお方ではなありません。太陽のもとで光り輝き、人々の中心となって暮らすことが、もっともふさわしいお方なのです」

 

 なんとしても、王妃を戻すわけにはいかない。ダニエラの眼差しは、そのように訴えていた。


「もしや、あなたは王妃殿下に、ここに残っていただきたいのですか」

「そうです」

「しかし、王妃殿下のお気持ちは?」

「もちろん、できることなら残りたいでしょう。けれど、しかたなくあきらめられたのです。でも、わたくしはまだあきらめたくはありません!」


 すべてを背負ってここにいる王妃を、なんとしてでも守り抜く。その気合と気迫がダニエラにはあった。


(王妃にとっては戻るも地獄、残るも地獄か……)


 ならば、残る王宮ここを天国にするしかない。だが、それは茨の道である。


「陛下の関心を、王妃に向けさせるおつもりですか」

「たとえ希望が微塵もなくとも、残りの日々が迫っているとしても、わたくしはそのつもりでおります」

「……なるほど」


 その覚悟があるのなら、陛下の相手を前もって知っておいたほうがいいだろう。

 イオニアスは意を決した。


「これから言う名は、あなたの心にとどめていただきたい」


 ダニエラははっと息をのみ、うなずいた。


「陛下のお相手は、ブランカ・グレゴリス嬢。宮廷占術師の妹君です」


 眉をひそめたダニエラは、ぐっと目を吊り上げた。


「……なんですって? まさか、クリスティアーノ様の……?」


 そうつぶやくなり、きつくこぶしを握る。やがて、冷静沈着であるはずの侍女の眼光は、燃え盛る炎のようにぎらぎらしはじめた。


「王妃様のサロンを訪れた方は、多くありません。その中でも、初日から顔を見せてくださり、それからもときどき来てくださった方がおりました。近頃はめっきりあらわれませんでしたが、その理由がいまわかりました」


 ――ここにお客さまがいらっしゃったのは、久しぶりです。


 王妃はたしかに、イオニアスにそう言った。その相手は、まさか。

 先を聞くのが恐ろしくなってきたが、イオニアスはダニエラの言葉を待った。ダニエラはこぶしをぷるぷると震わせ、憎しみを込めるように唇を歪めた。


「初日からあれこれと王妃様に助言してくださるので、純粋な王妃様はそれを信じ、懸命に実行なさっていたのです」


 この日の星のめぐりは陛下との相性がよいので、邪険にされても話しかけましょう。

 陛下のお好みにあわせるのでしたら、この国で流行っている髪型やドレスを身につけるべきです。すべて僕が手配して差し上げましょう。

 相性のよいとき、よくないときの振る舞い。

 助言のままに着飾って振る舞うほど、王妃の魅力はなぜか削がれていき、挙式以降近づきつつあった陛下との間柄はすっかり冷えきり、現在にいたっているのだそうだ。


「わたくしが怪しんでも、王妃様は純粋に信じ続けておりました。なにしろクリスティアーノ様は、この王宮ではじめて親切にしてくださった方でしたし、王妃様も陛下のお気持ちを向けさせるのに必死でしたから。けれど……!」

 

 はっきりと名を耳にしたイオニアスは、げんなり顔でダニエラの言葉を引き取った。


「……おそらくすべて、関係を悪化させるための助言ですね」

「やはり! ああ、なんと腹立たしいこと! いますぐに手袋を投げつけて、決闘を申し込んでやりたい思いです!」


 わかりすぎる。この瞬間、イオニアスはダニエラを〝苦手リスト〟からはずした。

 興奮と激高で語気を強めたダニエラは、しかし悔しそうに視線を落とす。


「けれど、隣国出身のわたくしが勝ってしまったら、国同士の戦いに発展しかねません。裏切りを知っておきながら手も足も出ないなんて、なんて悔しいことでしょう!」


(……ん?)


「ダニエラ殿、クリスティアーノに勝つおつもりですか?」

「もちろんです」

「ああ見えて、彼は手練です」

「そうですか。けれど、わたくしはおそらくそれ以上の手練でしょう。その自負がわたくしにはあるのです、魔術師殿」


 ダニエラがなぜ、たった一人の侍女として選ばれたのか判明した。

 王妃の侍女兼護衛だったのである。


「……なるほど。しかし、あなたのおっしゃるとおり物騒な展開になりかねませんので、決闘はおすすめできません」

「ええ、存じております。だからこそ、心底腹立たしいのです!」


 百万回うなずきたいが、一度にしておく。それにしても、最悪な事態である。


 まさか、王妃のサロンを訪れていたのが、誰あろうクリスティアーノだったとは!


 味方のいない王妃につけ入り、己の妹が有利になるようさりげなく助言する。なかなかのせせこましい策士ぶりに、イオニアスはあ然とした。

 心底呆れ、その呆れを通り越した瞬間、ものすごく珍しく魔術師魂に火がついた。


「……ダニエラ殿。私に少し時間をください」

「え?」

「万能感に酔いしれている男に、そろそろ釘を刺すときがきたようです。面倒ですが、重い腰をあげるとします」


 ほとんどひとりごとのようなイオニアスの言葉に、ダニエラはけげんそうに首をかしげた。


「釘を刺す……?」


 イオニアスは、王妃にもらった筆記帳を抱え直した。


「クリスティアーノの助言を、まるごとひっくり返しましょう」

「え?」

「王妃殿下に、〝王宮の宝石〟に戻っていただきます」

「――えっ!」

 

 ダニエラが目を丸くした。


「戻っていただくって……それは、こちらの王宮でということですか? わたくしたちの国ではなく?」

「もちろんです」

「い、いったい、どのように?」

「まだわかりません。ですので、しばし時間をいただきたいのです。私の魔術にもかぎりがありますし、王妃殿下とあなたの協力も必要となるでしょう。それに、たとえそのようになれたとしても、陛下のお気持ちまではどうにもできません」


 すべてが徒労終わるかもしれない。……だが。


「少なくともクリスティアーノへの報いにはなります。それでもよければ――」

「――ええ もちろんかまいません。ぜひともお願いいたします!」


 飛び上がらんばかりに、ダニエラは感激をあらわにした。


「クリスティアーノ様に一矢報いることができるのでしたら、なんでも協力いたします。ああ、本当にありがとうございます! どうぞなんでもおっしゃってくださいませ、魔術師殿!」


 なぜ、宿敵のクリスティアーノは名前で呼ばれ、自分はいまだに〝魔術師殿〟なのか。

 深い意味はないのだろうしべつにいいのだが、若干納得がいかない。

 ダニエラと別れたイオニアスは、かすかに眉をひそめつつ、離れに戻ったのであった。

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